2013-10-28

『潔子爛漫』を見てた―最後に、潔子の「誠」― このエントリーを含むはてなブックマーク 

はあー、やっと終わってくれました(三日前に)。
このような、半ばいいかげんなドラマは終わったらすぐその日のうちに忘れて、
次に行くべきなんだろうけれど、私はなかなかそういう器用なことができません。
しかも、書き出しであれだけほめてしまったので、最後も一言、いや、二言三言、遅ればせながら申しておきたいと思います
(すなわち、完全なネタバレというものです)。

第二部(32話)以降、どうでもいい一波乱、二波乱に主人公たちが見舞われ、
ともかくもう潔子と蒼太が丸く収まってくれさえすればそれでいいんだけど、と思いながらいちおう見ていたんだが、
最終回の予告が若干潔子の死を暗示させるような引っかけ映像と煽り言葉だったので、
"まさか、またむだに盛り上げようと思って、つまんないこと考えてんじゃないだろうな……"と危ぶんでいたものの、
さすがにそこまでばかなことはしないでくれたのは助かった
(でないと、すべてが総くずれ)。

しかし、それこそ三文芝居のようなわざとらしい所作とあわただしい展開で、
最後に持ち上がっていた件が渋澤商会の店先で一件落着した後、
潔子と忌々しいサイコ女との最終対決が別の場で起こり、
本来はそうあっさりとは改心できるはずもないサイコな女・かほるが
(かつて弥彦が、「人の性根はそう簡単には変わらん」と吐き捨てたように)
ついに心を入れ替え、
ようやく潔子と蒼太も長い年月の果てにいっしょになることができて、
二人の間に娘まで生まれてめでたしめでたし、という落ちだった。

でも、そこまでいく間に、
潔子も行きがかり上刃物で切られることになったのを、
手当てした老医師である蒼太の父親が、

「蒼太も潔子殿もそろって刀傷を受けるとは、なんと仲のよいことか」

とにこにこしながら言ったのは、ほほえましさを通り越えて、見上げたポジティヴ・シンキングだと思った。
普通、それだけ年を取った人間ならば、
「なんと、因果な……」
とか、眉をひそめて言いそうなもの(言うのが似つかわしいところ)なのに。
そして、改心したかほるが、
「この先、自分の道が必ずあると信じて、前を向いて頑張っていきます」
という手紙をよこしたのにも、
ずうずうしいと思いながらも、やはりうそでもいいからそういう言葉を言ってもらったほうが気持ちのよいものだと感じた。

要はやっぱり、気の持ちようであって、生きていくための心がけだからね。

そして主人公の潔子はそのかほると最後に対決した時に、
最近、ようやくわかったことがあって、
祖母に教えられた「女子の道はひとつ」という言葉は、
一度自分でこうしようと決めたことを曲げてはならない、ということではなく、
自分の身の上に起こったことは、不本意なことでも嘆かずに受け入れて、前を向いて生きていきさえすれば、
それは必ず一本の道となり、いつかは自分の望んだとおりになる、という意味なのだ、と諭していたけれど、
いや、潔子は最初っから最後まで、このドラマの中ではそうやって生きてきたよね、というのが正直な感想で、
蒼太と共に生きていこうと固く決意してもそれがかなわぬこととなったなら、
蒼太は心の中の人に留めて、今度は夫となった人に尽くしていこうと決め、
その夫亡き後は、夫の夢を叶えるまでは嫁ぎ先に留まろうと決め、というふうに、
その都度その都度、人生の目標を修正しながらも、常に前を向いて生きてきた。
もちろん、このお話の中では、いつでも彼女を守ってくれる男たちがいたからこそそうしていられるとところもあったのだけれど、
後ろをふり向かないというその姿勢は――そりゃあ、多少揺らいだ時はあっても――常に変わることがなかった。
そういう意味では、彼女は潔子というその名のとおり、己の「心の誠」を潔く貫いた。
「心の誠」とは、おそらく誰か一人に対して忠誠を尽くすことや献身するといったことではなく、
自分の信念に従って、その時の自分の気持ちに正直に、また、まっすぐに、ということであろうし、
本来、人を信じるということも、
目の前にあるその人個人を信じることではなく、
人として持っている可能性や、その人に働いている力を信じるということだからね。

そうしてやっと授かった二人の娘には、
心の誠を大切に、という思いと、
琴の音色のように周りの人を包み込める子にもなるように(お母さんのヴァージョンアップ?)、
という願いとを込めて、蒼太に「真琴」という名をつけてもらい、
「真琴、お父様の思いのとおり、心の温かな子に育つのですよ」
と、我が子に向かって潔子が満足そうにほほえむのであった。

なにも潔子と蒼太の結婚式のシーンまで出さないでくれても、
二人に子供が生まれるところまで描かないでくれても、
このドラマは十分円満に終われたと思うけれど、
最後の最後で、代々娘に受け継がれていくものとして、あの祖母から譲られた手鏡がまた画面に登場し、
「少女小説」に戻って終わったのだった。

そうやって見てみると、いちおう筋は通っているか。

別に私は弥彦萌えはしていなかったので、
このドラマの見どころはやはり潔子の娘らしさの際立つ中盤までで、
しかし、潔子が弥彦の下に嫁いでからは彼と潔子との関係に焦点が当たったので、
別の見どころがクローズアップされて、せいぜい31話まで、だと思う。

ちょっと、どころか結果としてはかなり残念なできになってしまったようだけれど、
まあ製作者側にそこまでしか作る気がなかったのなら、それでよいとするしかないんでしょうね。

これでまた当分、私もお昼のメロドラマからはさよならです。
次に見ようかと思った頃には、もうテレビはないんじゃないでしょうか。

共に、お粗末様でございました!

キーワード:

潔子爛漫 / 第39話 / 最終回


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Reiko.A/東 玲子

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