1960年代後半のこと。僕の先輩俳優Sさんが、寺山修司氏に食事に誘われたことがあったという。場所は、ニューヨークのレストランだ。当時、貧乏俳優だったSさんは、当然寺山氏にゴチソウしてもらえると思い、腹一杯食べたら、突然寺山氏から「おい、逃げるぞ」と耳打ち。猛然とダッシュ。Sさんも、ニューヨークの街を全力で駆け抜けたそうだ。寺山氏にとっては、それも日常の“演劇”であり“アート”だったのだろう。日常から非日常への境目こそ、最も興味深いアートと体現したかったのか。ああ、バカじゃないの。寺山氏はノゾキでも捕まってるし。「少年とオッサン」「正常と狂気」「真面目と不良」ま、紙一重だけどね。
現代美術家の会田誠氏。彼の日常と非日常のラインは、何処に引かれているのか。
夜毎、酒を酌み交わし、家庭を大事にし(てるように見える)、昼は創作活動に勤しんでいる。エロ、グロ、少女趣味・・・の嗜好は、僕も大好きなんだけど。そこで発散されているのだろうか。発狂しないのか。いや、もうゆるやかに発狂しているのか。穏やかな彼の横顔からは想像出来ないのだけど。晩年の談志が散々云ってた「イリュージョン」という言葉を、会田氏のアートにあてはめるなら、彼にとっては日常こそが「イリュージョン」じゃないのか。弟子の志らくさんもよく「発狂に向かっている」という言葉を使うけど。都会に住んで、表現活動をしているモノなんて、多かれ少なかれそうなっているのかも知れない。
こんど東京で個展が開かれる情報がある。もちろん観るぞ。もっともっと会田誠氏の裏の顔が見てみたい。(いや、本当はそこら辺は編集でカットしてるのか?)現代美術の事はあまり知らないけれど、距離感を持って観続けていたいアーティストだ。決して、一緒に酒など呑みたくないけどね。