この映画の中で出てくる「総括」「自己批判」という言葉で、22年ぐらい前にやっていた芝居の稽古を思い出した。主演女優のKの芝居が、我ら演出部の思うとおりに行かず(彼女にとって初舞台だったのだけど)、僕が住んでいた豪徳寺のアパートに演出家と1週間程二人きりで同居させて、朝から晩まで指導したことがあった。20代前半の嫁入り前の女性と子持ちの30過ぎの男をだ。朝起きたら、僕と制作の男が梅が丘公園に連れ出してジョギング。部屋に帰って朝飯の用意をさせて4人で食事。バイトに行かせて、夕方から稽古場で稽古。また部屋に帰ってからも演技指導。夜中に30前後の男達が3人、Kに怒号を浴びせる「もっと感情を出せ!」「ほら泣け!泣いてみろ!」「自分を解放しろ!」。Kは大声で号泣。その時「俺こんなことやってていいのか」「これほどまで芝居の稽古はやらなければいけないのか」と考え、連合赤軍の「総括」と「自己批判」という言葉を思い出したのを覚えてる。芝居はなんとかうまくいって、Kのご両親も観に来られ「うちのKが大変お世話になりまして・・・」なんて挨拶された時は、多少戸惑ったものだ。もちろん演出家と何も間違いは無かったはずだけど。物事を表現するのに、こんなに人を追い込んでいいものかと、自分自身で考え込んだ。考えても結論は出ず、演出家の「俺達は絶対正しいということはやってないけど、少なくとも間違ったことはやっていないよ」とかいう言葉に自分を納得させてやり遂げた。今でもKに会うと、もう懐かしい青春の1ページの出来事のように、この事を云ってるから、まあいいんだけど。何かを組織で表現しようというときに、突き詰めていくと必ず「総括」「自己批判」のようなことが出てくるのではないか。
この出来事から僕は緩やかに「個人主義」を求めるようになったと思う。組織は苦手だ。だから、人と呑むのも苦手だ。
この作品、観るのは2回目だけど、やはり永田洋子役の並木愛枝が良い。この後、日本映画でもっと活躍していてもいいものなのに。小嶋和子役の宮原真琴もそうだ。加藤兄弟の弟役、タモト清嵐の最後のセリフ「俺たちは勇気が無かったんだよー!」は心に沁みた。同じ役者ばかりを使ってる今の日本映画を作ってる皆さん、良い役者がいるのにもったいないぞ。