映画『岸辺の旅』より ©2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINEMAS
本年度のカンヌ国際映画祭「ある視点部門」で日本人初の監督賞に輝いた、黒沢清監督の最新作『岸辺の旅』が10月1日(木)から日本公開となる。
湯本香樹実による同名小説を原作に、3年間の失踪の後、「俺、死んだよ」という言葉とともに突然帰宅した夫と、戸惑いながらも空白の期間を埋めるべく、2人でかつてお世話になった人々のもとを訪れる旅に出ることを決意する妻との関係を描いている。2003年の『ドッペルゲンガー』をはじめ、「死んだ人」と「生きている人」が共に暮らす、という黒沢監督らしいモチーフを用いながらも、今作は深津絵里と浅野忠信が演じる夫婦の生活と旅の軌跡を丹念に追うことで、これまでの黒沢作品にはなかった、シンプルだけれど味わい深いドラマに仕上がっている。深津絵里の演技のリアリティ、そして浅野忠信の独特の存在感もあり、妻の瑞希が道中で夫・優介の知られざる一面を垣間見ていくなかで、ゆっくりと愛情を確認していく過程をつぶさに感じ取ることができる仕上がりとなっている。
webDICEでは黒沢監督のインタビューを掲載する。
旅をするという表現の難しさ
──最初に、湯本香樹実さんの原作との出会いと、映画化の動機について教えてくだあし。
原作はプロデューサーの松田広子さんのすすめで読みはじめました。一度死んだ人間がこの世によみがえって、生きていた過去を懐かしむといった設定はこれまでにもあったのでしょうが、死者が死んでからの数年間を検証していくという物語は前代未聞で、これは映画にしてみたいとすぐに思いました。
夫(優介/浅野忠信)が死んだ後に実はこんな風であったということを、ひとり残された妻(瑞希/深津絵里)がだんだん理解していく流れに感情移入しているうちに、素直に「死」とは終着点ではなくて、ある種の過程なんだなと納得していました。死んだあとで分かることってたくさんあるんだな、と。死んだ本人にとってもそれは同じなんだと。
映画『岸辺の旅』黒沢清監督
──映像化するにあたってこだわったのは、どんなところでしょうか。
死んだ人間が映画にでてくるというのは、ぼくは何度もやっていますから、その表現自体に難しさは感じませんでした。実際の俳優を使ってどうやって死んだ人間を表現するかは、とてもやりがいのある仕事です。
一方、僕にとってとても難しかったことは、旅をするという表現ですね。これまで旅の映画を撮ったことがありません。もちろん、観たことはあるけれど、たいてい外国映画なんですよね。おもにアメリカ映画で、砂漠の中を車で走って行くようなもの。日本にも転々と場所が移り変わっていく映画はありますが、移り変わる途中の過程をメインに扱った、いわゆるロードムービーってあまり思いつかないんです。次々と、旅して行くというのが映像としてどんな面白さにつながるのか、正直今でもよくわかっていません。次々と色んな町は訪れますが、これ旅していることになっているのかな、とかなり頭を悩ませました。
どこにでもいる夫婦のようでもあり、
選ばれた2人でもある
──主人公の夫婦役に深津絵里さんと浅野忠信さんを起用した理由は?
若者ではないけれども、十分若々しい2人ということで、自然にこのお2人の名前があがってきました。深津さんとご一緒するのははじめてですが、一度機会があればお仕事したい女優さんでした。浅野さんとは以前『アカルイミライ』(2002年)ご一緒したので、もう完璧に信頼していました。お2人とも、一見スターっぽくなくごく普通なたたずまいなのですが、画面に映ると大変なオーラを放ちます。やはり特別な存在なんでしょうね。ですから、お2人が並ぶとどこにでもいる夫婦のようでもあり、選ばれた2人でもあるという、この物語にふさわしい多重性が見事に表現されていました。
映画『岸辺の旅』より、深津絵里(右)と浅野忠信(左) ©2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
──深津絵里さんの印象は?
とても精密なお芝居をする方です。驚きました。僕が「もう少し冷たい感じ」というと本当に冷たくなり、「あ、今冷たすぎました。半分くらいでいいです」というと本当に半分になる。事前に全部計算してやってらっしゃるわけではないでしょうが、その場、その場で、相手にあわせながら直感的に、自分が今どうやっているか完璧に把握してらっしゃる。たくさんの監督が彼女と仕事をしたがる理由がよく分かりました。
──浅野忠信さんの印象は?
『アカルイミライ』のときも驚かされたのですが、彼の芝居は特別です。まったく脚本通りのセリフを、まるでアドリブとしか思えないように言う、これは天性のものだと思います。とてもわくわくさせられる俳優さんです。脚本を読んで、最初にお会いした時に何か質問はありますか?と、聞いたら「いや、なにもないです」と答えるんです。1回死んで、死んだ後3年も旅して帰ってきたという、とんでもない役を前にして何もないと(笑)。何もないわけはないんでしょうが、絶対の自信があるんでしょうね。彼の中には、常人にはできないある種の処理能力があって、優介はこういう人間なんだなってどうも瞬時にわかるみたいです。世界でも類をみない俳優だと思います。
──撮影にあたっては、2人の演じる夫婦の様子はいかがでしたか?
僕が特別な指示をしたわけではないですが、とてもいい距離感をつくってくれました。べたべたせず、しかし確実に相手を信頼し、尊重している。そういう関係性であることが、2人とも脚本、原作を読んでピンときてくれたんでしょうね。神聖な、と言うとちょっと大げさかもしれませんが、日常から少し隔たった特別な夫婦関係を自然に表現されていたようです。
映画『岸辺の旅』より ©2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
──黒沢監督にとって、夫婦を描くことの意味について教えてください。
夫婦が出てくる物語というのは、いろいろなジャンルで何度かやってきましたが、これだけ2人きりのドラマを徹底的にやれたのは、はじめてかもしれません。キーワードは「信頼」だと思っています。実は僕はラブストーリーを撮りたいと思った事がなく、2人が愛し合ってますという物語を映像でどう表現していいかわからないというのが本音なんです。ただ、愛している相手をどこまで信頼できるのか、というテーマになると僕の中で突然、みえてくる部分があるようです。恋人でも夫婦でもいいんですけど、2人が愛し合っているのが大前提で、それであるがゆえに、相手のことが全然分からなくなるとか、信頼できなくなるとか、様々な危機が訪れる。でも、愛はゆるがないので、いろんな難題をのりこえ、2人は最後には100%信頼しあうというドラマ。それなら僕は興味があるし、やりたいと思いました。とくに今回の原作を読んで、死んでからより信頼が深まるという展開は非常にリアルで、ありえるような気がします。死んだ側にとっては、案外そうなのかもしれないと。途方もない話ですが、死んでみてようやく、自分はこういう人間だったのか、彼女ってこんな人だったのかと納得するのって、とても自然な流れだと感じたんです。
田舎のような町のような中途半端な場所を舞台に
──深津さんと浅野さん以外にも、小松政夫さん、蒼井優さん、柄本明さんなど豪華な俳優陣が揃いました。
小松さんは昔からTVで観ていてファンでした。ですから、このような神話的な方が僕の映画にでてくれているというだけで高揚感がありました。俳優としてはとても真面目な方なのですが、休み時間にはギャグを連発されて、現場はとにかく明るく、楽しかったです。蒼井優さんは、僕が絶対に彼女がいいと言ってお願いしました。以前、『贖罪』というドラマでご一緒させていただいきましたが、もうほれぼれする女優さんです。今回の役は、ワンシーンだけなのですが主人公瑞希に強烈なインパクトを与える役回りなので、そんなことができるのは蒼井さんしかいないと確信しておりました。実際、深津さんと蒼井さんの静かに火花が散るやりとりは、見ていてゾクゾクしました。柄本明さんは、前にも出演をお願いしたことがありますが、柄本さんがでているシーンは、すべて柄本さんのシーンになってしまう。脇に控えていてもその存在感で画面の中心になってしまうところが最大の魅力だと思います。
映画『岸辺の旅』より、左から、深津絵里、浅野忠信、柄本明 ©2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
──ロケ地については、どのように選ばれたのでしょうか?
転々と場所を移動する設定ははじめてなのでいろいろ迷いはありました。ただ、最終的に落ち着いたのはどこでも、どの場所であっても、中途半端でいいんだということ。田舎のような町のような場所。人が暮らしていてそこにささやかだけれども奥深いドラマがあるのは、そういう中途半端なところなんだということが、だんだんわかってきました。極端にしなくていいんだと。海の小島や森の孤村は2人が旅する場所としてふさわしくない。選ばれたのはどれも、いろんな人が雑多にいるどこにでもあるような場所ばかりです。
──最後に、監督はどんな思いで原作と向き合い、撮影を続けてこられたのか、あらためて教えてください。
原作にある「死んだ人のいない家はいない」という言葉に支えられて撮影していました。考えてみると、死んだ人はたくさんいるんです。死者とともに私たちは生きている。そういうことは感覚として分かっているけれど、誰もよくよく考えたことはない。今回のドラマを通して「死者とともに生きる」意味と実感が、少しでも伝わるといいなと思います。
(オフィシャル・インタビューより)
黒沢清 プロフィール
1955年7月19日生まれ、兵庫県出身。97年の『CURE』で多くの海外映画祭からの招待が相次ぎ、国際的に名を広めるきっかとなり、『回路』(01)では、第54回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。2年後に公開された『アカルイミライ』(03)でも、第56回カンヌ国際映画祭「コンペティション部門」に正式招待となり、『叫』(06)では、初めてヴェネツィア国際映画祭に招待され絶賛を浴びた。日本・オランダ・香港の合作『トウキョウソナタ』(08)では、第61回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」審査員賞と第3回アジア・フィルム・アワード作品賞を受賞。また、連続テレビドラマとして放送された『贖罪』(12)では、第69回ヴェネツィア国際映画祭の「アウト・オブ・コンペティション部門」でテレビドラマとして異例の出品を果たした他、トロント国際映画祭や釜山国際映画祭など多くの国際映画祭でも上映された。2013年の『リアル〜完全なる首長竜の日〜』でも、ロカルノ国際映画祭「コンペティション部門」をはじめ、世界の数多くの映画祭に出品された。前田敦子主演で注目を集めた『Seventh Code』(14)では第8回ローマ映画祭最優秀監督賞を受賞している。
映画『岸辺の旅』
10月1日(木)テアトル新宿ほか全国ロードショー
映画『岸辺の旅』より ©2015「岸辺の旅」製作委員会/COMME DES CINÉMAS
夫の優介(浅野忠信)が失踪してから3年。妻の瑞希(深津絵里)は喪失感を経て、ようやく、ピアノを人に教える仕事を再開し、日々を暮らしていた。そんなある日、突然、夫が帰ってきた。そして、帰宅した優介は瑞希に「俺、死んだよ。」と告げる。そして「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ。」という優介に誘われるまま、2人で旅に出る瑞希。それは夫が失踪してから、自宅に戻ってくるまでの3年間でお世話になった人々を訪ねていく旅だった。ひとつめの町では新聞配達を生業とする孤独な初老の男性を、ふたつめの町では小さな食堂を営む夫婦を、みっつめの町では山奥の農園で暮らす家族を訪ねる2人。失われた時を巡るように、優介と一緒に過ごし、優介が見たこと、触れたこと、感じたことを、同じ気持ちで感じていく瑞希。旅を続けるうちに、瑞希はそれまで知らなかった優介の姿も知ることになる。お互いへの深い愛を、「一緒にいたい」という純粋な気持ちを改めて感じ合う2人。だが、瑞希が優介を見おくり、言えなかった「さようなら」を伝える時は刻一刻と近づいていた―。
原作:湯本香樹実「岸辺の旅」(文春文庫刊)
企画協力:文藝春秋
監督:黒沢清
脚本:宇治田隆史 黒沢清
出演:深津絵里 浅野忠信
製作:「岸辺の旅」製作委員会(アミューズ、WOWOW、ショウゲート、ポニーキャニオン、博報堂、オフィス・シロウズ)
共同製作:COMME DES CINEMAS
製作幹事:アミューズ、WOWOW
企画・制作プロダクション:オフィス・シロウズ
配給:ショウゲート
2015年/日本・フランス/シネスコ/5.1ch/128分
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