photo by Richard Haughton
バングラデシュ系イギリス人振付家アクラム・カーンのソロ公演『DESH―デッシュ』が1月26日より彩の国さいたま芸術劇場で開催される。古典舞踊様式「カタック」とコンテンポラリー・ダンスとを融合させる独自のスタイルで世界から注目を集める彼が、自らのルーツを辿るファンタジックかつダイナミックな舞台について、パフォーミングアーツ・ジャーナリスト岩城京子さんが聞いた。
自分自身と“対峙”する作品
今までもバングラデシュ系英国人の振付家アクラム・カーンは『ゼロ度』(2005)や『バホック』(2008)などで、その身体を通してアイデンティティにまつわる問題を考察してきた。しかしそれらの作品は、主に欧州圏において複雑化/多様化する移民二世問題などのアイデンティティ・ポリティクスに目を向けるものであり、振付家の個人史に真っ向から対峙するものではなかった。それというのも、自分に向き合うことを「怖れてきた」のだと彼は明かす。しかしここ数年「これ以上、自分が若くなることはない」ことを感じ続けてきたと言う37歳のカーンは、ダンサーとしての身体のキレが鈍らないうちに、舞台上でひとり自分に向き合うことを決意。その決心から生まれた作品が、ベンガル語で「母国」という意味を持つ、意外にも、カーンによる初の長編ソロ・コンテンポラリー作品『DESH―デッシュ』(初演:2011年9月)だ。
photo by Richard Haughton
「僕はずっとコンテンポラリー・ダンスという文脈のなかで、舞台にひとりで立つことを怖れてきました。けれど年齢的に考えても、いまこそ、そのチャレンジの時。それで自分のアイデンティティ、生い立ち、国、父親、そして何より自分自身と“対峙”する作品を創作することにしたわけです」
photo by Richard Haughton
80分のあいだ、舞台上のカーンは「旅」を続ける。それは祖国バングラデシュへの物理的な旅であり、亡き父との対話(という架空の設定であり、実際カーンの父親は健在)から始まるアイデンティティを巡る心の旅路でもある。カーンと、彼のコラボレーターである、美術・映像のティム・イップ、音楽のジョスリン・プーク、詩人のカルティカ・ナイールは、異国であり母国でもある土地で出会う様々な風景を、じつに映画的な音や光や言葉により表象していく。そのただ中にカーンが立ち、カタック、マーシャル・アーツ、ヒップホップ、など多様な舞踊様式を融合させた身体表現で一本の物語を紡いでいく。まるで自身の複雑なアイデンティティを一体化させていくように、彼は様々な身体表現をスムーズに融合させていく。
「子供のころ、うちの居間のテレビにはマイケル・ジャクソンが映っていて、隣の部屋ではボリウッド(インド映画)のインド音楽がかかっていて、さらに僕は母親から30年間フォークダンスを教わって、後々、学生時代にはコンテンポラリー・ダンスのトレーニングを積むことになった。そうしたら、僕の身体は完全な混乱状態に陥ってしまった。でもそれらすべての文化を融合させる良い時期が来たんじゃないかと思ってね、それでこの作品でそれを初めて試してみることにしたんです。僕にとっては、この自分の複雑な身体こそが “母国”であり“アイデンティティ”ですから」
photo by Richard Haughton
水と共に暮らし、水と戦ってきたバングラデシュを描く
概して物語性のあるダンスを好む英国の観客は、本作を「現時点での彼の最高傑作」(ザ・テレグラフ紙)と絶賛。ストーリー・ダンスというジャンルに対しての好き嫌いはあるにせよ、確かに、本作でカーンが試みている「複雑なアイデンティティをダンス表現の融合から掴み取る」という振付的アプローチは評価にあたいする。そして彼はこの試みから、不安で繊細でそれでいて強度のある水の流れのように予測不能な身体表現を生み出してみせる。
「僕はつねに、地面のなかにある水に魅了されてきました。水の流動的なフォルムは、僕の思考法とムーヴメントの基本指針を成していると言えるほどです。またバングラデシュという国には水がふんだんにあり、この国の人々は水と共に暮らし、また水と戦って生きてきました。そのような水に対しての多様な思想がこの作品で表現されています」。
photo by Richard Haughton
バングラデシュの凶暴なサイクロン、穏やかな熱帯降雨、マングローヴの沼から鼻先を浮かべるワニ──、カーンは自身のルーツを探る旅を水筋に乗り辿っていく。その旅は、パーソナルであると共に非常にポリティカルな要素をも含み、劇中、バングラデシュの歴史に欠かせない人物が数人登場する。
photo by Richard Haughton
「例えばヌール・ホセインというバングラデシュの独立のために戦った人物など、数人のキャラクターたちを演じます。それらの人物を通して僕は、バングラデシュの人々が大自然とどのように戦い、そしてどのように人々が忍耐強く生き抜いてきたかを、労働、夢、変革のリズムを通して表していきます。お客さまが本作を通して、この類い希な国に内在する素晴らしい美しさを感じとってくれたら嬉しいですね」
異国であり母国でもあるバングラデシュへの旅を通して生まれた『DESH』。多国籍で多文化な影響のもとはぐくまれた自分の身体こそがアイデンティティであると語るカーンの、孤独で、素朴で、複雑で、ユーモラスなふるさとへの旅路がここに集約されている。
(取材・文:岩城京子[パフォーミングアーツ・ジャーナリスト])
アクラム・カーン プロフィール
ダンサー・振付家。ロンドン生まれのバングラデシュ系イギリス人。コンテンポラリー・ダンスとインドの古典舞踊「カタック」をユニークに融合させ、異文化を越境する表現活動を精力的に行っている。90年代にソロ作品を発表し始めるとともに、カタックの踊り手としても舞台に立つ。2000年、カンパニーを設立。現在、サドラーズ・ウェルズ劇場のアソシエート・アーティスト。シルヴィ・ギエムやジュリエット・ビノシュとのコラボレーションでも大きな注目を集めたほか、2012年夏のロンドン・オリンピック開会式でも振付、出演し話題を呼んだ。サウス・バンク・アワード、オリビエ賞ほか、受賞多数。今、世界が最も注目する振付家の一人。
アクラム・カーン『DESH―デッシュ』
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
2013年1月26日(土)開演16:00、27日(日) 開演15:00
演出・振付・出演:アクラム・カーン
舞台美術・衣裳・映像:ティム・イップ
音楽:ジョスリン・プーク
料金:一般 S席5,000円、A席3,500円、学生A席2,500円(税込・全席指定)
チケット取扱い・お問合せ:
彩の国さいたま芸術劇場 0570-064-939(休館日を除く10:00~19:00)
http://www.saf.or.jp/
主催:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
▼アクラム・カーン『DESH-デッシュ』舞台映像