<なぜだか、中島陽典さんのこと>
1991年。クリスマスイヴの夜に1回だけ公演する為に、1年間稽古した。尋常じゃない。
男の2人芝居、「ZOO(原作:エドワード・オールビー)」。中島陽典さん演出だった。
とりあえず台本はあるのだけど、エチュードのような稽古なので、毎回変わってくる。まあ、俺が変えたり忘れたりしてしまってるンだけど。相手の台詞に瞬発力で反応していく。
ある日、「ジュンケン、存在感を出す為に、冒頭では泣いてみよう」と云いだした。それから稽古で毎回泣いた。泣くまで待ってくれた。最初は1時間か2時間掛ったけど、そのうち秒速で泣けるようになってしまった。
けれど本番では泣けなかった。終演後に号泣した。翌日も開演時間になってくると、心がザワザワしてきて、自然と涙がこぼれた。芝居は終わっているのに。これも尋常じゃない。頭がおかしくなっている。俺も俺だが、よく1年間もつきあってくれたものだ。陽典さん、ありがとう。
あの芝居で、俺は芝居に向いてないと、よくわかりました。
<もひとり、宮沢章夫さんのこと>
1992年。遊園地再生事業団『ヒネミ』。消えた町『ヒネミ』の地図を作ろうとする男の話。その後に発表した小説『サーチエンジン・システムクラッシュ』『不在』。いずれの作品も、居場所を求める人々の関係性がクールでシニカルに描かれている。宮沢さんは、まだ自分の居場所を表現活動で探し求めているのだろう。宮沢さんは勉強し過ぎて、具合が悪くなるンではなかろうか。
<そして、八木橋努さんのこと>
2人をミックスしたのが、今回の作・演出、八木橋努のように思う。
あ、そうだ。上記の2人は酒が呑めない。八木橋は、酒が呑める。酒場に集まる人々の言動をハプニング性に富んだ演出でリアルに描き、心がヒリヒリするほど感じさせてくれたのに、どこか、凡庸とした人々にも見えてしまうのは、酒だ。酒の力だ。もう、呑んじゃえばいいじゃないかという逃げ道を作ってくれてるからだ。中島、宮沢両氏には、それが無い。逃げ道があったとしたら、それは『死』だ。そりゃあいくらなんでも、だよ。
観劇後、3日経つが、まだ胃の底あたりに余韻が残る作品だった。
暴力的なラストが、むしろ清々しく感じたし、観客を巻き込んでいるようで突き離した演出も爽快だった。
コロナで延期になったと聴いていたが、そのおかげで呑み屋のありがたさをヒシヒシと感じるようになったから、『僕らの城』の意味が余計に身に沁みたと思う。だから少々、まだ胃が痛む。