2015年01月22日
人の死を悼むということは、人それぞれの形があって良いと思う。儀式に参加するのも参加しないのも良しだ。酒を呑みかわしても良い。もちろん何もしなくても良い。気持ちが大切なのだろう。でも、少なくとも儀式に参加する人達には、何か救いとなる場面を与えて、もしくは自ら作らなければならないと思う。音楽葬。演劇の追悼公演みたいなものか。手練れのミュージシャンばかりだったので、あまりウエットにならずに送ってたのが良かった。GAROの盟友、唯一の“当事者”たる大野真澄氏のコメントが、当時のマークやGAROをとても客観視していて、清々しく感じられた。こんな場合、「清々しい」というのは不向きかも知れないけど。