骰子の眼

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東京都 新宿区

2017-02-10 20:00


日常と悲劇が交わることのない小さな島のドラマを静かに映し出す『海は燃えている』

難民問題を見つめようとしない世界にメタファーで問いかけるロージ監督インタビュー
日常と悲劇が交わることのない小さな島のドラマを静かに映し出す『海は燃えている』
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』ジャンフランコ・ロージ監督

『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』のジャンフランコ・ロージ監督がイタリア最南端に位置するランペドゥーサ島に辿り着く難民と彼らを受け入れる島の人々を描くドキュメンタリー『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』が2月11日(土)より公開。webDICEでは、ロージ監督が1月19日に行った記者会見での発言をもとにまとめたインタビューを掲載する。

ランペドゥーサ島は面積20平方キロ、島の人口約5千5百人に対して、年間5万人の難民・移民が訪れている。映画は島に暮らす12歳の少年サムエレを中心に、疲弊し救助艇で助けられこの島にやってくる移民・難民の人々、漁業を中心とした島の人々の穏やかな生活、難民たちを検診する島でたったひとりの医師・バルトロの姿を追っていく。決して解決策を声高に語ることはしないが、献身的な医師の姿や、直接的に交わることは少ないものの、数十年に渡り難民を迎え入れてきたこの島の人々の態度には、日常のなかで難民たちをどう迎え入れ、向かい合っていくべきか、そうした問いの答えが隠されているように思う。この作品は、第66回ベルリン国際映画祭金熊賞受賞、2月26日に授賞式が行われる第89回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー部門にノミネートされている。

「なぜランペドゥーサ島がここまでやってくる人々を受け入れるのか、バルトロ医師に聞いたことがあります。その時、とても美しい答えをくれました。『ランペドゥーサは漁師たちの島で、漁師たちは海からくるものを受け入れるからだろう』と。これは美しいメタファーだと思いました。未知への恐怖を受け入れる。彼らから魂を学ぶべきではないだろうか」(ジャンフランコ・ロージ監督)


島との出会い、人々との出会いから映画が生まれた

──出会いから映画が生まれる、と監督はほかのインタビューのなかで何度かおっしゃっています。この作品は、どのような出会いがありこの作品が生まれたのでしょうか?

おっしゃるように、いつも映画は出会いから始まります。この映画の場合はランペドゥーサ島との出会いがそれでした。飢餓や飢饉が原因でアフリカから逃げてくる難民移民の玄関口です。ここ数年で多くの人が逃げてきました。そして、これまで約2万7千人がその途中の海で命を落としました。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』ジャンフランコ・ロージ監督 ©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』ジャンフランコ・ロージ監督

島との出会いの後、人々との出会いがありました。大きかったのはバルトロ医師との出会いです。難民移民がやってくる、そのやりとりの前線に彼はいました。4年ほど前から国境は海に移されました。以前は難民が来た場合、そのまま陸に上陸していたのですが、現在は海上で保護され島内のセンターに送られ、その後イタリア国内、シチリアに送られます。ですので、島民と触れ合うことがありません。難民と島民のふたつを有機的につなげるがバルトロ医師でした。その図式はヨーロッパのメタファーのようだと思いました。近いのにコミュニケーションがとれないのです。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』より、バルトロ医師(左)サムエレ少年(右) ©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

ランペドゥーサ島は20年前から難民が来ていたのに、
ヨーロッパに無視されてきた

──難民の玄関口として長年にわたりランペドゥーサ島が機能してきた理由は、難民と島民の生活が離れていたから、ということはありますか?分断されていたからこそ、玄関口になり得たのでは?

ランペドゥーサ島はこの15年間ほどアフリカからの難民の玄関口です。先ほどの話と重複しますが、5~6年前までは難民は島に上陸していました。今は上陸前にセンターに収容されています。もし、この映画を撮ったのが5年前だったとしたら、サムエレ少年が難民たちとともにサッカーをしている映像が撮れていたかもしれません。いまは海軍などが海上で保護しています。そして、島内にあるセンターに夜間に移動しています。ですので、島民の目につくことはありません。そのセンターで2~3日に過ごしてまた移動します。物理的に彼らは触れ合わないのです。島民も我々と同様にニュースで彼らのことを知ります。この映画をランペドゥーサで上映したとき、みな驚いていました。センターがどこにあるかも知らないのです。

また、地理的な理由もあります。イタリアの地図を見ても、ランペドゥーサは海に囲まれており、イタリア本島からも遠い。アフリカの方が近いとさえ言えます。リビアやチュニジアに近いのが多くの難民の玄関口になっている理由です。難民が選ぶルートにはモロッコやトルコがあります。トルコを使用するバルカンルートは多くの人が利用しており、ヨーロッパもそれにはここ一年くらい前から注目され、急に政治的関心が寄せられるようになりました。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

それに対して、ランペドゥーサ島は20年ほど前から難民が来ていたのに、ヨーロッパに無視されてきたのです。ベルリン国際映画祭で上映された時、政治的な映画と見られました。私は政治的な映画を作ったつもりはありません。自分の作品が政治的だと思いません。映画の中に政治はありません。映画のフレームの外には政治があるのです。観客は報道と照らし合わせてこの映画を見るのです。

ここ2ヵ月ほどアカデミーのキャンペーンでアメリカに滞在することが多いのですが、ご存知のように急にアメリカでも移民難民が語られることが増えました。かつて砂漠を渡りアメリカへ向かう際に命を落とした人たちとなぞらえて、地中海を渡る人たちも命を落とす。海を砂漠に見立てているのです。

私が作る映画はなにより人間に焦点を当てています。人々の関係に目をむけているのです。人々以外のことはすべて自分の撮っている作品の外で呼吸しているように思います。

なぜランペドゥーサがここまでやってくる人々を受け入れるのか、バルトロ医師に聞いたことがあります。その時、とても美しい答えをくれました。やってくる人々や受け入れることに対して、これまで抗議運動があったことはないのはなぜなのか。「ランペドゥーサは漁師たちの島で、漁師たちは海からくるものを受け入れるからだろう」と。これは美しいメタファーだと思いました。未知への恐怖を受け入れる。彼らから魂を学ぶべきではないだろうか。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

──島へやってくる人々は身分証などを持っているのでしょうか?

国家同士で協定を結んでいる場合、IDは非常に重要になります。シリアの人は持っていることが多いです。ですが、飢餓や飢饉など政治的でない理由で逃れて来た人は何も持っていない場合が多い。靴さえ履いていないこともあります。とてもデリケートな問題で、自分の国名を言わない人もいます。国までも捨てねばならない状況なのです。映画の中でも映りますが、IDを大切に何かにくるんで持ってくる人もいます。でも、ほとんどの場合、所持品はありません。非常に危険な旅を経て彼らはたどり着きます。

去年だけで約40万人の難民がヨーロッパへやってきました。イタリアへやってきた難民たちも他国へ行く前にまずはイタリアにいます。また、ヨーロッパにもまったく難民移民を受け入れないハンガリーやポーランドのような国もあります。EUとイタリアの間で協定を結んでいますが、イタリアだけでは処理できない問題です。ただ、これはとてもデリケートな話です。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

ドキュメンタリーとフィクションの区別をつけたくない

──前作『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』もそうでしたが、ドキュメンタリーなのに劇映画のような瞬間がある。事件が起こるとき、先回りしているように思えるほどです。それでいて、非常に詩的です。カメラワークをどのようにしているのでしょうか。

私はドキュメンタリー作家です。人物を撮ります。脚本は書きませんし、そういったスタイルでは作品を作りません。そんな私が映画作りで最も重要な友だと思うのは時間です。

今回もランペドゥーサ島に1年半滞在しました。そして映画的言語を用いて映画を撮ります。シネマというものが現実を浮き彫りにするのです。どんな監督にも撮れない瞬間をとらえたい、そう思って映画を撮っています。ドキュメンタリーとフィクションで区別をしたくないのです。現実を切り取るとき、私はシネマという言語を使いたいだけなのです。

前作『ローマ環状線』はヴェネチア国際映画祭のコンペティション部門に出品され、『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』はベルリン国際映画祭のコンペティション部門でした。どちらもこれまでフィクションの作品が出品されると思われがちですが、そこでフィクションのように扱われ、どちらの映画祭でも最高賞を獲得することができました。ドキュメンタリーとフィクションの区別をつけたくないと思っている自分の作品が選ばれたことは本当にとても嬉しかったです。そして、今年はアカデミー賞外国語映画賞のイタリア代表になりました。イタリアでドキュメンタリーが選ばれたのは初めてのことです。とても光栄です。

映画を最初に撮った時からバリアを超えたいと思っていました。いまはたくさんのドキュメンタリーで物語性を持ったものが生まれています。自分の作品によって、ドキュメンタリーの世界が一歩進んだように思っています。

日本も1万人くらい難民を受け入れるのは当然ではないか

──日本は難民に不寛容です。この国で公開する意義についてどう思われますか?

どの国でも公開されることは意義深いです。移民を受け入れられるかどうか、世界的に見ても政策を変えて来ている国があります。自分の映画が歴史を変えられるとは思わない。ですが、知るきっかけにはなると思います。この映画は46ヵ国で公開が決まっています。その国ごとに私はサポートをしています。なぜならこういったことは常に支え続ける必要があるのです。この映画は答えよりも質問を生む映画だと思います。観客が劇場を後にしながら自分に何ができるか、問うてほしい、そうなったら嬉しいですね。

映画での冒頭で「現在位置は?(what's your position?)」と海岸警備隊が無線で難民に問うシーンがあります。もちろん、船の位置を確認しているわけですが、あのシーンはメタファーです。これは観客に問うているのです。「あなたはどんな意見なのか?」と。日本で上映する意義はとても大きい。しかし、それはフランス、ベルギーでも同じことです。日本はとても豊かな国です。人口が1万人増えても問題ないのではないか、と思います。それくらい受け入れるのは当然ではないでしょうか。

昨日、日本の難民受け入れ数を聞いて驚きました(2015年の難民認定申請者7,586人のうち難民認定者数は27名。この記者会見の後、2月5日に日本政府が今年から5年間でシリア難民の留学生とその家族を計300人規模で受け入れることが発表された)。このような態度は政治的敗北をさします。そして、それは日本に限りません。ハンガリーは去年7名しか受け入れていません。時々未来について悲観的になることがあります。オバマが去年言った言葉、「バリアを作るには世界は小さすぎる」。これは大切な言葉です。この人数の人間が暮らすためには世界を区切ってはいけないのです。

映画『海は燃えている〜イタリア最南端の小さな島〜』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema
映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』©21Unoproductions_Stemalentertainement_LesFilmsdIci_ArteFranceCinema

これは決して政治的な映画ではありません

──ランペドゥーサの人たちは難民をどう考えているのでしょうか?

ランペドゥーサは小さな島です。アラブの春でチュニジアから大勢の難民がやって来ました。その時、政策で移民が残るような状況になりました。数ヶ月の間に5千5百人の島に8千人やって来たのです。そのときは非常に危機的状況になり、ぶつかり合いもありました。誰かが他からやってくると、どうしても軋轢が生まれる、ということを示していました。しかし、そんなときでもランペドゥーサの人たちは、自分たちの住む場所、毛布、食料を分け合いました。

グレグジット(ギリシャのEU離脱)も移民問題が原因のひとつだと思います。移民難民問題が政治に与える影響は大きい。世界が解決せねばいけない問題です。イタリア、ギリシャだけでは解決できません。地球温暖化問題は各国がひとつのテーブルを囲んで解決策を模索しました。この巨大な悲劇も同様に対応せねばなりません。レバノンは小さな国にもかかわらず受け入れています。トルコはEUと協定を結び、考えています。映画の中でナイジェリアの人はどう逃げて来たのか歌っています。世界が一丸となって解決するしかありません。

これは決して政治的な映画ではありません。今日、政治的な質問の多い会見になったのは フレームの外にある状況がかわったから。これが4年前でしたらもっとサムエレ少年についての質問が多かったでしょう。ですが、状況が映画に影響を与える、これもまた「シネマ」です。話すべきことに触れている作品ですから。

──メリル・ストリープが映画を応援しているそうですが、どんな話をしているのでしょうか。

ベルリン映画祭の審査委員長だった彼女は初めて映画を見たときから、映画を信じてずっとサポートしてくれています。いま、アカデミー賞のキャンペーンを行っていますが、そこでも協力してくれています。こんな風に応援してくれる人は素晴らしい贈り物です。心強く思っています。ベルリン映画祭で彼女は言いました。「触れている問題のために賞を与えるのではない。物語の資質を評価してこの賞を渡すのだ」と。本当にうれしかったです。

(1月19日の記者会見より)



ジャンフランコ・ロージ(Gianfranco Rosi) プロフィール

1964年、エリトリア国アスマラ生まれ。エリトリア独立戦争中、13歳で家族と離れてイタリアへ避難。青年期をローマとイスタンブールで過ごす。イタリアの大学卒業後、1985年、ニューヨークに移住。現在はイタリアならびにアメリカ合衆国民。ニューヨーク大学フィルム・スクール卒業後、インド全土を旅し、中編「Boatman(原題)」の製作と監督を務めた。2008年、カリフォルニア州スラブ・シティで撮影された初の長編作「Below Sea Level(原題)」を発表。2010年、メキシコの麻薬カルテルの殺し屋から、警察協力者となった人物のインタビュー映画「El Sicario, Room164(原題)」を撮影。2013年、長編映画『ローマ環状線、めぐりゆく人生たち』を製作。ベルナルド・ベルトルッチ監督、坂本龍一ら審査員に絶賛され、ヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞。ドキュメンタリー映画では初の快挙として話題を呼んだ。2016年、『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』では、審査員長のメリル・ストリープが絶賛し、ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞。ヴェネチアに続き、ドキュメンタリー映画で初の最高賞受賞となった。アカデミー賞外国語映画賞イタリア代表にも選ばれている。




映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』

映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』
2017年2月11日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー

監督:ジャンフランコ・ロージ
原題:FUOCOAMMARE
2016年/イタリア=フランス/114分
後援:イタリア大使館、イタリア文化会館 協力:国連難民高等弁務官(UNHCR)駐日事務所
推薦:カトリック中央協議会広報
配給:ビターズ・エンド

公式サイト


▼映画『海は燃えている~イタリア最南端の小さな島~』予告編

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