脚本・演出:土田英生
朗読劇は、むずかしい。台本を読めば良いのだけど、それだけじゃあ観客は飽きてしまう。
それではと台本を持って動いてみたら、これは舞台の立稽古に見えてしまう。
100本程の朗読劇公演に関わって考えついたことは、朗読劇は『朗読芸』なら成立するのではないだろうかということだ。台詞の抑揚、緩急の付け方、目線、そして間。
演者それぞれの声の質を生かした技を出し合い、時には声色を使って勝負する。
落語の域まで達すると素晴らしいのではないだろうか。あ、そうか。落語家さんにやってもらえば、どうだ。個人芸しかやってないから、これはこれでちょいとむずかしいか。もう、いいか。朗読劇は。
あ、思い出した。以前、新国立劇場で観た朗読劇。確か、舞台上の椅子に男性が2人、女性が2人が座り、男性のひとりは『ト書き』を読む役だった。とても響く良い声で。
「ナターシャはドアを開けて入ってきた」とか、「コーヒーカップを手に取り、ひと口飲む」とか言ってたンだが、おもむろに、「間」とか、「少しの間」とか、言い出した。
「間」は、言わなくても良いのではと思ったけど、まじめに演じられているからしょうがない。もう堪えられないほど、笑いそうになってしまったけど、雰囲気的に笑えない。
いや、あれは心の中で爆笑した。そういう狙いだったのか。なわけないか。
いやはや、朗読劇はむずかしい。