6月10日(月)19時半。65分という小気味よい尺で、またしてもイリュージョンの世界に連れていってくれた。前回観た時よりも、人物や現象等を客観的にとらえているように見える。公園、映画館、喫茶店、駅、列車の中…という架空のセットが見えてくる。ロングとアップも見えてきた。関田女史本人は、漫才に影響を受けたと話していたが、これは落語の世界にも通ずるぞ。ひとりの役者が違った役柄に変わる間なんていうのは、枕から本題の演目に入る間にとても似ていた。(特に談志や圓生に)談志家元が生きていたら、なんといったろうか。ラストシーンの涙(というか泣き方)は、今迄の演劇では考えられない手法だ。末恐ろしいぞ。関田育子。23才かあ。演出家に怒られて怒鳴られて、居酒屋で劇団員同志慰め合ってやけ酒呑んで、「ああ有名になりたいなあ」とか「テレビや映画に出たいなあ」なんて時代じゃないんだなもう。