2009-03-29

なぜ私は人殺しじゃないのか このエントリーを含むはてなブックマーク 

 あぁ原爆・・
 げ・ん・ば・く。
 私たちが学校で教えられてきた歴史だと、原爆はアメリカが日本に落としたことになっている。別にいいよそれで。ここではそれを疑わない。アメリカが日本に落としたっていう前提でモノを語ることにする(いかなる反論も受け付けません)。
 私が言いたいのは・・もし日本が先に原爆作れていたら、チャンス見つけてアメリカ本土に落とそうとしただろうなぁ、ということです。
 で、もしそれがうまくいって、ラジオとかで「やりました神国日本。新型爆弾をアメリカ本土で爆発させました。これで勝利は間違いなしです」なんてニュースが流れたら・・
「ヤッター、ヤッター」だったろうなぁ。嬉しい気持ちがどっかんどっかん。ワールドカップで日本が初勝利あげた時(2002年日韓大会のロシア戦)、渋谷センター街とか六本木とかものすごい騒ぎになったけれど、たぶんそれ以上の大盛り上がりが、日本全土を包み込んだと思う。その歓喜の輪の中に、もしかしたら俺もいたかもしれないなァ・・あの時代の人間だったら・・(「いや、違う! 俺はあんな軍国主義の時代でも周りに染まらず戦争反対をきっと貫いた! 表面上は周りに合わせたかもしれないけど、でも心の中ではきっと、この戦争に日本の正義がないことを分かっていた、見抜けていた!」・・なんてこと、言わない。自戒を込めつつ、私は自分自身をその程度と見なすようにしている)。

 えー、では、もし私がナチス時代のドイツに生まれていたら・・あの当時の「ハイル・ヒトラー!」環境に育った人間だったら・・どうだったろうか・・ユダヤ人に対して、どんな態度を取っただろうか・・ゾフィー・ショルたちと活動を共にするとまではいかないにせよ、のらりくらりとでもいいから、ナチスへの非協力を貫けただろうか? ナチス・ドイツの狂信性をしっかり見抜けていただろうか? 「お前の家にユダヤ人逃げてこなかったか?」「いや、アッチに逃げていきましたよ(実際は屋根裏に匿っている)」
 そんな自分であってほしい気もするが、どうだか・・
「あの時代のドイツにいたとしても、俺はユダヤ人をいじめたりはしない! ナチスに突き出すとか死に追いやったりはしない! 俺がドイツ人だったとしても、ヒトラーばんざいの周りに染まらず、ナチスを倒すための活動をやった!」。そうはっきり言える人って、大したものだと思う。そんな断言には、多少危険な香りがしなくもないが・・つーか感心とか警戒してないで少しでもそっちに近づく努力をしろって話かも。近づく努力はじめよう。
 今の私は、べつにユダヤ人殺しの罪を負っていない。それは単に「生まれてきた時代が良かったから」で終わるのか、それともそうでないのか。答えはこれからの生き方で自ずと証明される・・のか? もう手遅れにはなっていないか? ・・そうだとしても、まぁいいさ。やれることからやることにする。

 ブッシュとか狂信イスラエル政府につながりのある企業の製品はやはり不買。たとえ今の私が地獄行き決定なんだとしても。

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菊田純一郎

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