話題の映画「MONGOL」をみた。
製作費50億円の歴史超大作、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートといわれても、世界史や世界の偉人伝に関しては疎すぎるくらい疎い私。
チンギスハーンってだれ?
あの「ジンっジンっジンギスカーン♪ 」って歌と同じなの?
その程度な前知識。
野蛮な戦闘とカリスマ的な統率力で世界を制覇したとかそういうイメージを持っていてキリストやモーゼと同じくらい現実感のないヒーロー。
映画をみて、それが歴史てき真実か?なんてことを語るのはナンセンスでしょうね。
とにかくこの作品はすごかった。邦画との差は素人目にみても歴然。
微妙な後味の映像処理やチープなセットはそこにはない。
ただただ、だだっぴろい自然の大地がスクリーンに映し出され、そこを馬に乗った人が駆けていく。
印象的だったのはグレーがかった戦闘シーンの血の飛沫の紅色。
天からストレートに落ちてくる雨粒のひとつひとつ。
すごく綺麗だった。
黄褐色で切れ長の目の顔の人々も綺麗だった。
そこに主人公テムジンに扮したタダノブ・アサノがいる。
邦画好きが慣れ親しんだその顔がこの風景に存ることが最初は不思議に感じていた。
作品を見終わってから考えていたのは「家」ってなんだろう?
「家族」ってなんだろうってこと。
テムジンはボルテを自ら妻に選択する。ボルテもしかり。
兵には自由に主人を選ばせる。
住む場所も自由に移動する。
敵や他人の子を自分の子とする。
戦いに出るテムジンに「こんどはいつ戻るの?」と問いかる妻ボルテ。家も家族もテムジンもどこかへ移動しつづけるのに必ず出会える。
土地を所有して、家を建て、移動を拒否し、「家族」という最小のコミュニティを作り、そこから他者を排除する、そんな"社会"にいると、テムジンとその周囲の人々が自由に自分の想う場所と自分の想う人々を自由に選択し、自由に生きる。
壮大な作品を見たわりに小さな思いなんだけど、
なんかそういう"自由"がステキだと思った。