2012-01-06

国や助成団体・評論家などの外部の問題 と カンパニーの問題 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 小池さんの発言は、
 1「日本の文化行政はどこへ向かっているのか」という国の問題、
 2「助成団体、評論家等の”パフォーミング・アーツ”への無理解」と
 3「”パフォーミング・アーツ”を自称する自分の作品への不利益な評価(ないし無視)」という助成・評論側の問題、
 4「助成金がないと公演できない」というカンパニーの問題
を混同しているように見える。1と2&3と4とはそれぞれ別個の問題である。

 不勉強で現在の国の状況等正確に理解しているわけではないが、例えば、名古屋での「パフォーミング・アーツ・ガーデン2012」(2012/01/07)は、パフォーミング・アーツを看板にかかげて文化庁の助成を受けている。とすれば、一概に国が無策だったり、助成団体はパフォーミング・アーツへ無理解、ということはないのではないか。それぞれの助成団体の目的や、定義する”パフォーミング・アーツ”の観点からは、必ずしもパパ・タラフマラが基準を満たすとは限らない。海外との共同公演かどうかは関係なく、各助成団体の目的に合致するかどうか、が問題なのである。
 田中一村のように、外部の支援をたって、本当の芸術のために生涯をかけて創造するのならよいが、助成を得たいのであれば、”パフォーミング・アーツ”の啓蒙と、各助成団体や評論家との”パフォーミング・アーツ”の定義のすりあわせや、価値基準のすりあわせをしなければならないのではないか。その上で、合意された価値基準に見合う質の高い作品を作成すればよいのではないか。どうも小池さんは対話をせずに、「自分は(自分の考えるところの)”パフォーミング・アーツ”を公演しているが、皆が理解できないので客入も今ひとつ(赤字)、評価もしてくれない、助成もしてくれない」と言っているように見える。
 このへん、上記の企画をされた愛知芸術文化センター主任学芸員の唐津絵里さん(@eri_karatsu)などと対談されてみたらどうか。

 また、カンパニーとして継続的に作品を創造したいのであれば、企業と同様に組織としての継続性の確保が必要になる。その意味で、赤字になる公演を計画する時点で、カンパニーマネジメントが失敗している。赤字になるのであれば、単純に言えば、チケットが安いか、無駄な費用があるのか、と考えられる。チケットが高いと売れない、は言い訳である。チケットが高いと思われるのは、相応の価値のある作品と、観客に評価されていないだけである。ここで観客のパフォーミング・アーツへの無理解を言うのであれば、観客を啓蒙・育成してこなかったということだ。
 浅井さんの「ドキュメンタリー映画の客層を創造した」という話が十分参考になると思う。

 商業主義に陥ってしまってはいけない、というのであれば、「ビジネスもファッションの一環です」と喝破したコム・デ・ギャルソンの川久保玲さんを見習うべきである。作りたい服を作りたいように作り、売りたいように売るために会社を興したという。ビジネスも含めてのクリエイションなのだ。
 また、シルク・ドゥ・ソレイユのギー・ラリベルテさんは、創立時にアーティスト全員にこう伝えたという。「われわれは絶対に成功する。その条件として、クリエイティブの面と、ビジネスの面、両方のバランスを保たなくてはならない」と。(ほぼ日刊イトイ新聞に連載されていたので読んだ方も多いでしょう。)
 小池さんも、つくばの芸術監督のときは、客の入る作品と、世界のトップレベルの作品を組み合わせたという。
 このへんの、クリエイティブの面と、ビジネスの面については、赤字交響楽団を立て直したり、セッションハウスでアートマネジメント講座も教えていた、小林進さんなどと対談されてみたらどうか。

 「海外では評価されている」と海外基準を持ち出すのなら、野球やサッカーの選手のように、ぐうの音もでない評価を海外で得れば良いのである。例えば、東洋人初のミラノ・スカラ座での公演をした勅使川原三郎さん、パリ市立劇場付きのカンパニーを30年も毎年更新している山海塾(天児牛大さん)、などは、海外で成功して凱旋し、紫綬褒章を受章している。彼らを”パフォーミングアーツ”と呼ぶかどうかはともかく、既存のジャンルではない活動をされてきた方たちである。彼らに続けば良いのだ。

 小池さんは、これからは作品ではなく語っていくということなので、一方的に語るのではなく、今回のような対話によって検証し、日本の”パフォーミング・アーツ”を発展させるような議論を展開して、問題を解決していって欲しいと思う。

キーワード:

ダンス


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