イタリアに新たな基地が作られることをきっかけに、世界の米軍基地を調べ始めたら、こんなに700もの米軍基地が世界40ヶ国に展開されていることを知り、衝撃を受け、映画制作に至ったという本作。卵が先か鶏が先か、戦争があるから兵士がいるのではなく、兵士がいるから戦争が起きるのか―。本作はそれを検証する。
様々な分野の専門家が分析する各々の米軍基地に関する証言やこれまでの報道、データ等によって、世界中に展開される米軍基地のその建設に至る歴史的、政治的背景、利権、そして目的等をデータ的に、また後半には現に新建設が進められている現場で闘う住民たちの様子の映像で視覚的に米軍基地を捉えている。「衝撃作!」ということはないが、後半に映し出される世界中で建設現場となっている地元で座り込みや対話等で基地建設反対を体現している人々の姿や、その年月の長さに、基地の問題性をジワリと訴えかけてくる。
反戦を促すような一方的な作風だとか、基地によって生まれる利益にももっと光を当てるべきだとか、様々な事を思うかもしれない。しかし、基地が良い事があることを否定はしていないし、「騒ぎたいだけ」の人たちの単なる騒ぎではなく、自分の地を追われた人々がいることは一つの事実として、認められるべき社会的問題に変わりはない。また、米軍基地問題の核心「駐留(”Standing Army”)」がもたらす問題=住民の心的被害を映し出しているからこそ、この映画が魅力的だと言える。辺野古や高江は米軍基地問題において馴染み深く、報道等で目にすることはあっても、他国での同じような状況を目の当たりにするのはなかなかできない体験という意味でも貴重な作品だ。
もちろん、米軍の駐留や新基地建設によって、被害を受け、闘い続けている人たちの訴えを、本作を通じ「知ること」は大事だが、彼らの「奉仕と犠牲」を知るには遅すぎるほどだ。
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