牧野真一の首吊り小説は実在しなかったわけだけれど、
故郷の一小村に冬となると吹きすさぶ寒風をとても恐れていた彼は、
こんな風にすら脅える軟弱者の自分はとても生きてはいけまい、
と心底、みじめな思いでいたらしいが(確か)、
その気持ちはわからないでもない。
かつて私も、四谷の工藤冬里の部屋で
(すみませんが実名出させてもらいます)、
一人で午後を過ごしていた折、
あれはまだ秋にも至っていなかったと思うけど、
だんだん夕暮れが迫ってくるに従って吹き始めた猛烈な風に、
ぼろアパートのガラス戸がガタガタと鳴るのが怖くなってきて、
自分はこんなところでこれから一人で暮らせるのだろうか、と脅えながら、
その脅える気持ちを何枚も何枚も原稿用紙に書きなぐっていた。
というのも当時、彼と礼子さんがいっしょに住んでいた部屋を、
礼子さんがいなくなった後、
家賃を払い切れなくなった冬里君から私が譲り受けるという話が出ていて、
とりあえずのシェア料として家賃の一部の二万円を支払っていたから、
私は当然の滞在権があると思って居座っていたのだけど、
この時の彼の記憶ははずい分とあいまいなようで、
後年、彼はこのことを適当に脚色して『G-Modern』のインタビューに答えた。
私があげたのは五千円じゃないです!
二万円です!
なんて、そんな金額の相違のことはまあいいけれど(よくない)、
さらにそれからまた十数年を経て、
結局いっしょになった彼らの別のうちを訪ねた時、
いかにもお金に困っている(と見えた)私に
礼子さんが帰り際、いきなり一万円札を差し出し、
「困っているんでしょ」と言って受け取るように促したけど、
そんなことはできない、と断る私に、
「以前、冬里君が助けてもらったから」と言われて、
ああ、あの時のことか、と思い、
「あれは二万円だよ(五千円じゃなくて)」と、
考えもなしに言ってしまった。
この話って前にもどこかで書いたっけ?
でも、書いてないような気がするし、少なくともそれはここでじゃない。
で、その『G-Modern』のインタビューの中で、
私が四谷の彼らの部屋を気に入ったのが(いつ、気に入ったって言ったっけ?)、
部屋の中央に首吊り用の縄を吊るしてあったからではないか、と冬里君は結論づけているのだが、
私は首吊りオブセッションなんて持ったことがない。
(持って、飛び降りと飛び込み)。
縄が吊るしてあることすら気づいてもいなかった。
よっぽど細くて、ぶら下がったらすぐにも切れそうな縄だったに違いない(と思う)。
ちなみに、私がその四谷の部屋に住むという案はすぐに立ち消えになり、
その後、二人の引越しを手伝いに行ったつもりの私は、
手伝うどころか大幅に遅刻して、
彼らの新居への出発を遅らせただけだった。
この話を書いてから洗い物をしに台所に立ったら、
どういうわけだかお皿を洗っているうちに手が滑り、
以前冬里君から購入した、彼が焼いた五位鷺の描いてある小皿を割ってしまった。
そんな昔のこと書くんじゃない、って怒ったんだろうか(いまだ存命中)?