骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2017-01-13 19:10


この映画を切ると沖縄の灰色の血が流れる―髙嶺剛監督18年ぶりの劇映画『変魚路』を語る

死に損ないものばかりが住む村舞台に描く時空を越えたチャンプルーな物語
この映画を切ると沖縄の灰色の血が流れる―髙嶺剛監督18年ぶりの劇映画『変魚路』を語る
映画『変魚路』より、カメ役の大城美佐子 ©『変魚路』製作委員会

『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』など沖縄を舞台に作品を発表してきた髙嶺剛監督の18年ぶりの劇映画『変魚路』が1月14日(土)より公開。『ウンタマギルー』『夢幻琉球・つるヘンリー』など、キャリアを通して沖縄から無限的な物語と沖縄の現実を提示してきた髙嶺監督は、この作品で死に損ないのものばかりが暮らすというパタイ村を舞台に、さらにアブストラクトに、そして自由な映像世界を作り上げている。webDICEでは髙嶺剛監督のインタビューを掲載する。

村人たちが喪失感や自殺願望を抱えて暮らす原因となった出来事「島ぷしゅーっ」が何なのか、映画のなかで具体的に触れてはいないので、「実は……」と、私がいうことはないです。過去・今・将来を問わず、沖縄の島、沖縄にいる人の、のっぴきならない出来事の効果音みたいなものです。(髙嶺剛監督)

作品になる前のもやもやとしたものを噛みしめることが、
実におもしろい

──『変魚路』は、実に劇映画としては18年ぶりの作品になります。以前から構想自体はあって、実際にクランクインしたのは2013年とのことです。どのような経緯でこの映画はつくられたのでしょうか。

まず最初に『変魚路』というタイトルと「ウィフェーパタイジョー(ちょっと死ぬ場所)」の二つをキーワードにして内容を考えていくことにしました。ちなみに「ウィフェーパタイジョー」は私の造語です。

髙嶺剛監督
『変魚路』髙嶺剛監督

私はスジが決まらないうちから、この映画のことをあちこちで吹聴していました。そのように言い続けていると、それが具体化していく場合が多いんです。いつだったか、非常勤講師をしていた大阪の映画の専門学校で、『変魚路』が作品になる以前の資料関係を中心にしたイベントをやりました。『変魚路』のぐじゃぐじゃとしたイメージイラストや、ロケハンのときのビデオを上映したり、さぁこれから映画をつくるんだという決意表明を独白したり、大好きな沖縄島唄歌手の大城美佐子さんに唄ってもらったりしました。

作品になる前のもやもやとしたものを噛みしめることが、私としては、実におもしろいし、むしろ必然であるとさえ思っています。シナリオや撮影など、実際の具体的な作業がはじまれば、ぐぐっと一挙に進んでいくのですが、その前に自分の色々なためらいと付き合うことは、まんざら無意味ではない。

そうこうしているうちに、段々と登場人物の性格やスジの設定が決まっていきます。『変魚路』の場合も、予算やさまざまな限られた条件のなかでやりますので、自分に溜め込んだアイデアをその枠内でいかに実現させるかが勝負となりますが、自分のイメージを塗り絵のようにきちんと枠に収めて、それにこだわりすぎると、とても窮屈になります。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

完成稿を持たない今回の私の撮影現場では、スタッフや出演者の方々には、戸惑いがあったと思います。私は共同作業が一方通行にならないよう心がけました。私だけが答えを知っているというのではありません。「このような映画をつくりたい」という、私の映画意図のその先にある、まだ見ることが出来ない風景に向かって、毎日撮影が続きました。些細なことかも知れませんが、撮影のため押入れを掃除している時に偶然見つけた、ひどく破損した8ミリフィルムなども、内容になるように用心深く取り込みました。

40数年前の時間記憶の塊のようなフィルム発見という実際の驚きが、スクリーンの驚きになればいいと思った。本当にやってみたら、偶然見つけたフィルムに帰巣本能があったかのように『変魚路』にすっとおさまった。撮影・編集・合成の高木駿一くんや美術の山城知佳子さんなど、30代から40の代くらいの多くのスタッフが凄くがんばってくれました。役者さんやスタッフの方々が、『変魚路』をそれぞれの立場から解釈したものを、ぼくがどのようにすくいあげるか、問題はそれです。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より、平良進演じるタルガニ(左)北村三郎演じるパパジョー(右) ©『変魚路』製作委員会

入れ子構造に惹かれる

──『変魚路』の映画がはじまると、最初に「連鎖劇」が出てきます。初期映画に見られる映像と芝居をかけ合わせたもので、大正時代には沖縄でも見られた興行形態ですね。この映画自体が連鎖劇のようであり、同時に平良進さんと北村三郎さんが演じるタルガニと親友のパパジョーのふたりが連鎖劇をしながら旅をするロードムービーにもなっています。

『夢幻琉球・つるヘンリー』(98)の頃から、連鎖劇を取り入れるという傾向はありました。ぼくは入れ子構造に惹かれます。映画のなかに、もうひとつ虚構のスクリーンや舞台を設けたくなる。入れ子構造は、親が主体で子が従属するような関係になりがちですが、子が親を見返すことがあってもおもしろいのではないかと思った。だから『変魚路』のなかに連鎖劇を持ちこむことで、なんていおうか、連鎖劇のスクリーンが『変魚路』のいいなりにはならない、別の生き物のように意志を持って、映画『変魚路』の中で居座ればいい。そのように仕向けたかった。

ミサイラーという役を演じる川満勝弘さんが、主人公のタルガニとパパジョーのふたりが、旅の最中の生活費を稼ぐために上演して歩く連鎖劇のなかに、勝手に乱入してくるということがあります。ミサイラーという登場人物は、沖縄最古のロッカーという設定です。実際の川満勝弘さんこと「かっちゃん」は、沖縄の強烈なハードロックバンド、旧「CONDITION GREEN」のリーダーでした。『オキナワン チルダイ』(78)以降、ぼくのほとんどの作品に来てもらっています。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より、ミサイラー役の川満勝弘 ©『変魚路』製作委員会

ミサイラーは『変魚路』のスジを語っていく狂言回しの役割を担いながらも、実在するオキナワンロッカー「かっちゃん」として、沖縄・コザののっぴきならない匂いを醸し出しています。かっちゃん扮するミサイラーという人物は「むどぅるちゅん」状態で、喪失感をオキナワンパンクでシャウトしたあと、決まって、とぅるばる(きょとんとする)のです。「むどぅるちゅん」という言葉は、撮影中に北村三郎さんから教えてもらいました。「ためらう」「思考停止」という意味で、私がそれをこの映画のために「頭がカラになる」と意訳しました。

私は、この映画を切ったら、赤だけでなく灰色の血が流れたらいいと思いました。

「島ぷしゅー」とは、
沖縄にいる人の、のっぴきならない出来事の効果音

──『変魚路』の舞台は、何年か前に「島ぷしゅー」と呼ばれる悲劇が起きたあとの「パタイ村」に設定されています。「島ぷしゅー」のせいで、村人たちは喪失感や自殺願望を抱えて暮らしている。そんな村のなかで、主人公のタルガニは「水中爆発映画機械所」を営み、パパジョーは「整形映画所」の班長をしています。ファンタジー的な世界でありながら、どこか現実の沖縄と地続きの場所という感じもします。

「島ぷしゅーっ」が何なのか、映画のなかで具体的に触れてはいないので、「実は……」と、私がいうことはないです。過去・今・将来を問わず、沖縄の島、沖縄にいる人の、のっぴきならない出来事の効果音みたいなものです。

平良進さん演じるタルガニと、北村三郎さん演じるパパジョーのふたりは、「ちょっと待て、これではない」状態の人たちを相手に、「ウィフェーパタイジョー(ちょっと死ぬ場所)」で、生き直しをさせる事業の経営をしています。「ウィフェーパタイジョー」の「パタイ」という言葉は、もとはフィリピンのタガログ語から来ているそうです。「ぶっ倒れる」とか「死」を意味する言葉として、ぼくらの子供の頃は、なんとなく日常語として使っていました。タルガニは、「ウィフェーパタイジョー」の簡易爆発係。パパジョーはそのあと「パパジョー整形映画研究所」で、顔面整形手術をして「他人」にさせる係。パパジョーの仕事場は、人間の顔面手術だけでなく、「イラブー汁(エラブウミヘビ・滋養強壮大の高級食)」で、映画フィルムの修理・加工もやるところと設定されています。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より、平良進演じるタルガニ(右)北村三郎演じるパパジョー(左) ©『変魚路』製作委員会

ここでキャスティグ事情をちょっといえば、当初、タルガニの相棒はパパジョーではなく、「ママチルー」という女性の予定でした。事情があってなしとなり、結局沖縄芝居の重鎮北村三郎さんに、すがってしまいました。登場人物が、女性から男性へのチェンジです。平良進・タルガニと北村三郎・パパジョー、二人の老年男性が「むどぅるちゅん(頭がカラになる)」の状態(とくにパパジョーに顕著)になりながら、逃げる旅をするというロードムービーになりました。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

唄がその記憶の主をなぐさめる

──映画の冒頭におかれた泊阿嘉(とぅまいあーかー)と黒金座主(くるかにざーし)の連鎖劇もまた、沖縄芝居から来ているのでしょうか。ふたりで碁をうっていて、泊阿嘉泊阿嘉(とぅまいあーかー)がちょんぼをした黒金座主(くるかにざーし)の耳を切りますね。

「黒金座主(くるかにざーし)」は、沖縄芝居のとても有名な演目です。平良進さんと北村三郎さんに、そのなかで耳を切られる場面を演じてもらっています。平良進さんと北村三郎さんは沖縄芝居の役者さんですから、そのシーンは、この映画の見所となっています。彼らのこなれた「耳切り」の芝居が、重要なあじになりました。

タルガニとパパジョーは島袋精徳という商売人から、「トットローB13」という厳禁の媚薬を盗んだ嫌疑をかけられ、パタイ村から脱出。ビビジューたちは島袋精徳から、仕返しとしてタルガニたちの「耳切り」を命じられ追うが、「耳切り」は、耳の軟骨を切るのです。グシグシ感です。島袋精徳は十種類の料理を広げて食べます。彼はご馳走を見ていないと安心できない性格になっています。ビビジューたちは、日ごろから塩を欲しがり、喉が渇いています。彼女たちは、燃えてしまわないように、いつも髪や服が濡れていなくてはならない。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

──そして、髙嶺映画には欠かせない沖縄民謡歌手の大城美佐子さんが、カメという役で登場します。海辺で三線を弾きながら歌う「下千鳥(さぎちじゅやー)」がすばらしいですね。

大城美佐子さん演じるカメは、この映画では、目撃者です。彼女はスジに直接参加することはしないで、タルガニの前で唄をうたい、彼に唄を染みこませている。そのことによって、タルガニのなかに潜んでいる記憶の主みたいなものが顔を出してくる。唄がその記憶の主をなぐさめるのです。私にはどうも島唄にはそのような仕組みがあるように思えてなりません。大城さんの「下千鳥(さぎちじゅやー)」は沖縄の情け歌ですね。男女間の唄。もちろん歌詞は映画のスジを語っているわけではないが、どこか通じるものがあると思います。

ぼくはこれまでにも、沖縄芝居の役者、ロック歌手、島唄歌手たちの方々、必ずしも映画専門の俳優ではない人たちと組むことが多かった。この映画でもぼくの意図とは別に、平良進さん、北村三郎さん、大城美佐子さん、川満勝弘さんたちは、沖縄の地に漂う空気の匂いを映画に持ちこんでくれています。空気の匂いとは沖縄の全てです。彼らと仕事ができることがとてもうれしい。

 
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

破損8ミリフィルム映像の魅力

──『変魚路』は夢幻的な物語映画であると同時に、映像によるコラージュやさまざまなオブジェを楽しむ映画でもあります。そして、乳剤面が溶けた古い8ミリフィルムを効果的に使い、デジタル映像とのあいだに重層的な空間をつくっています。

破損フィルムの魅力を知ったのは、かつて京都で見たアメリカの実験映画がヒントになっています。自分の8ミリ映画上映会でも、映写機の調子や、フィルムの穴が悪いと、フィルムがぷしゅーっと焼けることがあるが「あれーっ!」と思っても、つい見入っしまい、妙な美しさを感じたものです。『変魚路』でタルガニが顕微鏡のなかをのぞくと、フィルムが焼け焦げて溶けていく映像に、ミジンコ親子が踊っているようなシーンも、そのあたりの影響です。

さっきの話の補足説明ですが、パパジョー8ミリのひとり上映会の破損8ミリフィルム映像は、40数年前の『オキナワン ドリーム ショー』で使われなかった8ミリフィルムが溶けて破損した映像です。40数年の間、沖縄那覇の、熱気で蒸せる押入れのなかで、作者にも忘れられて、あのようなドロドロとしたフィルム破損が進行していたのかと思うと、妙な気がしました。あの映像の米兵は、撮影の時、これからベトナム戦争に行くのか、もしくは行った帰りなのか、私はいま覚えていないが、たしかにベトナムのことを話していました。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

デジタル作業は、構想していたイメージをもとに映像を重層化していくことができる

──今回はデジタル撮影によって映像の自由度が増していますね。画面内にフィルム映像をはめこんだり、ブルーバックを使った小さい人物を入れたりする合成技術も多用しています。

技術面でいえば、グリーンバックで撮った人物の映像のサイズを変えて、他の映像と合成することはモニター確認で気軽にできます。もちろん合成が内容に与える影響が重要です。たとえば合成によって、ビビジューたちを、明らかに小さいサイズで見せることができる。そうすると、彼女たちを人間とはちがった存在と設定できる。

実際の作業プロセスでいえば、本撮影が終わったあとで、京都の自宅で家庭内合成をするときに、グリーンバックで合成する人たちを配置していきました。「ここのビビジューは思い切って小さくしよう」「ここの牛は中ぐらい」「小さいタルガニが犬の頭上で踊る」と、沖縄ロケの疲れがとれた頃、少し突き放したところから視覚効果を確かめることができます。『変魚路』の本撮影をしてからラフ編をして、さらに追加撮影をして編集して、一旦でき上がったものをつぶして、また撮影、編集して……をくり返しているうちに、3年が経ってしまいました。

デジタル作業の特徴として、予め構想していたイメージにあれこれをどんどん追加していき、映像を重層化していくことができる。偶然や意外性が飛びこんで来る余白を設けて、まず放りこんで、いらないものは捨てる。デジタルの迷路には、どんどん入って行けても、再び同じところにはなかなかたどりつけない。私の頭はそのようなタイプではないので大いに困ってしまいました。まるで知らない土地の路地裏に迷いこんだみたいに。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

いろいろなものが混ざっている「ちゃんぷるー」状態こそが、
沖縄文化の真髄

──『変魚路』の冒頭で、クロミを背景に波の音が入ってきて、「唐の世から大和の世 大和の世からアメリカ世 アメリカ世から大和の世 大和の世から沖縄の世 誰のものでもない この沖縄 どうにかなるだろ この沖縄」という意の沖縄語の歌が流れます。この歌が夢幻的な『変魚路』の世界全体にかかっているのだと思います。やはり現代の沖縄の空気を描こうとしているのですよね。

あれは「時代の流れ1998」という、亡くなった嘉手苅林昌さんの唄です。沖縄世相の移り変わりを唄っています。この映画の舞台となるパタイ村は、沖縄のどこかにあっても不思議ではないという風に描いている。でも実際の何かのモデルだとか、何かをお手本にしているとか、そういうことはなく、ぼくの想像です。

映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会
映画『変魚路』より ©『変魚路』製作委員会

現実に照合すると存在しないけど「あっても不思議ではない場所」という設定は、『パラダイスビュー』にしても『ウンタマギルー』にしても、ぼくの映画には多い。『ウンタマギルー』の冒頭で、ギルー(小林薫)がオート三輪に乗って、サトウキビの絞り機をぐるぐる回している。サイレンが鳴ったら「ああ、飯だ」といって彼は休憩する。かつては、牛馬の仕事だったけど、ギルーはそのような気が遠くなるような作業をしている。あとで思い起こすと恐ろしい仕事場ではないか。

『変魚路』には島唄石膏職人だとか、淫虫だとか、媚薬のトットローB13だとか、現実にありそうもないのがゾロゾロ出てきます。ほとんどがぼくの想像に基づく、『変魚路』言葉です。ビビジューたちが「イがつく 淫虫 イナグ イキガ めーさー イって イられて イり殺された」と唄う「つくり童唄」にしても、子どもの頃は自分たちにしか通用しない戯れ唄など、普通でしたからね。地域だけの言葉。家庭だけの言葉。私が通った小学校言葉。中学校言葉もあったなぁ。政治目的に基づく「言葉狩り」はいけないよ。亡くなったボードビリアン・照屋林助さんなどは、いろいろなものが混ざっている「ちゃんぷるー」状態こそが、沖縄文化の真髄だといっていました。

──最後に次の映画のアイデアが決まっていたら、教えてください。

いまは『変魚路』のことで頭がいっぱいですので、次回作のことはよく考えていませんが、平良進さんたちが、かつてやっていたような沖縄芝居の一座が、島をくまなく巡業公演する人情ロードムービーです。

(オフィシャル・インタビューより)



髙嶺剛 プロフィール

1948年沖縄の石垣島川平生まれ。高校卒業まで那覇で過ごしたあと、国費留学生として京都教育大学特修美術科に入学。その頃から8ミリ映画を撮り始める。ジョナス・メカスを私淑し、日本復帰前後の沖縄の風景を凝視した初長編監督作品『オキナワン ドリーム ショー』(1974)を制作する。1985年初の長編劇映画『パラダイスビュー』完成。ベルリン国際映画祭ヤングフォーラム部門をはじめ、10数カ国の映画祭に出品。『ウンタマギルー』(1989)でベルリン国際映画祭カリガリ賞、ナント三大陸映画祭グランプリ、ハワイ国際映画祭グランプリ、日本映画監督新人賞など国内外の映画祭で多数上映、受賞し、全編沖縄語で展開される新しい表現を生みだした作家として世界的に注目される。1996年よりジョナス・メカスの来沖がきっかけとなり生まれた『私的撮夢幻琉球 J・M』を発表。1998年には沖縄を代表する民謡歌手の大城美佐子を主演に迎え、『夢幻琉球・つるヘンリー』を市民プロデューサーシステムでデジタル撮影をいち早く取り入れて製作、東京国際映画祭、ロッテルダム国際映画祭、香港映画祭などで上映。ほかにも短編多数制作。山形国際ドキュメンタリー映画祭2003に審査員として参加、沖縄特集でも「髙嶺剛の世界」として特集される。2006年には、NYのアンソロジー・フィルム・アーカイブにて、「Dream Show: The Films of Takamine Go」レトロスペクティブが開催された。『変魚路』は、18年振りの劇映画作品となる。




映画『変魚路』

映画『変魚路』
1月14日(土)シアター・イメージフォーラム、
2月25日(土)桜坂劇場にて公開

あの苛烈な「島ぷしゅー」からX年後、死に損ないの者ばかりが暮らすパタイ村。タルガニは親友のパパジョーとともに、この世に絶望した自殺願望者たちの「生き直し」事業を営みながらつつましく生きている。ふたりの周りに棲息するのは、ミサイラー、怪しげな商売人・島袋精徳とその妻ビビジュー、そして「行き直し」事業に関わる三線弾きの石膏職人・カメ。罰として両耳の切り落としが言いわたされ、懸賞金まで賭けられた。村を脱出する羽目となったふたりは、道中の路銀を得意の沖縄芝居連鎖劇で稼ぐことにする。ふたりを追う謎の女たちや、生きているのか死んでいるのかもわからない男たち。やがて追うものと追われるものの境目は消えていき、時間軸は「変」になったまま、タルガニとパパジョーの旅は、島の歴史の神話的領域にまで入り込んでいくことになる。

ブルーバックの合成、あるいは溶けた8ミリフィルムを用いた表現も、リアリティを追求するためではなく、髙嶺監督のイマジネーションを確実に現実化させる役割を果たしている。「連鎖劇」という映像と芝居を交互に上演するメディアミックスの先駆と言えるスタイルをテーマにすることで、髙嶺監督はキャリアを続けて表現してきた沖縄の風景をさらに自由に描いている。

監督・脚本:髙嶺剛
キャスト:平良進、北村三郎、大城美佐子、川満勝弘、糸数育美、河野知美、山城芽、西村綾乃、親泊仲眞、内田周作、花井玲子、石川竜一 音楽:ARASHI(坂田明、ヨハン・バットリング、ポール・ニルセン・ラヴ) 大城美佐子 大工哲弘 嘉手苅林昌 CONDITION GREEN 北村三郎 撮影・編集・合成:髙木駿一 制作・録音:後藤 聡
助監督:砂川敦志
撮影:平田 守
美術:山城知佳子
衣装:阪田清子
制作進行:宮島真一
音響:菊池信之
プロデューサー:濱治佳
総合プロデューサー:岡本由希子
製作:『変魚路』製作委員会
2016年/ カラー/DCP/沖縄語・日本語/81分
配給・宣伝:シネマトリックス

髙嶺剛監督特集

高嶺剛特集
1月14日(土)~20日(金)シアター・イメージフォーラムにて同時開催

詳細は公式サイトをご確認ください。


▼映画『変魚路』予告編

レビュー(0)


コメント(0)