骰子の眼

cinema

東京都 千代田区

2013-07-19 17:57


この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです

『ひろしま 石内都・遺されたものたち』リンダ・ホーグランド監督インタビュー
この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
『ひろしま 石内都・遺されたものたち』のリンダ・ホーグランド監督

日本のアーティストが60年安保当時戦争をどのように作品に描いたのか問い正したドキュメンタリー『ANPO』のリンダ・ホーグランドが、新作『ひろしま 石内都・遺されたものたち』を完成。2013年7月20日から8月16日まで岩波ホールでロードショー公開される。『ANPO』にも登場する写真家・石内都さんが2011年10月、カナダのバンクーバーにあるMOA(人類学博物館)に行った個展の開催までを記録したドキュメンタリーだ。制作の過程だけでなく、写真展に訪れた人々の声を集めることで、カナダという国と原爆の関係、ひいてはアメリカという国のアイデンティティについて浮き彫りにしている。第13回東京フィルメックスでの上映にあたり来日したリンダ・ホーグランド監督に話を聞いた。




「この映画を観るまで原爆投下の正当化を信じていた」と言われた

── 東京フィルメックスでの上映の反響はいかがですか?

上映の後、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館での石内都さんの展示の際にも先行上映を行ったのですが、そこにも広島から観にきた方がいらっしゃいましたし、京都や大阪からも来てくれました。トークのQ&Aの際、真っ先に立って「私は被爆者の娘で、父親が酒乱で死ぬまでぜんぜんコミュニケーションとれなかったんだけれど、8月にこの映画のテレビ版で初めて観て、父親と向き合おうと思った。写真を集めて、原爆平和祈念館に寄贈したばかりです。映画を観ていてずっと父親から『ありがとう』と言ってもらってるような気がする」とおっしゃっていました。

それから、今作のカメラマンの山崎裕さんからも、広島の方が父親の遺品を寄贈しようか泣きながら話していた、という話を聞きました。被爆者のご子孫にとってはものすごく親密な体験のようです。

── それは思い出と、物しか持っていない遺族の方が、この映画を観て「物にこんなストーリーを伝える力があるんだ」と発見したからではないないでしょうか。石内さんはそれを写真に撮ったわけですから。

丸亀での上映で思いがけなかったのは、「あの息遣いは、亡くなった人が蘇った息遣いと解釈したんですけれど、それでいいですか」という質問でした。作った側としては、石内さんのスピリットなんです。でも私は作品に独り歩きしてほしいから、もちろんそういう風に聞こえたらば、それが正解なんですと、言ったんですけれど。欧米人の霊感と日本人の霊感は違うんだなと思いました。この映画は、日本でちょっとでも霊感に敏感な人には、異なるかたちで受け止められるかもしれないです。

── 映画『イヴ・サンローラン』もパートナーが遺品を売ってしまう話でした。大切な人が亡くなりすぐに競売にかけるという習慣にはすごく違和感を覚えました。日本人はすごく大切に思い出のものをとっておくから、その違いはあるかもしれません。

フィルメックスの上映の翌日、ベルリン国際映画祭のディレクターであるウルリッヒ・グレゴールご夫妻とお会いしたら、ご主人には「とても知的で洗練された映画」と言われて、奥さんには「私はずっと、終戦に向ける術として原爆投下の正当化を信じていた。でもあなたの映画を観て、私の心は大きく動いて、悲惨な映像で見えなかった災いが初めて見えたから、感謝します」と絶賛されたんです。

── 僕らからしたら最もリベラルなセクションと思っていたベルリン映画祭のフォーラム部門のディレクターの奥さんがそう思っていたなんて、ちょっと驚きました。

ベルリンはナチスが悪いことをしていたから、という複雑な思いがあるのかな、とも思いました。

この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』より © NHK / Things Left Behind, LLC 2012

『ANPO』で原爆のトラウマから抜けていなければ、この映画は撮れなかった

── フィルメックスのチラシのディレクターズ・ノートで、戦後日本で暮らしていて、日本人に申し訳ないというリンダのトラウマをこの映画で解消した、ということが書いてあって、そこまで日本生まれのアメリカ人のリンダが、なぜ苦しまなきゃいけないのか。もう大丈夫だよ、と言ってあげたいくらいに思いました。

私はアメリカの宣教師の娘として日本の公立の学校に通ったために、子供の時に「ヒロシマ」に直面することになった。4年生の授業で、先生が黒板に白いチョークで「アメリカ」と「原子爆弾」と書いた時、私はクラスでただ一人のアメリカ人だった。40人の日本のクラスメートは、一斉に振り返り、私を見つめた。その瞬間は、映像というよりはむしろ心情として、記憶に強く焼きついている。その時の机の形はもう覚えていないが、罠にはめられた気持ちの輪郭は、今でも確かに辿ることができる。私の祖国は許されないことを行い、私は自分ひとりでその責任を負わなくてはならなかった。クラスメートの無言の不信から逃れ、二度と顔を合わすことがないように、机の下に穴を掘りたくてたまらなかった。本作はその穴からの出口の模索の結晶とも言える。(フィルメックスのチラシのディレクターズ・ノートより)

── リンダ監督にとって、原爆の話を聞いた小学4年生の出来事は、やはりすごいトラウマなんですか。

そうでした。でも、この映画で、もうそれは終わりましたよ。実は『ANPO』の広島の上映会で終わっていたんです。私の初監督作品を広島の人たちが他の誰よりも熱く歓迎してくれたときに、私の肩から重荷を下ろしてくれました。だからこの映画を広島に撮りに行ったときに、普通の街として普通にロケハンできたんです。たぶんトラウマから抜けていなかったら、これは撮れなかったかもしれない。抜けて冷静になって、じゃあ他の人にもどうやって広島と向き合えるかという手段として、石内さんの作品と私の映画が作れたんだと思います。

── 石内さんの展覧会をバンクーバーでやるというのは、北米、カナダの人に観てもらいたい、というプロジェクトですよね。この『ひろしま 石内都・遺されたものたち』は、既に放送されたNHKのテレビ・バージョン、さらに海外バージョンもあるというお話ですが、『ANPO』がトラウマから抜け出すために作った映画だとしたら、次にリンダとしては自分の作品をどこに向けて作っているのかな、と思いました。

基本は北米人へ向けてです。だから逆に日本人の方があれだけ感動していただくと、反応が違うんだな、と感じました。ましてや被爆者のご子孫がこの映画をどう受け取るか、申し訳ないけれど、そこまで考える余裕がなかったです。

── 上映後のトークで「カナダに感謝」とお話されていましたが、アメリカとカナダは当然違う国ですよね、そこは大きいですか。

根本的なアメリカ人のアイデンティティって、どんなリベラルな人でも、他の国民より偉いと思っているんです。英語でエンタイトルメント(entitlement)という言葉があるけれど、アメリカ人はなにやってもいい。だからオバマも、平気でドローン(無人の偵察・攻撃機)で3千人の人間を殺している。でも『ひろしま』を観るとそれが問題になるんです。やっぱり偉くなかったんだ、悪いことをしたんだ、と。ゆらぐんです。でもゆらぎたくない。

── でも、石内さんの写真はレイヤーをひとつふたつ重ねたところで見ているから、バンクーバーで受け入れられるということですか。

カナダはアメリカじゃないですから。根本的に違いますよ。映画に登場するジョン・オブライアン教授も、アメリカにはああいう冷静に、カナダも原爆に加担していた、ということを知的に話してくれる先生はなかなかいないんです。もちろんリベラルな先生はいるけれど、啓蒙的になってしまう。

── 啓蒙というのはアメリカのリベラリズムを啓蒙するということですか?

いえ、アメリカが悪かったとは言うんですけれど、その主張があんなに静かではないんです。ガンガンお説教するみたいな感じ。アメリカのなかでそういう人々は居場所がないんです。

この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』より © NHK / Things Left Behind, LLC 2012

この少女たちが67年前に死んだんだよ、それは私が編集に込めたメッセージ

── この映画は、非常に世界をある種バランスのとれた理想の形としてリンダなりに表現しようとしていると感じました。何人くらいにインタビューしたのですか?

実は話を聞いたのは50人です。

── それに、事前に話を聞きたいとリンダ監督が選んだ人を、少し紛れ込ませているんですね

それも8人くらいです。

── きちんとリンダのメッセージになっていますよね。ドキュメンタリーだと、ワイズマンのようにダイレクト・シューティングだけ、とか。もちろんワイズマンはそこにひねくれた視点はあるけれど、リンダの場合は、今の世の中とは違うけれど、映画の世界はこうあったほうがいい、と思うものを撮ろうとしているんじゃないかと思ったんです。あんなバランスなんて、ほしいけれど、ないですよね。

でも台詞を渡したわけではないですから、全部ほんとうに語ってくれたコメントを撮りましたよ。ただ演出の手段として、いちばん何をしたかというと、会場に入ってインタビューする人を探すんです。すると、写真にぐっと入り込んで見ているか、ぐるっと見て出ていく人か、一発で分かる。セキュリティ・ガードの人も、仕事で会場にいるのに作品を食い入るように見ていたので、インタビューしてみたら、からっぽの靴の写真を指して「広島、長崎と聞くと、大量の殺りくを考えてしまう。何がそこで起きたか。みんな消滅して、靴しか残らなかったんだ」という答えが出てきた。

そういう人には、とにかく「いちばん好きな写真を選んでください、そしてなぜこの写真を選んだか教えてください」というところから入っていきました。そうすると、すごく具体的な「水玉模様が好き」という答えになるんです。「この写真展どう思いますか」という質問をしてしまうと「戦争は悪い」「平和はいい」という答えしか帰ってこない。

── そうやって観客にインタビューしていって、いいなと思うものを編集していったんですね。仕込んだインタビューというのはどうやって?

奥様が被爆者だったというデヴィッド・ラスキンさんは、写真展に来てもらい、家でもインタビューしました。でも、仕込んだ人は全部『ANPO』の関係で知り合った人です。『ANPO』をバンクーバーで観てくれていたり、「実はアンドレア・ガイガーさんというお父さんがマンハッタン計画に加担している人を知っているから紹介するよ」と言われたり。

── リンダ監督曰く「神の采配」かどうか、と思ったのは、韓国の人と200人の広島の少女でした。あの子たちにはインタビューしなかったんですか?

できなかった。会期中、石内さんとオブライアン先生が対談していて、その通訳をはじめなきゃいけない1分前に、彼女たちが広島から修学旅行でトーテムポールを観に、館内に来ていたというのが分かったの。だから校長先生に突如お願いして「記念写真を撮らせてください」とだけ頼んで、山崎さんがかろうじて撮ってくれた。その間、私は通訳の仕事をしなくてはいけなかったんです。

でも私は、インタビューしなくてよかったと思っている。ほんとうにシュールな瞬間だったので、映画のなかでもシュールに扱うことで、不思議に思われてもいいと思ったの。200人の若い女性たちが写真の前で若く生きていて、一生懸命記念写真のカメラに向けて様々な表情を作っている。「この子たちが67年前に死んだのよ」、それは私が編集に込めたメッセージです。

── 映っているのは死んだ人の抜け殻なんだけれど、広島からやってきた若い子が記念写真を撮っているところに、生き生きとしたエネルギーを感じました。あとやっぱり、絶妙に現れた韓国の人。それまで日本人として原爆の被害者として写真を見ていて、それが彼の言葉で、ふっと加害者として意識が変わる。

ほんとうにそうなんです。「この着物はすごくやわらくて、すごく綺麗で、日韓併合時代を思い出します」と彼は言いました。あれもリンダなりのメッセージです。

── 単純に原爆はかわいそう、ひどいということでなく、あの場面で日本の立ち位置が180度変わるのはすごいと思った。あれだけで全体の構造が、いわゆるテレビではなくなっている。観ている側の心に深く刺さってきて、情緒的な感情だけではなくなった。さらに年配の人でなく、若い人がそういうことを言っているのを観て、グッと刺さってきました。

それから、スペインの女の子の「内戦のあげく、スペインの旗をいまだに認めたこともない」という話も聞いたことがなかった。そこで、国民と旗の関係や、国民と国家の関係を彼女がポツンと言ってくれた。

この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』より © NHK / Things Left Behind, LLC 2012

ラスト30分は石内さんの存在を消した

── それから、ある意味、石内さんの試みがすごく成功しているからなのか、この映画では、石内さんの存在が消えているんですよね。

消しました、特にラストの30分は。そこまでで彼女のやることは終わったんです。彼女が主役なのではなく、彼女の写真が主役なんです。それは最初から決めていました。そして石内さんにも「あまり撮らないで」と言われました。

── 前半には石内さんの母親への思いなどが描かれていますが、後半はまったくそういうことが消えて、美術館に来ている観客と写真、不思議なことに、それをさらに観ている映画のお客さんがいて、石内さんの写真と対面しているという、入れ子構造になっている。そこで気持ちが、写真の向こうの人に繋がっていくというところがすごいなと思いました。

最後、お客さんもいなくなってしまうでしょう。夜の美術館というのは最初から考えていたんです。最初のシーンで、キュレーターの人が、カラスのマスクを見せて「くちばしを縛っているのは夜になるとカタカタ音を立てるかもしれないから」と言うでしょう。 これはみなさんの解釈にお任せしますが、真夜中、あのマスクが広島の写真とどういう会話をするのか、遺された者同士の会話がきっとあるだろう、という作者の意図なんです。コメディでない「ナイト・ミュージアム」ですね。トーテムポールも、ネイティブの人たちのとんでもない歴史を見届けてきているわけでしょう。

── バンクーバーの美術館がトーテムポールの高さに合わせて建物の天井を高くしているというのも、ネイティブの人へのリスペクトを感じました。

そこもカナダは違うんです。アメリカではそうしたことはしません。

── なぜそんなにアメリカとカナダは違うんでしょうか?

意図的に、カナダはアメリカより人権の意識が進んでいると思います。だって国民の健康保険はあるし、ゲイは結婚できるし、先住民のことをファースト・ネイションズと呼んでいる。銃の数もアメリカの100分の1くらいでしょう。そうしたことを合わせていくと、ぜんぜん違う国です。

この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』より © NHK / Things Left Behind, LLC 2012

アメリカを世界一の大国として守り続けている神様

── カナダにはアメリカの南部的なものがなぜないのでしょうか?

カナダにはアメリカではぜんぜん終わっていない奴隷制度がなかったし。だってユージーン・ジャレッキー(『ヤバい経済学』)の新しいドキュメンタリー『THE HOUSE I LIVE IN』はアメリカのドラッグ戦争の結果、新しい奴隷制度のようなものができていて、黒人の若い人の25パーセントは刑務所に入っている、という現状を描いています。ゲットーにはそれしか産業がないから、小さな量の売買で全員刑務所に入れられる。それがはじまったのが40年前で、ちょうど黒人解放運動のあげくドラッグ・ウォーをはじめた。

── ドラッグ・ウォーをしかけている白人の大きな力があるということですか。

だから、あれだけ大統領選挙ではオバマが負けそうになったんです。とにかく黒人の大統領を倒せ、という運動がすごく強かった。

── 一見オバマが勝っているけれど、アメリカは半分半分の国ですよね。リンダがトークで言っていたように、アメリカは戦争をし続けないとダメな国だ、というのはどういうことなんですか?

だって、1945年からずっと戦争を続けているじゃないですか。だから経済的にも精神的にも、世界一であることが根本的にアイデンティティだから。そのためにはガンガン攻めて戦争して占領して、と戦争が続かないと、アイデンティティがない。

── それはどこから生まれたアイデンティティなんですか?もともとアメリカはネイティブが住んでいた土地だけれど、ヨーロッパからやってきて、なんでそんなに俺たちはナンバーワンというアイデンティティをどこで持ち始めたんでしょうか?第二次世界大戦で勝利を収めて、そこから経済も発展したし。

経済的には完全に戦争産業に依存しています。

── 軍事産業が潤うために、政府をも動かしている。戦争をやり続けている、戦争中毒ですよね。

それと、原爆に関して謝罪していない大きな理由は、もう一回使いたいからでしょう。謝罪したら使えないから。

── オバマがノーベル平和賞をもらったのは、核をもう作らない、と訴えたからでしたよね。

オバマ大統領は、結果的に一人の人間なんです。あの軍事産業には勝てない。勝ちたいと思っているかどうかは分からないけれど。

── でもリンダ監督はチョイスとしてはオバマしかないわけでしょう。

そう、投票しましたよ。

── オバマでも軍事産業には勝てない、あるいはオバマを支持する経済界がどれだけあるのか、ということで、そこはドローンもオバマの命令で飛ばしているわけでしょう。

もちろん。あとオバマの命令で暗殺しているでしょう、ビン・ラディンだけじゃなく。それもオバマの個人的な暗殺リストだから。彼がOKすると殺す。アメリカ人だから日曜日に教会に行って祈っているけれど、オバマさんはキリスト教信者。第六の掟はなんでしたっけ?(「なんじ殺すなかれ」)

── オバマが当選したときの演説を読んでいて、日本の政治家と比較していいことを言ってるなと思うけれど、最後は「神に誓う」じゃない。あの神って誰なんだろうと思いました。アメリカ国民にはイスラム教徒もいれば、仏教徒もいるし、でもつねにGod Bless Americaでしょう。

それは、世界一の国にして守っている神様なんです。キリストですが、なによりもアメリカを世界一の大国として守り続けている神様。

── そういう時には、リンダは宣教師の娘だけれど、アメリカでは、神様というのはやっぱりイスラム教徒のことは頭にないのですか?

そうですね。

── キリスト教以外は認めない?

リベラルなことはいろいろ言っているけれど、巧みにできているイデオロギーなんですよ。「イデオロギーでないですよ」というイデオロギー。我々がベストで、我々がやることはぜんぶオーケーだけれど、あなたはやってはいけない。

── それは神様が見ているから、それともアメリカ人だからか、どちらなんですか。

そこらへんがぐちゃぐちゃなんですよね。卵が先なのか鶏が先なのか。

── 最後に、今後のアメリカ本土での上映についてですが、『ひろしま』『ANPO』を含めて大学では上映されているということですけれど、それはある程度インテリジェンスのある人たちだと分かっていて観せるわけですよね。PBSのようなところで一般に見せる、ということはまだ難しいのが実情なのでしょうか?

とりあえずそうですね。ただ、ニューヨークのラボで20人くらい観せたら、みんなに素晴らしいと言われました。『ひろしま』の後の新作のカメラマンのカースティン・ジョンソンが観終わってお辞儀をして「私が提供できるすべての映像を担うことができる監督はこの世に数人しかいない」と言われてしまったんです。つまり映像表現として、評価してくれた。またある人は、映画業界の人じゃない人ですが「僕は写真展の会場に連れられた気持ちになった。あの写真の一枚のなかで、反射が映ったときに、思わず自分の後ろを観てしまった。それくらい、この展覧会に吸い込まれてしまった」という感想があって、それは狙いでした。ですので、この映画を誰かに誘われて観てさえくれれば、観客は素直に受け止めてくれるから、大丈夫だと思うんです。

(インタビュー:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
この映画をアメリカ人が観ると、他国よりアメリカが偉いというアイデンティティがゆらぐんです
映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』より © NHK / Things Left Behind, LLC 2012



リンダ・ホーグランド プロフィール

アメリカ人宣教師の娘として京都に生まれ、山口、愛媛の小中学校に通う。エール大学を卒業後、ニューヨークをベースに活動。1995年以降、字幕翻訳者と して宮崎駿、黒澤明、深作欣二、大島渚、阪本順治らの作品を始めとする200本以上の日本映画の英語字幕を翻訳する。2007年、映画『TOKKO/特 攻』(監督:リサ・モリモト)をプロデュース。2010年には長編ドキュメンタリー映画『ANPO』で監督デビュー。同作品はトロント、バンクーバー、香港など多くの国際映画祭で上映された。本作が監督第2作である。




映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』
7月20日(土)~8月16日(金)
岩波ホールほか全国順次上映

監督:リンダ・ホーグランド
撮影:山崎裕
編集:ウィリアム・リーマン
音楽:武石聡、永井晶子
プロデューサー:橋本佳子、浜野高宏
統括プロデューサー:小谷亮太、リンダ・ホーグランド
製作:NHK、Things Left Behind Film、LLC2012
配給:NHKエンタープライズ
2012年/アメリカ・日本合作映画/80分

公式HP:http://www.thingsleftbehind.jp/

▼映画『ひろしま 石内都・遺されたものたち』予告編


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