震災直後の福島県いわき市。頑なに退避せず、自宅に残った造園業の男の「死と再生」の話。3.11の震災についての舞台を観るのは、これで2回目だ。どちらとも、この大事件について、表現者として何か伝えなくてはならない衝動にかられた(ような)作品だった。「伝えなくてはならない」「伝えたい」ということと、観客が「伝えて欲しい」ことは、また別ではないだろうか。20年ほど前、先輩のNさんが芝居を作るのを手伝っていたことがある。演出助手、という肩書きだったけど、ほとんど付き人、弟子みたいな動きをしていた。今回のようなテーマの芝居を観ると、Nさんだったらどんな切り口で料理するのだろう、してくれるのだろうと、考えてしまう。20年経った今でもだ。それほど僕はNさんから影響を受けている…つもりだ。当時は、なんでもNさんの言うこと、書くこと、やることには感心していた。俳優としての在り方、考え方、演出法、または人生観まで。なんでもコピーしようという境地までになっていたっけ。でも、人と人というのは、わからないもので、だんだん何故だか疎遠になり、一昨日ばったり明大前駅のホームで会った(5~6年ぶりか?)時には「元気ですか?」としか、お互い声を交わさず、Nさんは足早に去っていった。何故だかわからないけど、無性に会いたくなるときがあるのに、このザマだ。また芝居を作るんだろうか。いやいや、人に期待してる場合じゃなく、俺が作んなきゃいけないのに、今でもNさんが作るというなら、手伝いたい気持ちがある。「親分肌」というのがあるけど、僕は子分肌だ。人と人の間にも「死と再生」はあるんだよなあ。まあ、死んだわけでもないけど。Nさん俺は今でも手伝うよ。ま、役に立たないかも知れんけど。あ。芝居は、近藤えりが妻役を好演。