一言で言ってフィンランドは偉いと思った。
自分の国で出したゴミ(放射性廃棄物)は自分の国で始末するんだから。
果たしてそれがほんとうに10万年間安全に埋蔵され得るのかどうかは別として、
少なくとも、放射性物質を海に垂れ流すような我が国ニッポンとは違う。
東電はきのうの会見で、「地元の皆さまにはご面倒、ご迷惑をおかけしますが」と言っていたけれど、
ご迷惑とかいったレベルの問題じゃないでしょう。
最初から、なにかあるたびに彼らが口にする「ご迷惑をおかけしておりますが」といった生ぬるい前置きには違和感を覚えてきたけれど、これほどいらだちを感じたこともない。
でも、これからももっともっと驚くべきような事態に、この言葉が使われていくんだろう。
そして、無害になるまで何万年といった物質の垂れ流しが、
単なる事故か、一企業のちょっとした落ち度か、はたまた苦渋の選択程度のものに思わされていくんだ。
でも、これは地球規模の問題です。
地元だけ、ひいては日本だけの問題なんかじゃない。
みんな、海はなんでも飲み込んでくれると思って(思わされて)きた。
放射性物質が海に流れ出ても、海は莫大に広いから、そう簡単には人体に影響が出るほど汚染されるはずはない、と言い切ってきた。
え、じゃ、水俣病なんかはどうして起こったの? 水銀が魚に蓄積されて濃縮され、
それを取り込んだ人たちが激しい神経麻痺を起こして死にさえしたんじゃなかったの? と思ったけれど、
案の定、きのうになって関東近海で捕れた魚から、キロあたり農作物の制限値をはるかに超えるヨウ素131が検出されたとか言ってる。
それも、そんなことがあるとは思っていなかったから安全基準も制定されてない、と。
しかもこれは、夕べの、何トンもの「低レベル放射能汚染水」が海に垂れ流される前の話なのだから
(この「低レベル」というのは、あくまでも現在も恐るべき量で垂れ流され続けている別の箇所からの汚染水の汚染度と比較して、だけの話)。
どこにも、これ以上放射能汚染水を一時保管する場所がない、
大型タンクとなるメガフロートの建設も間に合わない、と言い訳するけれど、
安全を管理するということは、万が一の出来事に備えるということ。
結局はここでも、発生確率によるまやかしがリスク管理に適用されているんだ。
つまり、仮に低レベルの放射能に汚染されても、癌の発生する確率はこれだけ、と言って人を安心させようとしているけれど、
不幸にしてその0.ナンパーセントに当たった人はどうなるんですか?
もちろん個人の身に起こるさまざまなことを(幸も不幸も)、人はそれぞれの人生で受け止めていくしかないのだけれど、
企業や行政がその危険を高めておきながら、大したことのないように言っていいわけがないでしょう。
あ? レビューになってなかった?
では、フィンランド映画、『100,000年後の安全』に戻りましょう。
まあそういうわけで、見終わった後、開口一番の印象は「フィンランドは偉い」でしかなかった。
りっぱですよ、フィンランドは。危険な原子力発電所を操業しながら、
そこから出る危険物質は自分の国土内で収めようってんだから。
もちろん10万年後にフィンランドなんて国あるかどうかわからない。
どの国だって存続しているかどうかもわからない、
だってこの映画の中で言われている言葉を信じれば、6万年後にはふたたび氷河期が来るだろうって話なんだから。
そんな気の遠くなるほどの長い長い時の間、
たとえ安全に稼動を終えたとしても、生物にとっての負の遺産を持ち越してしまう原子力利用。
そしてだからこそこれは、フィンランド一国の問題ではなく、地球全体の問題ともなる。
それはやっぱり、今ここでもう一度考え直してみるしかないでしょうってことを、
凍りつきそうな北欧の自然や、うすら寒げな廃棄物処分場の映像と共に考えさせてくれるドキュメンタリーです。
あまり細かいことまで書いてしまうとみんなの発見がなくなってしまうので書きませんが、
現在のところ、モーニングショーでしかやっていないものの、ぜひみんなも見に行ってください。
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http://www.webdice.jp/dice/detail/2985/
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