クロスレビューを書きましたが、さらに思うことを。
僕が恐ろしく思うことは、2点あります。
まず、肥田舜太郎氏らがいなくなってしまうこと。
つらすぎる過去に対して、直接体験者以外は「深刻に考えすぎないようにしよう」という心理が働きます。もちろん、四六時ちゅう被害者意識を持ち続ける必要はありませんが、直接体験者がいなくなることは、「つらい体験」を一気に「歴史的なできごと」へと棚上げしてしまいます。
原発というシステムそのもの、そして原発事故への対応も、人々が「今」しか考えられないことの証左です。1000年はおろか、100年後も「知ったこっちゃない」です。せいぜい10年後まででしょう。
人間が扱いきれない「核」があるかぎり、その畏れを忘れないために、50年ごとくらいに深刻な事故が起きるよう「大いなる力」が働いている、そう考えたくもなります。
そしてもう一つは、男たちの権力支配が続くこと。
核というのは、非常に男性的な存在に思えます。核を推進してきたのは圧倒的に男社会でしたし、原発事故で反射的にNOを唱えたのは、圧倒的に女たちです。
これは理屈ではなく、生理でしょう。
今までの申し訳程度の「女性の権利も認めますよ」的な風潮では話になりません。根本から女性が主導権を取りえたとき、はじめて「脱原発」がリアルなものとなりえるでしょう。