このドラマの魅力は、一口に言って少女小説的なところだと思う。
朝の連続テレビ小説ならぬ、いわば、お昼の連続テレビ少女小説(局違うが)。
だから、父母や祖母から与えられる格言のような言葉にあふれていて、
その教えに従い、まっすぐ生きようとする潔子の存在によって、
周りの人たちも少しずつ自分を顧み、変えるべきところがあれば変えてゆく。
でもそれ、やっぱりあくまでも「心がけ」だから。
それで、今の話の展開のように武器商人であることすらが悪とされ、
豪商・弥彦が「改心」して、武器を扱うことをすっぱりやめてしまう、となると、
ちょっと心がけ達成率が高過ぎるというか、いささか不自然かな、とは思うんだよね。
だっていちおう、弥彦が武器商人になったのは、彼なりの志があったからということになっているし、
そもそも、これまでの潔子の窮地を鮮やかに救ってきたのは、
その武器売買でもうけた彼の莫大なお金のはずだったんだから。
潔子だって、いくらなんでもそれはわかってるだろうに……。
実際、その潔子自身の行いだって決して100点満点ではなく、
何度、「覚悟が決まりました」と言ったその後で、
事情が許さなかったからとはいえ固いはずのその覚悟が覆されたかはわからず、
借金を肩代わりしてもらう引き換えに、弥彦との結婚を承諾した後でも、
お互いに衝動的とはいえ、蒼太と手と手を取り合って逃げようとしたこともあるし、
弥彦に妻として尽くそうとしながらも、その心の中にはいつも蒼太がいる。
「離れていても、私は蒼太さんのお心を近くに感じています」
とは、人妻らしからぬ、蒼太に向かって言った潔子の言葉。
「だから、頑張ってこれたのです。
私は大丈夫です。ですから、蒼太さんは蒼太さんがすべきことをなさってください」
最後はいつもの潔子らしく、蒼太を励ましているが。
でも、この二人は、こういう関係でもいいんじゃないだろうか。
この物語の骨子は、いちおう二人の純愛物語なんだし、
そもそもそれが、お金のために弥彦の下に嫁ぐことを決意した時に、
潔子が蒼太に残した別れの言葉なのだったから。
「私たちがこれからどんな道に進もうと、私の心は蒼太さんのおそばにおります。
きっと、きっと、いつまでもおそばに」
って。
見ているこっちにはあんまりカッコよくなくて、今ひとつ頼りない蒼太でも、
ヒロイン潔子が常に心強くいられるのは、幼なじみの彼の心の支えがあるからなのだった。
そのように、いつも凛としていようと心がけていても、
潔子だって迷う時はあるし、答えの出せないことに苦悶する時もある。
ある晩、彼女にとっては究極の、白黒はっきりつけられない問題に直面して一人思い悩んでいると、
亡くなったはずの母親が突然目の前に現れる。
「なにを悩んでいるのです」
驚く潔子に、
「言ったでしょ。人の真髄を見極めなさい、と」
それは、潔子が嫁入りする時に母が与えてくれた言葉だった。
「でもそれは、誰かほかの人のことより、ほんとうは自分の心の真髄を見極めることが大事なのですよ」そして、
「今、なにをすべきなのか、自分の心と向き合えば、おのずと答えは出るものです」
と諭してくれるのだった。
その言葉をつぶやくようにくり返し、潔子は自分の心に問いかける。
こんなところ、やっぱり少し昔の、少女小説風な味わいがある。
死別した母親が現れ、厳しいながらもやさしい言葉をかけてくれ、いつでも見守っていることを知らせてくれるなんて。
しかもこのシーン、二人共に正座して向き合いながら話しているのだ。
潔子の歩んでゆく道は、その言葉からすると、やはり妻としての務め、自分の役目にのっとったものになるのだろう。
そういった、このドラマに出てくる良妻賢母にも等しい教えは、そのまま現代に当てはめることはできないかも知れない。
ある程度、制約があった中でこそ光る生き方だろう。
でも、たとえ誰かに与えられた道であろうとも、その道を自分のものと思い定め、ひるまずに進んでいこうとする姿勢。
その姿勢こそが大切で、それがやがては、芯の強さを形作っていく、ということをこの物語は言いたいのだと思う。
ドラマはこの後、いきなり8年話がすっ飛んでまだ続くらしいが、あますところ計算するとあと9話。
後は周りの人たちがどう納まるかで、
潔子と蒼太がたとえどのような変貌を遂げていようが、もはやそれほどやきもきするものでもなさそうな気がする。
写真はその第30話より。
亡き母の愛情を感じて思わず涙ぐむ潔子。