映画『夏の祈り』より (c)2012 SUPERSAURUS
長崎にある、被爆高齢者のための世界最大の特別養護老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」では、入居者たちが年に数度、ホームを訪ねて来る小中高生のために自らの被爆体験を劇にして上演している。この原爆ホームに長期にわたり撮影を敢行し、被爆者の真の姿や次の世代へ伝えたいという思いを捉えたドキュメンタリー映画『夏の祈り』が8月11日(土)より渋谷アップリンクでロードショー公開される。
これまで数多くのTVドキュメンタリーを手がけ、今作が初のドキュメンタリー映画となる坂口香津美監督に、被爆高齢者と向き合い行った製作の裏側について話を聞いた。
制限のない自由を手に入れなくて何が自主映画かと思う
── 坂口監督が本作を撮ろうと思われたきっかけから教えてください。
今回は、テーマありきではなくて、撮影している過程で「核と人間」というテーマと出会ってしまった。元々、僕はテレビ屋で、長年、ドキュメンタリー番組の制作を続けていると、表現方法を巡って番組担当者との間で厳しいやりとりの局面も多くなる。テレビはチームワーク、個人の占有物ではない、テレビには近寄りすぎるな、と自戒を込めているつもりが、気がつくとテレビに期待以上のものを込めている自分がいる。1999年のとある夏の日、番組の収録を終えて飛び込んだ渋谷の映画館で僕は自分の運命を変える一作と出会う。
映画『夏の祈り』の坂口香津美監督
映画を作りたいと、その年の暮れには盟友のプロデューサーの落合篤子とともに制作会社スーパーサウルスを設立。処女作『青の塔』の製作に乗り出したんです。映画製作の知識も経験もないのに、僕は自分が監督をやる作品はすべて完璧にやりたいようにやらないと気がすまない性格。そうなると映画は完全自主映画ということになり、資金も自前、自腹となる。自腹で映画を作ることは資金的には困難を伴うが、制限のない自由を手に入れることができる。それをこそ手に入れなくて何が自主映画かと思う。
そして、映画製作の資金を捻出するために、またぞろテレビ局に自前の企画を売り込み、番組を制作し、それで得た資金で映画を作る。その繰り返しの始まり。テレビと僕とは今や腐れ縁、それでも細い一本の血管で繋がっている。そこから同時代の森羅万象、混沌とした要素をも注入して、その化学反応を愉しみながら番組を作ることになる。
そんな過程で、僕は一人の女性と遭遇する。日本テレビ「NNNドキュメント」に企画提案をし、採用され、仙台の児童養護施設の番組のディレタターとして取材中に同施設のスタッフから次のような言葉をかけられた。「長崎のU養育院(児童養護施設)に行ったことがありますか? そこでは原爆で大勢の子どもたちが亡くなりました」。その言葉を聞いて数日後、僕は長崎に飛んでいました。
──取材対象者と出会ったことでそのまま映画製作に突き進むことになっていくんですね。
はい。U養育院に赴くと、一人の被爆者の女性、この映画の主人公の本多シズ子さんが僕を待ってくれていました。「どこにお住まいですか」と訊ねると「原爆ホームです」と言う。原爆ホームという不思議な名称にまず惹かれ、本多さんに導かれるように原爆ホームを訪ねていました。本多さんに出会わなければ、「核と人間」をテーマにした本作は生まれていません。
実際の撮影は、2009年2月のとある日の未明、世界最大の被爆者専用の老人ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」に向かう移動中のタクシーの車内からカメラを回し始めました。
── 監督も撮影もご自身でやられていますが、その理由は?
予算の問題です。自分で撮影するとその分、予算を切り詰めることができる。ただし、短所もある。視点が単眼になるということ。
映画『夏の祈り』より (c)2012 SUPERSAURUS
──撮影スタッフに心を許していないと撮れない場面もあったと思います。坂口監督がそこまでの関係になれたのには理由があったのでしょうか。
ドキュメンタリーの撮影において重要な点は相手との信頼関係ですが、これは最初からあるわけではない。撮影中も、撮影後も、そして公開中も、公開後も、作品が存在する限り続いていくもの。信頼関係の構築と熟成は双方に課せられる。平たくいえば「相手(取材対象者)を好きになれるか」どうか。なぜ2年間もの間、原爆ホームに通ったのかと問われると「原爆ホームが好きだから」ということに尽きる。好きだから、こちらも心が開くし、相手も少しずつでも心を開いてくれるのだと思う。この好きという感情はいかなる苦しみをも乗り越える力の源泉になる。
では、なぜ僕は原爆ホームが好きなのだろう。そこには被爆という想像を絶する体験、心身の苦痛を持ち続ける人々が体を寄せ合うようにして晩年を生きている。彼らの中にある寛容とも呼ぶべき比類なき深い精神性が他者を受け入れる素地として時間をかけて培われて今ここにあるのだと思う。彼らの中にいる時、僕は絶対的な安心感、心が浄化されるような感覚を得る。それが自然と伝播して、僕が手にしたカメラの映像に自然と映しこまれていくのだと思う。
入居者にとって被爆劇は自らのアイデンティティの再検証なのだ
── ホームにいらっしゃる被爆者は自らの体験を次の世代に伝えたいという強い気持ちがあるのではないでしょうか。
そう思います。最初は入居者のそんな内なる思いを受け止めた職員によって入居者全員に聞き取り調査が行われた。それは「被爆」という書名の4冊の単行本に結実した。その中に本作の主人公の本多シズ子さんも登場しています。「被爆」が発端となって、それを原作にした被爆劇が年に一度のホームの文化祭で演じられるようになる。いつもは平穏な日常生活を営む入居者が年に数度、ホームを訪問して来る小中高生のために被爆劇を演じるようになると、被爆劇は新たな意味を獲得していく。
お年寄りたちが演じる被爆劇を子どもたちは涙を流して食い入るように観る。その涙を僕は撮影している訳ですが、撮影の初期と後半とでは、子どもたちの涙の捉え方が僕の中で変容する。いずれも被爆劇を観て流す感動の涙という点では同じでも、劇を演じるお年寄りの姿を凝視すると、それが単に子どもたちに感動を与えるためというような次元ではないように思えて来る。ホームでは死が身近にある。本作に登場している原爆ホームの被爆者はすでに43人(2012年7月末現在)が亡くなった、という厳粛な事実がある。
映画『夏の祈り』より (c)2012 SUPERSAURUS
4人部屋で死が身近にある入居者にとって、自らの心身に深く刻まれた被爆の記憶を発露することなく、自らの体内に蓄積したまま死を迎えるということは我慢ならないことなのだ。入居者にとって被爆劇はたかが演劇では済まない。自らのアイデンティティの再検証であると同時に1945年に受けた被爆の記憶を発露せずには死ねない。それどころか命がけで次の世代に伝えなくてはという強い意志を帯びたものとなる。子どもたちを前にして原爆で傷ついたDNAが騒ぎ立てるのだ。そのために鬼の形相になって被爆体験を訴えることになる。そして、そのあまりの迫力に子どもたちは畏怖の念を感じ、涙を流すのだ。
今日まで過酷な運命の歯車を回し続けて来たお年寄りたちが、その歯車を回し切ることこそが生き切ることなのだと自覚して最後の儀式に挑んでいるのです。
──足繁くホームに通うことで発見したものを昇華して撮り続けていったのですね。
はい。2009年2月から2011年2月まで、2年間にわたり、原爆ホームに通い、カメラを回し続けました。一本のドキュメンタリー映画にとってその期間が長いか短いかはわかりません。ただ、それだけの撮影期間がなければ真実は見えて来ませんでした。思えば、最初に本多さんにお会いした時、すでに彼女は本作のテーマ「核と人間」の核心を負っていたのです。
最後の撮影を終えて帰京して数日後、大地を揺るがす長い地震が起こった。その後、発生したフクシマ原発事故。僕は本作がフクシマ311以降の日本と日本人の行方を見つめる重要なテキストになると確信しています。
彼らは生涯に「二度の被爆」を受けたのだと思う
──原爆ホームが施設内で被爆劇などの活動を続けてこれたのは、長崎という地域とカトリックの関係が影響しているのでしょうか。
影響していると思います。450年前、長崎の地にカトリックが伝わり、異端の宗教として厳しい弾圧を受けますが、決して屈せず、信仰を守り通した信徒たちの強い祈りがなければ、カトリックはこの地に根付いていない。恵の丘長崎原爆ホームの創設者はカトリックの洗礼を受けたシスター江角ヤス。自らも被爆者で、13歳から16歳まで教え子の女生徒241名を原爆で失った純心女子学園の校長でもあったひと。シスター江角が原爆ホームを原爆の悲劇と核廃絶を世界中に訴えるための発信地にするのだという理念なくして、被爆劇の上演活動等はあり得なかったと思う。
映画『夏の祈り』より (c)2012 SUPERSAURUS
ちなみに、江角ヤスは、自ら被爆し、精密検査を受けるために行った原爆病院で、原爆孤老(原爆の被害により、独り暮らしを余儀なくされている老人)たちの悲痛な叫びに触れるうちに、被爆によりに傷ついた心身を癒すには何より自然環境が大切と思うようになっていました。そこでホームの設立場所に選んだ三ツ山町は、純心女子学園の疎開地、研修の場でもあったところ。単なる老人ホームとしての機能だけでなく、老人たちが女生徒らと交流することによって、人間的、教育的な場としても活用する。そういった理念を求める施設であるからこそ、被爆劇を17年間も続けることができたのだと思います。
小学6年生からの子どもたちに特に観て欲しい
── 撮影されていたのは311の前ということですが、撮影後、内部被曝の話題が、自分たちの身近に現れてきたということを監督はどのように感じましたか。
本作にも登場する長崎大学の病理標本保管室にある、被爆直後に採取されたおびただしい数の被爆者の臓器を僕が外部の人間として初めて撮影したのは2010年10月のこと。その時、僕は研究者に「内部被曝と外部被爆について小学6年生でもわかるようにカメラの前で説明して欲しい」と注文を出した。内部被曝、外部被爆という言葉は当時、専門家や研究者の間だけでしか使われない特殊な言葉だったと記憶している。
それが、撮影から半年後、311が起こり、外部被爆、内部被曝の言葉は広く国民に一般に知られているどころか、生命の根源をも脅かす恐怖の言葉としても十分に認識されている。その事実に正直、驚いています。
生存する広島、長崎の被爆者にとって311は特別の意味を持つ。一度目は原爆で被爆し、二度目はメディアを通じてであれ、自分たちが生きている時代にこの国で決して起こってはいけない最悪の出来事が起こったのだ。彼らは生涯に「二度の被爆」を受けたのだと思う。
最後に、本作は小学6年生からの子どもたちに特に観て欲しいと思う。日本人は修学旅行で小学6年生から被爆地広島、長崎を訪れます。年間に数十万人の修学旅行生が訪れる広島と長崎。本作が、12歳で最初の原爆体験をする子どもたちの心に鮮烈に響いて記憶される作品をと願って作りました。これから時代を変えていくのは次世代の子どもたちを置いて他に無い。その子どもたちに観て欲しい一心で、原爆ホームのお年寄りたちは命がけで被爆劇を演じるために小さな舞台に立つのですから。
(インタビュー・文:駒井憲嗣)
坂口香津美 プロフィール
1955年 鹿児島県出身。早稲田大学中退。これまで若者や家族をテーマに、約200本のTVドキュメンタリーを企画演出プロデュース。最近作は、NNNドキュメント08「血をこえて~我が子になったきみへ」(日本テレビ)、NNNドキュメント10「かりんの家~親と暮らせない子どもたち」(同)等を手がける。著書に、小説『閉ざされた劇場』(1994年、読売新聞社刊)。監督作に、映画『青の塔』(00/第34回ヒューストン国際映画祭コンペティション部門 Silver Award受賞)、『カタルシス』(02)。両作品は日本とドイツで劇場公開された。劇映画監督3作目となる『ネムリユスリカ』は昨年公開(オンリー・ハーツよりDVD発売中)。センセーショナル且つ詩的な映像に、海外メディアから高い評価を得た。本作が、映画では初のドキュメンタリーとなる。
映画『夏の祈り』
長崎セントラル劇場にて先行上映中
8月11日(土)より渋谷アップリンク他にて全国ロードショー
監督・撮影:坂口香津美
ピアノ演奏:小林愛実
フルート演奏:新村理々愛
語り:寺島しのぶ
プロデューサー:落合篤子
音楽:日高哲英
音響デザイン:長嶌寛幸
編集:坂口香津美、落合篤子
製作・制作:スーパーサウルス
配給:ゴー・シネマ
2012年/日本/95分/カラー
公式サイト:http://www.natsunoinori.com/
▼映画『夏の祈り』予告編