東京・中野のスタジオ サイにて、パパ・タラフマラ代表の小池博史氏。
1982年の結成以来、ダンス、演劇、美術、音楽など多様なジャンルを融合させ独自の舞台空間を築きあげてきたパフォーミングアーツ・カンパニー、パパ・タラフマラが解散を発表した。本日6月24日、記者会見が行われ、フィナーレを記念して実行委員会を組織し、ファイナル・フェスティバルを開催することもアナウンスされた。30周年となる節目になぜ解散の道を選んだのか、そして現在の日本の舞台芸術が抱える問題について代表・小池博史氏にスタジオ サイにて話を聞いた。
解散により問題提起を
──『~東北関東大震災に思うこと~』(3月26日)を読ませていただいていて、ここでだと「私もパパ・タラフマラも、これからさらにヒトの根元性を探りつつ、強く社会にコミットしていける状況を作り出さねばならないと考えています」と書かれていますが、このときは解散を意識していたんですか?
まだしていないです。たぶんこの1週間後くらいですね、さぁどうしていこうという。
──それは震災が影響する問題なんですか?
かなりしていますね。これはここ10年くらいそうなんですけれど、全体的に、だんだん行き場がなくなってきているという感じはしていたんです。例えば作品を見ても、あるいは自分たち自身にしても、どこもかしこもが自己閉塞的になってきてしまっていて、自家撞着を起こしているみたいな状態になっている。どうしたらいいんだろうと。そういう方が評価を受けるようになってきてしまった。なおかつ、例えば今年の文化庁の助成金が通っているのがほとんどがバレエであとフラメンコという状態なんです。それに、演劇ですね。でももともとその中間に立とうと思っていたんだけれど、いつまでたってもその中間領域はエッジでしかなくてね。
──世界はそんなことないですよね。
世界は違いますけれど、日本はどんどん保守化しているんです。そして行き場がなくなってしまっているという状況があります。簡単に言えば、こういう舞台をやっているとお金の出どころとして助成金って大きいんです。助成金が出にくいと非常にやりにくくなってくる。これが、昔はもうちょっと分散化していたんです。例えば国際交流基金や文化庁、セゾンだったりにしても、いろんな出方をしていたんですけれど、最近文化庁に一極集中になりだしている。
そしてもうひとつは、30年もやってくると、もう80年代に観た人も90年代に観た人も「観た」っていうところでひとつ卒業したみたいになっていってしまう。
──観に行かずに、パパタラがんばってるね、で終わってしまう。
演劇ファンは演劇を見たいし、舞踊ファンは舞踊という安心枠の中で安穏としているわけです。パパ・タラフマラの場合、見に来る客はバラバラですからね。音楽ファン、美術ファン……非常に多い。これが取り留めなくする一番大きな原因なのですが、それ以上に、底流にある文化の問題があります。これが、震災、その後の福島原発という大問題があり、そこで気持ちが悪いくらいその問題が露呈した。このタイミングで、やはり問題提起をすべきだろう、と。
──解散というのは、パパタラという名前が葬られて、新しく名前が変わることですか。
そして仕組みも変える。ですから名前だけじゃないんですよ。やっぱりやり方自体も変えなきゃいけないし。ただ、カンパニー名はなくして、同時に組織のあり方も変えましょうと。組織はこれで一人になるかもしれないし、まだはっきりしていないですけれど。
──ということは、今の組織を復習しておかないと、読者も解らないと思うんです。今のパパ・タラフマラ、30年を経た現在ってどういう組織なんですか?
制作がいてパフォーマーがいて私がいるという組織です。13人。制作は現在2人、パフォーマーが全部で10人くらい。
──年間どうやって運営している組織なんですか。
お金の面は、公演を打つことによって入ってくる、あるいは海外から呼ばれればそこそこのギャランティが入ってくる。あと、こういう場所(スタジオ サイ)を貸し出すとか、あるいは学校組織をやってるとか、ワークショップやったり等、そういうもろもろですね。
──それは先が見えないというわけではなく、なんとか13人くらいは成り立っているんですか?
いや、成り立たないですね。あくまでギャランティとして支払いはしますけれど、パーマネントとしては制作と私以外に出ていないです。それはもう不可能ですね。
──でも助成金も収入のひとつとしたときに、助成金頼みのカンパニーの運営というのは、助成金をもらえなかったら一気に大変なことになる。
特に今年が大変なんですよ。30周年で、韓国の国立の舞踊団とインドネシアのケローラ財団とアメリカのポールドレッシャーアンサンブルと一緒に組んでやるということで、申請していました。かなり大きな企画だったのですが、それが降りなかった。この枠組みで降りないとしたら、今後、非常に絶望的だ。ただ、舞台芸術作品を助成金ナシで行うというのは、一気に商業化に向かうということです。商業化路線でやっていたのでは舞台芸術は単なる舞台興行にしかなりません。
──小池さんとしては各国との共同制作なんだから、国際的にも文化交流の面でもこれこそ文化庁が助成金を出すべき公演じゃないかと。
普通に考えればそうでしょうね。相手は国が絡んでいますから。でもそれでも結果的に助成金をもらっているのがバレエなので、「これじゃ、だめだ」って思いますよね。今後、見込めないんじゃないか、と。ですから逆にこれを社会的にインパクトを与えていくような動きをとらなきゃいけないだろうと。それには発言し、カンパニー自体を解体させる。死ぬことによって発言する、と言えばいいか。
セゾン文化財団あたりに行くと、「人間でいったら110歳くらいですね」と言われて(笑)。普通どこまでやってもカンパニーはそこまではもたないと言いたのだろうと思います。
助成金が降りなかったことはよくあったからね。それが全てじゃなくて、いまの状況というのがほんとうにどうやって自分たちがやっていけばいいのか、生きていけるのかということを含めて、問い直す機会にしていこうということなんです。
──じゃあバラバラになって、パフォーマンスの世界から足を洗うわけではなく、とりあえずパパ・タラフマラという今の組織と名前をいったん解体して、そこでもう一回やろうと。
カンパニー終了後、最低2年くらい日本ではやってるでしょう。いまから3年だから、その間に決めます。「日本にいてもしょうがないから、お前は、海外へ行け」ってみんなに言われます。が、2年くらいはもうちょっと様子をみようと。海外は今までもしょっちゅう行ってるし60ヶ国は歩いているので、別に行くのが目的ではなくて、あくまでベースが海外になるということなんですよ。
──では、どこのカンパニーでも制作部と主宰者が食えるかどうか、制作だけにお給料を払って、パフォーマー、ダンサーの人たちはアルバイトをしつつ、公演があれば集まるというかたちですよね。大幅に助成金があろうとなかろうと、このシステムはこれから日本では変わりますか?
基本はプロデュース方式にはならざるをえないような状況になっていることが背景になっていることもあると思うんです。
──311と助成金の返事の前に時間を戻した場合、日本においてカンパニーとしてのあり方はどういうものが理想なんですか。
昔からそうなんですけれど、日本ではなくて、私にとって理想なのはピーター・ブルック方式とでも言えばいいかな、1回ごとになにかやるときには同じ自分の希望する連中がみんな集まってきてくれるという、かなり緩やかなカンパニーシステムみたいなもの。制作部は当然いないとだめですよね。いないと成り立たない。そこは基本じゃないですかね。ただこれもフランスと比較するのが無理だというのがあって。だって1回ごとの制作費がまったく違うんですから、ギャランティが10分の1以下だと、ぜんぜん拘束力が違うので。そこが難しいです。
──ダンサーまでお給料が出るというまでは考えていない?
それは今までも試みたんですけれど、不可能なんです。そのためにいろんな試みはやってきたんです。けれど、やっぱり結局演劇でテレビに出ていくとか、そういうふうにならないと。舞台芸術では食えない。
──ピーター・ブルックにしても、海外の演劇とか小屋代からプロデュースのお金はかなり行政の助成金なりが入ってきている。
アメリカは寄付金ですけれど。ヨーロッパはほとんど行政です。
──日本は行政の助成金はわずかながら文化庁のシステムはありますが、寄付金はなかなかないですよね。そうすると30年間やってきてもやっぱりそこにおいては難しい。
変わらないですね。逆にいろんな小さな財団があるのですが、30年もやってきちゃうと、若手の助成になりますから、勝手にやってくださいとなってきてしまう。若手支援と銘打ってしまう。そのほうが解りやすいですから。ですから、30年続けているパパ・タラフマラは居場所としてはどこからもはじかれる羽目に陥る。
──そこで、一旦パパ・タラフマラという上着を脱ぎ捨てると。
こういう状態で公演を一気に4作品やる。その前からシンポジウムやトークなどいろんなことをやって、3月に向かっていくということなんです。3末には解散します。パパ・タラフマラがなくなるということです。なおかつメンバーも一応は自由になります。今もフリーでみんなやってますけれど、ただここに所属しているので、パパ・タラフマラがなにかをやるといったときにはそれなりの拘束力はあるわけです。
──制作部はどうするんですか。
残ってほしいですね。それはやっぱり切り離してしまうと、その後の継続が難しくなってしまうので。
──名前は変わるけど、ここの制作の事務所と稽古場は残したいと。
研究生がいまして、ずっとここで授業をやっていますし、貸し出しもしてはいるので、そういうスペースがないとやりにくくなってしまうので。
──そうなったら来年の4月からはなにになるんですか?
たぶん個人カンパニーという形をとるか、小池博史カンパニーになるのかプロデュースになるのか、そこはもっと自由になっていくと思います。同じことはやりたくないし、まあ、できないでしょう。
演劇をやってる人は舞踊をできない、踊りをやってきている人は演劇ができない
──多少疲れたとも言えるんですか?
私自身は疲れていないですが、今のシステムにはほとほと疲れたというか、呆れましたね。なんかもう、話にならない。
──チェルフィッチュとか、新しく出てきたカンパニーについては?
非常に変則的だと思いますね。カンパニーとして出てくるのは、全然問題ない。好みはありますよ。しかし、問題なのは圧倒的にメディアであり、批評眼です。あの閉塞感なものをいかにもメイン風に取り上げてしまう日本のメディアはどうなってんだ、とは思います。メディアも観客ももはや日本売りに走っている。
──彼らは確信犯ですよね。本質がスーパーフラットであり、日常の仕草のリピートみたいな演劇やダンスを見せる。
ただそれに周りがみんな乗っかってるというのがどういうことかということですよね。
──快快は?
僕はあまり見てないので解らないですが、ただひとつだけ身体の問題はあると思うんです。結局、みんなあんまりトレーニングとか好きじゃないんじゃないかな。ただただ体を鍛えこむのは好きだとしても、今あの年齢だったらそれでいいですが、あと10年したら持たなくなりますよ。
──そうすると、パパ・タラフマラはどこにいるんですか、そしてどこにいたいんですか。その多様性な表現のなか、例えば快快はダンサーとしての古典的な身体性自体は求めていないかもしれない。
まったく求めていないんじゃないですか。
──では、そこで身体性が劣ってると批評してもあまり意味がないのかも。ダンサー的な文脈での身体性がチェルフィッチュの偏差値が劣っていても、彼らにしてもそんなこと言われてもって感じですよね。
ですから別にそこを問題にはしてないんですよ。感想は持ちます。ですが、問題なのは彼らではなく、彼らを取り巻く取り巻きです。取り巻かれることで、今の日本、悪くしかならないよ、とは言いたい。
さっきから言ってることなんですけど、やっぱり僕らは端っこに立ってきたんです。端であるということ、それはつまり演劇と舞踊の境界であったり、オペラだったり、そういう境界線の上に立つと、それが美術なのか舞台芸術なのか音楽なのかということを含めて境界線に立とうとしてきたと。ただ境界線に立とうということ自体がもう難しくなりつつあるという現実があります。
──それは逆に境界線自体が世の中から消えていっているから?
消えているんじゃなくて、逆にはっきりとしだした。
──例えば音楽シーンだったら一言でオルタナティブ・ミュージックやパンク・ミュージックっていったってそのなかですごい幅があったりするし、音楽のジャンルの境界というのはヒットチャートに載る載らないという境界はあるのかもしれないけど、ジャンルとして……。
音楽とか美術とかはなくなってきているんですよ、もちろん。でも、どうかな。ホントにないのかな?
──演劇とダンスだけがあるんですか。
ありますね、なんでだと思いますか?体の難しさなんですよ。体というのはそれだけ非常に難しいということ。例えば演劇をやってる人が舞踊をできないんですよ。でも踊りをやってきている人は演劇ができない。
──でも境界に立っている演出家なり小池さんが、そうやって言い切るのはいかがものかと思うんですが。
僕が言ってるんではなくて、一般的には、大学でもどこでも教える人がいない。まず教えられない。例えばバレエの人がバレエ以外のことを教えられないんです。だからそれは、結局どこの教育機関でも劇団でも、そこで教えられないということというのはすごく大きなネックになってしまって、例えばみんな舞台芸術というけれど、そういうものは実は存在していないですから。踊りか演劇なんですよ。だから本来舞台芸術でいいはずなんです。ところが、そこで非常に大きな壁というのが、身体でもってある。
──それってすごく近代的な分け方じゃないですか。境界に立とうとする小池さんらしくない。
そうですよ。僕が言ってるわけじゃないんです。僕はまったく逆を言ってるんです。一般的にはどうしてもそうなっていってしまう。最近、教えている県立芸術高校には舞台芸術学科があるんです。創立10年目なんですけれど、舞台芸術学科があって、本来は混ざり合ったいろんなものができるように育てたいんだけれど、先生が「できないんです」というわけです。つまり演劇をやってセリフの稽古をやるか踊りになってしまうか、どちらかになってしまう。ぜんぜん混ざり合わない。
──ひとつのルールができているからね、きっと演劇だったら台本があってそれを覚えて読む。ダンスはいちおう振付がある。世界中では30年以上前からそのミックスって当たり前じゃないですか。
まあ、80年代~90年代前半くらいまでは期待があった。良くなっていくに決まっているだろうと思ったら、日本では良くならない。それが現場としてはすごくいらいらさせられるところですね。
──快快を去年池袋で観て、チャラチャラしているやつらだなと思いつつもきちんと作品にはまとめあげる力はなるほどと思ったし。
ですから演劇という文脈であれば、才能さえあればできるんです。ただ、誤解されそうですが、踊りばかりか、からだを使う言語というのは一朝一夕にはできない。ここはかなり過酷なのです。軸に置いているのは、語る言語だとすれば、文学プラスアルファでできなくもない。そのポイントに身体の基軸があるとするなら、意外に簡単です。本来であれば、人間というのは動く体と歌う体、語る体……広げて広げて、獲得すれば可能性は相当、広がっていくのですよ。僕はね、やっぱり踊れる体を手に入れて欲しいと思います。でないと、そこから先の言語の獲得は本当に難しい。枠内でやりたいなら別ですよ。なにも言わない。まあ、それは天井桟敷も一緒だと思うけど。
──天井桟敷って、今でいう舞踏的なことはやってなかった。どっちかというと演劇的な身体表現だった。だから踊りじゃないよね。
そこから先というのがあるだろうと思ってやってきたんですね。例えば演劇的な身体はある程度トレーニングすればできる。でも、演劇的な身体から踊る身体になろうとすると、ある程度を越えないといけない。そうすると、すごい大きな壁があるんです。逆にね、踊る身体しか持っていない人は、そこから演劇的な身体に降りられないんですよ。
──じゃあパパ・タラフマラはどちらの身体なんですか。
両方をトレーニングしますから、両方です。それができないとだめというところではじまってるので。
──演劇的な身体と舞踊的身体両方兼ね備えたパフォーマーを育ててきたと。
そうですね。
──今の現状を見ると演劇的身体で成立しているカンパニー、グループもあるし、かといってバレエのようなまったく古典的な舞踊的身体を極めている世界もある、というのが小池さんが見る日本ですか。
もちろんコンテンポラリー・ダンスをやってる人たちもいますし、多様ではあるけど、もっともっと多様でいい。
──それは舞踊的身体で演劇的身体ではない?
少しは入り込んでいますね。でも本当にコンテは壊滅状態ですよね。演劇のほうが客は来ますからね。やっぱり生きていけない。解りますかね。
──会社経営に例えるならば、理想は解りますよ。演劇的身体を持った俳優と舞踊的身体を持ったパフォーマーを育ててきたと。けれどお客さんは演劇のほうが入るとおっしゃるなら、演劇の枠組みで公演を作ればいいんじゃないですか。
それは、結局どういう作品を目指すかなので、ただ単に市場経済に嵌ればいいじゃない?と言われてもね。
──でも別にお客に媚びることなくやりたいことをきちんと舞台の上で見せれば、お客は演劇として見るのかコンテンポラリー・ダンスとしてみるのか、そんなに意識していないでしょ。それがお客さんが「ダンスっぽいね」「演劇っぽいね」「良かったね」ということだけじゃない。
そうですよ。だから、それはそれでそういう風にやっていきますけれど、ただ言ってることは伝わってるかな。
──演劇的身体と舞踊的身体を持ったパフォーマーを小池さんは育てていきたいと。舞台でふたつの身体性をひとりのパフォーマーがふたつの身体性を持っていて、ステージ自体も演劇的であり舞踊的である公演をしていきたいと。
そうなんですけれどね。ふうん。あくまで一般的な話をすると、そこにとてつもなく大きな壁がそびえているんです。さて、解散しました、いろんな人とやりたいですねえ、と言ったとしますね。ですが、実は思い描いたことをできるパフォーマーはあまりいるものじゃない。できないんです。何人かで一緒にユニゾンみたいな動きをこれだけやってくれといってもできないですよ。2ヶ月稽古したぐらいではできっこないから。できっこないことってあるんです。できることだってありますよ。それはちょっとした動きを踊り的に見せることはできますから。それは2ヶ月くらいでもできる動きはあるけど。
──僕が聞きたかったのは、身体性がいわゆるクラシックバレエだと非常にストイックなひとつのメソッドの、ルールのなかでやっていく。一方演劇のほうでは、日常を演劇のステージに持っていく、だから声も張らない。小劇場用の技術も進んだのでガンマイクやピンマイクを使い、ぼそぼそという声がきちんとスピーカーで聞こえるようになっている。身体性が欠落しているのは僕も感じるけれど、でもそれが今だと言えば今かもしれない。そのストイックに体を鍛える演劇的な鍛え方、舞踊的な鍛え方、どちらでもいいんだけれど、そこに体を鍛えるというのは、ボディビルダーじゃんって、その筋肉を褒め合ったところで意味ないんじゃないの、というところまできているんじゃないか。
ただね、そんな日本の中だけの理屈を言ってもしょうがないと思うのだよね。もっと世界を広く見ようよ、って思いますよ。からだのない舞台なんて、ね。今は海外の連中も不思議だから面白がって見ているでしょう。日本の中だって同じ。珍しいからね。でも珍しいから良いわけじゃない。基準をどこに持ってくるかなんですよ。世界に置こうよ。それも時代を超えて、って思うんだよね。昔、寺山修司がいろんなことをやってきました。何が見れたのか、何を見せることができたのかというと、やっぱり身体の迫力が超えたんだよ。
──天井桟敷を今風に言えば、Final MediaがDOMMUNEだとしたら、FINAL THEATREだった。
あれは圧倒的に身体のエキゾチズムですよ。
──それはちょっと違う。例えば僕が東京に来たときに「盲人書簡」というのを法政大学でやったんだけど、あれって真っ暗闇だから。身体もなにも顔も見えないよ。完全暗転でずっと最初から最後までやるんだから。そうすると身体表現っていったって、まず視覚的にはマッチ擦ってる間しか見えないんで。擦り方が身体表現といえば身体表現なんだけれど。
言いたいことが違うんだな。それはそうなんだけれど、いちばん彼らにしても受けてきたというのが、「奴婢訓」とかでしょ。日本というよりヨーロッパで。ただヨーロッパ自体はあまり好きじゃないけど、なんで好きじゃないかといったら、基本彼らはエキゾチズム好きだからね。まあ、植民地主義が臭ってくるからなんです。エキゾチズムというのは彼らの中にない欠け落ちた文化のことです。彼らの文脈にない、‘当時の日本’の文化性だからね。今、ティピカルな日本ってなにかといったときに、そうしった身体不在というのが「これは日本なんだ」って見れるわけです。
ただ、桟敷の身体は、やはり凝視すべき身体だったと思いますよ。外部に放射される脅威があったと思う。ところが今は内側に籠もっていく身体性です。マイクなんか通されてぼそぼそ聞かれても、体の迫力や体の持つ根元的な力は観客の身体の内部には通らないですよ。ただの頭だ、見えてくるのは。
──それは借金がないなら、解散がいちばんいいですよ。
作品自体には飽きてないですよ。
──システムを維持することに飽きてきたわけでしょ。
それはありますね、飽きてきたというよりは疲れてきた。
──それはぜんぜんいいんじゃないですか、葬り去るというのは。そうじゃないとどんどん疲れが加算されていくだけなんで。
だからある程度自由になったところで、自分自身から物申すじゃないけれど、もっと言葉を発信していくとことをやっていきたいと思います。
感性の領域と頭の領域をきちんと繋ぐような作品を目指す
──それでは質問を変えて、小池さんはなんで端、エッジにいたいんですか?
それは文化ですから。文化というのはそういうものだと思ってやってきている。
──でもその文化を日本ではなかなか興行というかたちのお客さんの動員で測れない。
難しいでしょうね。ただ今回の公演は動員で成り立たせないとしょうがないと思っているんですけれど。4作品とも動員で成り立たせますが、ただものによっては動員だけだと成り立たないし、基本的にそれこそ桟敷にしても60年代から70年代あたりにやっていたものというのは、時代の雰囲気というのもあって、僕たちもそうですけど、ギャラなんて80年代90年代中頃まで一切出したことないですから。でもそれ以降出さないと誰もやりたがらなくなってきて。できないという状態になってきていますよね。
──なるほど。でも市場の原理でいくと、厳しい言い方をすると、例えばうちなんかでも映画の配給をやっていて、どんなに良くてもヒットしないこともある。そうするとやっぱり日本のお客さんに受け入れられなかったり、あるいは自分たちの宣伝の方法が合ってなかったというのを反省するしかない。作品が悪いとは思わない。でもちゃんとリクープできない映画の配給をした場合にはやはり、日本のお客さんにどう伝えきれなかったのかとも思うし、反省はするんだけどね。
だから作品は問題ないけど、エッジにあるものを面白いって見る土壌が今の日本にはあまり育っていってないことは解ります。
ですから海外ばかりになっちゃいますよね。海外からの引きは相当ありますから。このところはずっと海外、年3回くらいのツアーをやってます。
──それはある程度お金が入ってくるんですか?
入ってくる場合と入って来ない場合がありますね。入らないとなっても赤字になってはやりませんので。
──なるほど、で3月までやって、それで4月から新生パパ・タラフマラではないんだ(笑)。
それは違います。
──制作部はいてほしいと、で、プロデュース公演になるのか自分ひとりでなにかやりだすのかというかたちで2年くらいやって、これじゃあ日本のパフォーミング・アーツのシステムは変わらないだろうと。
日本人全体が行き場がなくなっている。
──えぇ、そうですか。でもチェルフィッチュにしても元気じゃない。
そういうことを言ってるんじゃないんですよ。とにかく閉塞感がすごくあるんですよ。
──言わんとしていることはなんとなく解るけど、具体的にはどういうことですか?
なんでも今の政治でもいいし。
──政治はまったくだめですよね。
政治もそうだし、例えば原発事故にしてもそうですけれど、これだけの時間が経って何が動いてるかも解らない、今現在のことでいうとそうですよ。あと美術界にしても、舞台芸術界にしても、面白くないんです、自分としては。面白くないといってるのは、もっと根っこがはっきり見えるようなものが出てこないというのは。
──ぜんぶがそうですか。
ぜんぶじゃないと思いますけれどね。
──でもかなりの部分で日本は閉塞状況にある。でもそれって、わりと当たり前に言う、どんなおじさんでもおばさんでも、あるいはバンドにしても演劇やってる人でも、表現に関わる人にとって日本は閉塞感があるって当たり前じゃないですか。
10年くらい前から特に感じるようになりましたね。だって海外にしょっちゅう行ってるとすごく苦しいじゃないですか。感じないですか?
──言ってることは解るんだけど、僕は天邪鬼だから。日本が閉塞してるというのはあらゆる人が言ってることなんで。十把一絡げで日本は閉塞的と言っていいんだろうか、果たしてそうなのかというのは異を唱えたい。
まぁいつも浅井さんはそうだよね(笑)。いつもそのレトリックだなと思って(笑)。でもやり続けているのはそこなんです。そこで風穴を開けたい。
──閉塞感を理由に解散というのは、逃げてるだけではない。
やっぱりね、なにがいちばんインパクトを与えられるかなんですよ。例えばタラフマラは解散に向けてこういうことでやりますというじゃないですか。そうするとインパクトだけはすごく強いみたいですね。インパクトがあるならば、それをきちんと僕たちが利用するというか、考える契機にはできるだろうと思うのですね。語る場をもっともっと作ったほうがいい。僕自身も語っていく。いろんな手段を講じながら語っていくことをやらないと、やはりなかなかぜんぶ吸い込まれていっちゃう感じがするんです、何をやっても。最近だと。ですから一度きちんとこういう何か物事を変える、自分たち自身のパラダイムを変えることを提示しないとなかなか難しいんだという気がしますね。
──それが自ら身をなげうって解散と。
30年なので、ちょっと切り替えるのにはいいかなと。
──はい、それはいいと思います。
(笑)面白いですね。
──原発も寿命40年といってるので、30年ひとつのカンパニーは長い。30年間続けていたのは小池さん以外は?
小川はそうです。でも小川(摩利子)は住まいがサンフランシスコですからね。
──距離を置いた存在。
旦那がアメリカ人だし、向こうなんでしょうがないですよね。
──実質ひとりで30年間やってるっていうことですよね。中小企業の社長としては、そこにシンパシーはすごく感じます(笑)。うちも24年だけど、創設メンバーもなにも、誰もいないですよね。もし海外にもし行くとしたら、どこの国がいいんですか?
どこでもいいです。ついこの間もヨーロッパに来いとか言われたけれど、そのときはひとりで行くことになるでしょうね。ただやっぱり、まだまだなんかできることっていうのが日本でもあるなと。
──それはなんですか?
それは作品なんですよ。結局自分が提示していくものというのが、やはり簡単に言えば感性の領域と、頭の領域というのがあるとすると、いまどっちかに別れちゃったという感じがするんです。それをきちんと交換できるような、そういう作品ってあんまり見ないので。そこをきちんと繋ぐような作品は十分まだまだ、大きな価値がこれから出てくるんじゃないかと思うわけです。特に311以降になると。
今回の公演以外に、10月には岡本太郎美術館で「太郎と踊ろう」というのがあって、太郎の美術は使わないですけれど、そういうのもあったり、本も出したいと思っていたり、シンポジウムやトークをやったり。ですからまだ具体的に決め込んでいないんですけれど、最後には音楽会みたいな、音楽家とはいっぱい付き合ってきているので、いろんな。彼らと最後にはいちどやりたいと思っています。
──実行委員の人も最近何回パパタラの公演を見てるか、他のパフォーマンスを観にいっているかですよね。それはしょうがないですよ、映画にしても日本のインディーズにしても、映画を作っている人が観にいっている。ライブにしても音楽をやっている人が観にいっている。もちろんファンもいるけれど、基本的には同じ。
ただね、すごく面白いのは、うちの場合のマーケティングをやってみると、実は舞台芸術のファンというのは2割なんですよ、音楽ファンが2割、映画ファンが2割、美術ファンが2割、見事なくらいバラバラに分かれちゃうんです。それは理想なんですけれど、何度も言うとおり、宣伝をどうやったらいいのかとか、だって普通だったら劇団をいろいろやっているところを使えばいい。
──たぶんえらそうなことを言うならば、演目の内容なり、時代へのメッセージ性を出すしかないでしょうね。劇映画の場合は、例えば『マイ・バック・ページ』とか内容が伝わってきますよね。でもダンスは演劇よりストーリーラインが弱いから、なかなか伝わってこない。だから何を観に行けばいいのかが、宣伝の部分で解ればいいと思います。「太郎と踊ろう」だと、どういうことが起きるのかなって思うけれど。
例えばスーパーデラックスでやってることはだいたい音楽とダンスと映像はだいたいミックスされている。入口が音楽であろうと映像であろうと、観るほうはもっと柔軟に昔よりはなっていると思うけど、ただ宣伝の仕方は難しいと思います。
だからある程度、たまたま偶然社会的な事件に乗ってしまえれば、例えばダムタイプでもいいし、あるいは山海塾だって。
──「パパ・タラフマラの遺言」というタイトルにして、1、2、3とやってみれば?
さすが社長!
──新作を観たいじゃない、でもこの30年間のなかのセレクトした演目をやるというなら、次の時代に残すパパ・タラフマラの遺言シリーズみたいな感じで、来年の3月はお葬式。なんかそういうカウントダウンがあったほうが人は観にいこうかなと思うんじゃないんですか。時代へ向けての伝えることは、解散がインパクトがあったんだったら。
参考になりますねえ。実行委員になってください(笑)。そもそも今年やろうとしていたこともあるので、それは形を変えながらどこかでやろうと思っていますし、やりたいことはいくらでもあるので、辞めるつもりはないんですよ。ただ、例えば本も含めてなんですけれど、やっぱり語らないとだめだと思いますね。つくづく。
──それは日本の政治家を見ても解るように、ことばでしか人はなかなか解らないよね。海外は政治家のほうが言葉が豊かだし。でもパフォーマンスや音楽はその言語がなくても、伝わる部分がある。
パフォーマンスに関してはいいんですけれど、その前段階、あるいはその後。
──でも僕が現役だった演劇の時代も、語っていたのは主宰者だけなんだよ。寺山さんにしても唐十郎にしても、佐藤信にしてもみんなしゃべりは誰よりも勝つ人ばっかりだったから。その語っていることに惹かれて集まってきたスタッフも多いし。
踊りがだめなのはひとつそこなんですよね。踊りの連中みんなしゃべれないですから。舞踏系は別ですけれど、いわゆるモダン系はだめですね。語る訓練ってぜんぜんやってきていないので、だから演劇のほうに行っちゃうんですね。お金も含めていろんなものが。これは日本人の話です、だって世の中どこでも世界的に活躍している連中というのは、しゃべれなかったら無理ですよ。舞踊だろうが演劇だろうが。ただ日本の場合だと、完全に演劇の方が言葉を持っているので。舞踊は、感性か頭かといったら、みんな感性でやってる、だからなんにも変わらないんです。そう思います。
──パパ・タラフマラは言葉を持ったダンス・カンパニーだったんだ。
ただ意識して語ってきてはいないんですよ。その頃というのはまずものを見せて判断しろとやってきたんだけれど、つくづく、だめだな、語らないとって。語ることということを一生懸命やろうと思っています。書くことも含めてね。
──それはすごく解ります。たぶん、当然昔より現実がマルチメディア化してしているので、エッジなものというものが、どんどんiPhoneのなかにもあったりする時代になってしまったから、何が端っこでなにがエッジかって、表現のなかでは以外に凡庸に見えたりするんだよね。表現の人がエッジだと思い込んでてやっているものが、現実のほうがもっとエッジなものっていっぱいあるじゃない。
そうなんですけど、ただこれだけ違うのは、体ってものすごく正直なんですよ。できないものはどうやってもできない。2ヶ月でできるというものもあるんだけれど、2ヶ月じゃ100%できないものも山のようにあるんです。だからそのあたりなんですね。どうしても。体からどうものを見ていくかということは今やらなきゃいけないと思っている。
つくづく30年やってきてアホじゃないかって言われますけれど、作品力って1割だなと。違うという人ももちろんいますけれど、自分が感激する人はそうじゃないんだけれど、一般的にみてるとそれよりは制作力のほうが圧倒的に必要ですね。同じようなレベルのものであるとすれば、ある程度のレベルまでいっていれば、あとはその先はいかに制作するかじゃないですか。
──演劇的なものと舞踊的なものを両方内包しつつやろうとしていたからというところもあるんじゃないですか。どちらか片方だけだったら行きようもあったと思うけれど、その両方って現実により近づいてくることだと思うんですよね。舞台に映像を使ったり音楽を使ったり踊りを使ったり、マルチメディアということは。ただそうすると現実のスピードがすごい速さでこの20年で変わっていっている。特に2000年代から。そこに表現が追いつくのが遅くなっている。マルチメディアの表現をやっているアーティストほどちょっと陳腐化してくる感じは、ちょっと感じますよね。
それはあるでしょうね。特に日本の場合だと、僕がいちばん思うのは、マルチって言ってますけど、一番多いのは、日本の演出家は耳が悪すぎだという感じがします。ですから、いろんな絵的にはまだ日本はビジュアルの国だと思うんですけれど、音の構成がとにかくできていないんですよ。ということは時間の構成ができていないということ。それは視覚も含めて。そこにいろんな要素、ストーリーとか踊りのテクニックとかそういうもので構成してしまえばまだ見れるんです。いろんな要素を入れるということは、あなたはどういった聴覚を持っているのか、視覚を持っているのか、五感全体を問われてしまうんです。そうするとそれだけに耐えうる演出家ってほんとうに少ないですよ。
──あと小池さんの持っているハッピーなユートピアというのと今の日本が少しずれてきているかなと。
それはかなりずれているでしょうね(笑)。作品によってはそうでもないんですけれど。
──だから舞台の上であっても、ちょっと遠くなっちゃってる気がする。
そうかもしれないですね。そっちに持っていくか、あるいはそうじゃなくて、まったく居場所がない状態になってくるか。本来は居場所のなさなんですよ。でも、そうばっかり持って行きたくないので、それを濁していくっていうような作り方はしますかね。
──でも居場所は解ってる。だから表現でなにを提示するかっていう、すごいお客さんと向き合ったときに、言葉じゃなく、どこで語り合うのかというところが、すごく問われる時代ですよね。
難しいな。というのは、私の大学の後輩で医者をやっている男が、タラフマラは例えば音楽でいうと、ソフィア・グバイドゥリーナや、デレク・ジャーマンと高橋悠治のデュオなど、そういった非常に複雑な構成を聴き取れるような耳があって、それを視覚を通して見るような頭があるか、そうでなければ、たとえば本当に子供のようにものを考えないで、ただあるものをストレートに見ていくか、そのどちらかじゃないと厳しいんじゃないかということを言っていたんです。
──そうじゃない人は、社会の刷り込みがあり、自分の本能で見ることもできず、かといってそういう芸術を理解する訓練もされていないということ?
まったくその通りなんです。
──ある程度マスに響くという事に普遍性を持つ作品でそこに伝わらないと、お客さんも増えないと思いますが。
それはよく解っています。それなりに意図的にときどきやってきてはいるんですけれど、そればっかりじゃあ、イライラしてくるからね。やりたいことしかやらないっていう場合のほうがずっと多いですけれどね。
(インタビュー・写真:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
小池博史 プロフィール
パパ・タラフマラ芸術監督。演出家・作家・振付家・舞台美術家・写真家、P.A.I.(パパ・タラフマラ舞台芸術研究所)所長。茨城県日立市生まれ。1982年パフォーミングアーツグループ『パパ・タラフマラ』を設立。以降、全54作品の作・演出・振付を手掛ける。パパ・タラフマラ以外での演出作品も多数。
パパ・タラフマラ公式HP
パパ・タラフマラ 2011年度 公演予定
2011年12月「三人姉妹」(2005年初演)上演
場所:北沢タウンホール(予定)
2012年1月14、15日「島」(1996年初演)上演
場所:森下スタジオCスタジオ
※ アメリカからグレディマリコ氏、招聘予定
2012年1月28、29日「SHIP IN A VIEW」(1997年初演)上演
場所:シアター1010
※香港からユンチクック氏、招聘予定
※アメリカからグレディマリコ氏、招聘予定
2012年3月上旬 「白雪姫」(2010年初演)上演
場所:北沢タウンホール(予定)
※インドネシアからアセップヘンドラジャッド氏招聘予定
岡本太郎生誕100年記念イベント
トークショー「TAROと踊れば」
2011年7月3日(日)13:30開場 14:00スタート
会場:川崎市岡本太郎美術館 ガイダンスホール
入場無料(要予約)
参加アーティスト:上田遙、小池博史、白河直子、舘形比呂一、伊藤千枝、広崎うらん
ダンス公演「TAROと踊ろう!」
2011年10月1日(土)、2日(日)
会場:川崎市岡本太郎美術館 企画展示室
【小池博史作品】
振付・構成・演出:小池博史
出演:白井さち子、南波冴、石原夏実、他
音楽:藤井健介
他、上田遥作品、白河直子作品を上演
お問合せ:アンクリエイティブ