「最近は山に行って石ころ投げたりして、その音録ってるんだよー」
そんな言葉を聴いたのは一昨年の年末だったか昨年始めだったか。
およそ一年ほど前に、Joseph Nothingさんからフィールドレコーディングによる制作に打ち込んでいると云う話を聴いたことがある。
実際その話を聴いたクラブで、彼はフィールドレコーディングによる音のみで作った楽曲でライブをしていたのだが、あれはまだプロトタイプだと聞かされた。
では、パッケージとして出る頃にはどんなことになっているのかしらん。
二枚組になるとも聴いて居たけれど、果たしてどんな世界が待っているのやら。
そんな個人的体験を交えた期待を胸にしつつ、夜に降るぼた雪の中をすり抜け、
辿り着いたはアップリンクのファクトリー。以前ここで映画を見た時のように、
着席、暗転、然る後に爆音開始。
映画館でありつつも手作り感のあるアップリンクの会場に、Joseph Nothingさんの新しい音楽が広がり、前作から共に作品を作り上げ、ジャケットデザインを描いているタカノ綾さんのチョイスしたイメージビジュアルが交錯。
ものごとの始まりを想起させるメロディ、白昼夢のようにローファイな質感。
さらっと聴き取れば正しく「楽園」と呼びたくなるような、
とめどなく湧き上がっては溢れ出る多幸感を四方八方に振り撒く音で満ちている。
シリーズ1枚目「Shambhala Number One」がシャンバラと呼ばれる楽園に対する「憧れ」や、「インスピレーションで描いた風景」を如実に表したとすれば、2枚目は「シャンバラ」に辿り着く術を知った、あるいは辿り着いたことで「嬉し泣き」をしているようにも感じられる。
こんなに素晴らしい世界がある、と伝えたくて堪らないような印象が非常に強い。
けれども、スクリーンに浮かぶ深海生物と共に底へ潜れば、可愛らしいメロディに思えたものの中には、古いテープの再生で起こるような奇妙で不安気な歪みを持っていることに気付いたり、ダウンテンポだと思っていたら実はメタルの音を細切れにしたもので組んだビートであったり。単純に美しいでは済まされないえげつなさと、思わず笑ってしまう音色の入れ方がやっぱりJosephさんの音だと感じる。
試聴会の後で行われたトークショーで、綾さんが述べていた「世界は美しいだけじゃなく、残酷なことや未解明なもの、不思議なこともたくさんある」と云う発言。
それに応じてJosephさんも「キレイなだけのものは、つい汚したくなってしまう」と云う旨の発言をしている。
以前よりもマイルドな作風に見えても、根底にはそうした「美しいものと汚いもの」「はっきりしたものと不明瞭なもの」、そして彼の原風景である「香港のような猥雑さ」は、今もしっかりと息づいていることに気付かされる。
ところどころ前作「Shambhala Number One」でも使われているボイスも入っているが、それだけでなく、さらによく聴けば彼がこれまでに発表していたアルバムの要素もチラホラと垣間見えていたり。
そして気になるフィールドレコーディングのみの音源が詰まった三枚目のCD
「Shambhala Number Three」は、本当にそれだけで作ったとは思えないほど、音程や音色の選び方が絶妙になされ、ひたすらに聴いていたくなるような、音が消える終着点まで追い続けたくなるような遠近感を持っている。
あのときプロトタイプとされていた音楽たちは、
シンプルな連続性と凛とした美しさを持った形で再び出会うことになった。
曲名の「YAP」は「日本人特有の遺伝子的特徴を表すもの」とJosephさんは述べていたが、
そこには日本人特有の「凛」で表現される、しなやかで、且つ緊張感の漂う空気がある。
何度もラフ音源を作っては緻密に編集した結果の作品であるとは思うが、それは「綺麗にまとめた」と云うよりも、「今はこんな音楽を作りたい」と云う彼の思いに対し、数年がかりで集められてきた音色が時間を経るにつれて呼応していき、さながら流れを為す糸やビーズが絡まり合うように、一つずつ曲が丁寧に織り上げられていると感じられる。これは彼が音源を集める場所としていた山奥の廃墟のように、朽ちた建材がパーツとして解体され、自然の成り行きと時間の流れの中で作り上げられた美しさと、空虚でどこか得体の知れない不気味さが、この三枚目のCDに宿っているからではないだろうか。
こんなにつらつらとタイピングを連ねつつも、時間にしておよそ30分程度だったか。
てっきりアルバム二枚を通しで聴くスタイルなのかと思いきや、
Josephさんによる特別なメガミックスで美味しいとこだけを抜き取ったバージョンが披露されていた。トークショーを含めておよそ二時間ほどであったが、そこからは実にたくさんの感情や情景を得られたことは幸運であった。御馳走様です。
なお、会場で披露された今作のアルバムジャケットは、「デルタUFO」を模したと云う事で、アルバムを広げると全面にタカノ綾のアートワークが広がった三角形になるという、素晴らしくゴージャスな仕様。ちょっと祭壇っぽくて素敵です。
Joseph Nothingとタカノ綾の二人が作り上げた「シャンバラ」に向かう乗り物は、
きっとデルタUFOが専用機でファーストクラス。
三角形を構成する点のうち、最初の二点は既に出来上がっている。
この音を聴き、ビジュアルイメージに想いを巡らせる人が居てこそ最後の一点が成り立つ。
シャンバラへ向かうデルタUFOはたとえGoogle Earthにはっきりと映らなくても、
この作品に触れた人ならば、きっとその点が成す繋がりを「感じる」ことはできるはず。