年内に書いておきたかったことの一つに、
NHK大河ドラマの『真田丸』のおもしろさってのがあって、
これまでにもここで時々、その年やっている大河の論評っていうよりは感想を書いたことがあったけれど、
『真田丸』はかつてないほどおもしろいものだった。
どこがおもしろかったかってそのキャラクター造形で、
最初はあまりに現代劇調で、ギャグを乱発するところに大河の品位がまったく感じられず、全然入り込めなかったのだけれど、
中盤からそれぞれのキャラクターが動き出して、からみ合ってくると、だんだんに見がいのあるものになってきて、
あの天下を治めた徳川家康が実は臆病者の甘えん坊だったり、
義に篤い上杉景勝が実は見栄っ張りのええかっこしいだったり、と、
これまで武将と言えばどいつもこいつもかっこよく重々しく描かれていたのが、
どこかしらおっちょこちょいで、ぐずぐずしていて、情けなかったりどじだったりするところがとてもよかった。
対して女性キャラはどうだったかというと、
これはあくまでも女性視聴者の受けを狙ったのか、
現代女性が感情移入しやすいいくつかのタイプに分かれていたようで、
きりは思ったことをすぐ口にする積極的なタイプで、
梅はおっとりして見えるのにしたたかでタフな一面があって、
松はその場の空気が読めないのかと思うほどに底抜けに明るい天燃で、
総じてみんな、そのはっきり、きっぱりとしたところが、とても戦国時代の女性とは思えなかった。
しかし、私は茶々は嫌いでしたね。
茶々は心に深い傷を負った、実は哀れな女性として描かれていて、
その頼りなさや、男の庇護を受けなければ生きていけないところなどが、
女性のナルシシズムを誘ったかもしれないけれど、
茶々を好きというのは即ち、『エヴァンゲリオン』で言えば、綾波レイを好きと言うようなもの。
かなり古いけれど、東電OL殺人事件の被害者に自分を重ね合わせるような人たちの心性(メンタリティーってルビふろうかな)で、
私はエヴァでも完全にアスカ派でしたから、茶々はほんとうにうっとうしかったです(化粧が濃いのも気に入らなかった)。
しかしドラマの中では、毎回きりのほうがうっとうしいと呼ばれ、しまいにゃきりも開き直って、「ええ、私はどこに行ってもうっとうしいと呼ばれる女です!」とか自分で言っていたけど、
多少ほかの人によろめいたところもあったとはいえ、ずっと信繁(幸村)を思い続けて、陰ながら最後まで彼を支え続けたきりは、私から見ればけなげな女としか言いようがなく、
作中ではいろいろと自分に酔ったような一人よがりの発言もあったけれど(「不穏? 大好き! またいっしょに乗り越えていきましょう!」と信繁に言ってみたり)、
全体的にきりはオトメチックで私にとっては好ましい女性キャラだったし、最後の最後で(たぶん視聴者へのサービス)その恋心が報われたところにほっとした。
しかしそうは言いながらも私が『真田丸』の中で一番引き込まれて何度も見直したシーンは、
実は初期のほうの第11話の、真田昌幸(信繁の父)と室賀正武(まさたけ)の国衆同士の男と男の対決の場で、
碁盤をはさんで、互いに碁を打ちながらの裏のかき合いが、
室賀の敗北で終わるかと思われた時、
なにを感じたのか、敵意を露にするよりも神妙な面持ちになって、室賀が淡々と我が胸中を昌幸に語り出したところなどは、
なんとも言えない切なさがあって(折しもバックにはセンチな音楽が)、非常に印象深かった。
あの時、室賀はすでに自分の死を覚悟していたのか。
「わしの勝ちじゃ」と言いながら最後の一手を打ち、
しかし隠し持っていた小刀を碁盤の上にたたきつけて差し出した時、
碁では勝ったが覇権争いではおまえに負けた、というジェスチャーをしながらも、
心の底ではやはりその言葉どおりに、なにがあっても、人としても武士としても、昌幸に負けるつもりはない、と思っていたのか。じゃなきゃ、その後の思い切った行動には出れまい。
ああ~、あんなとこで男の意地を貫こうとしなければ、その先も生き永らえることができたのに~!
なにかそういう熱い思いがあったからこその人の無念さとか、悔しさを描いたシーンって昔からのめり込んでしまう。
そのように全体に三谷幸喜の脚本って、今時にしてはくどいっていうか、しつこいっていうか、強く情に訴えてくるところがあって、
あれほど秀吉のもうろくっぷりを長々と描いたのも珍しいと思うし
(最後にゃ、誰に対しても「秀頼のこと頼む」しか言わないぼけてもなおの親心)、
石田三成が決起した時の孤独感も、悲壮感も細かく描いていたと思うし、
またそういったそれぞれの情念を、親子の情として、あるいは一族の念として、連綿と続くものとして暗示するところに物語の奥行きを広げようとする脚本家としての思いも感じられた。
さすがにきのう放映した総集編ではそこまではすくい切れないようだったから、
もし時間があってこのドラマに興味を持ち、まだ全然見ていなかったという人は、いつか1話から50話までをじっくり見るべきだろう。
私も途中で(まあ、毎度のごとく見落としたところもあったから)物語をよく見直すためにまた最初に戻って、第1話から見直したというクチで、『真田丸』ほど丹念に見て読み込んだ大河もこれまでになかったと言える
(だからほんとはもっと言いたいことがあるのだけど、まあこのへんで)。