はぁ~、東京地方は今日もみぞれ混じりの雨になってしまいました。
寒くて家の中でも指先が凍りつきそう。
といった大寒の厳しさにもにもかかわらず、
明日の22日はauristela(以後、ステラ)とTAQACY(以後、トカゲ)と共に、
高円寺のGoodmanでliveです。
明日はお店のルールによる2ステージ制で、
そのどちらかのセットで私が20分だけゲスト出演するというもの。
ヴォイスになるでしょう。
体の動きは自然についてきます。
暮れからお正月にかけて、
ファンでもないのに太宰を読んでいたせいで、
このステラに牧野真一を読むことを勧められました。
大正から昭和初期にかけて活躍した自然主義の作家で、
相当に情けない一家の事情をこれでもか、これでもかと書きつづった人らしい。
私が読んだのは岩波文庫の『ゼーロン・淡雪』という短編集だったから、
そこまで深刻な作品は入っていなかったけど、
中にひとつ、気になるエッセイがあった。
それは『文学とはなんぞや』(おお、まっこうから)という掌編で、
これを読むと、牧野真一はどうもユーモア小説を書けるようになりたかったみたい。
実際には、自分を戯画化したユーモアのある短編もすでにいくつも書いていて、
岩波文庫にはむしろそれらが中心に収められているのに、
本人としては、それでも全然納得がいかなかったし、まだまだ書き足りなかったようだ。
"やがての私の念願は「笑いの文学」の創作である。
(中略)
どうぞ、この思いが悲劇に終らぬように――。”
と、そのエッセイの中で書いているもの。
"悲劇に終らぬように"ってところが悲壮過ぎるけれど、
やっぱり、どシリアスな私小説なんて書きたくても延々書いていると、
そういう気持ちになるのだろうなあ、と思った。
それに、笑おうとしても笑えないし、自分の感情がどこにあるのかわからない、
自分はまるで、ただぽつねんと立ち尽くす1本のろうそくのようだ、
といった感慨を、(いつの頃からか)持つようになってしまった作家としては、
屈託のない世界で生きたいという気持ちも強かったのだろう。
そういう私も今でこそとってもよく泣いて、とってもよく笑うけど、
ステージで笑いながら歌ったのは、
そのステラにギターで伴奏を務めてもらってカバー曲を歌った時が初めてだもの
(しかも、たった2年前。それも、笑ったとたんにとちった)。
それは私にとっては画期的なことで、
それを考えると、一人の作家のこのような切なる願いが書かれている本を後日彼に勧められたというのは、
ふしぎな偶然のような気がする。
しかし(!)、
実はステラの伴奏で笑えたというのは私自身の選曲によるところが多く、
私が「明るいのに暗い」とトカゲが評したジャズのスタンダードナンバーを歌ったからで、
ステラはほんとうはまっとうな曲の伴奏などほとんど興味がなく、
むしろ即興をやりたかったことに気づいたのはそれよりずっと後のことだった。
というわけで、明日のliveはステラが言い出した即興セットなわけです。
ステラとトカゲがまず慣れないながらもタッグを組み、
私はそのどこかでちょっと加わるだけ。
よって、明日のliveで私の笑顔がこぼれることはないでしょうし、
実を言うとただの伴奏なんか二度としたくないステラのギターで、
私が笑う日ももう訪れやしないのよね。
1月22日(日)@高円寺Goodman
start:20:00
charge 1600円 + drink代(400円からあるらしい)
出演:
Auristela(ba.)×TAQACY(gu.) にちょこっとReiko.A(vo.)
吉野繁(as.)
(両方とも2ステージ)
高円寺GOODMAN info.
東京都杉並区高円寺南 3-58-17 プラザUSA 201
090-9395-3576
JR高円寺駅南口を出たら右に折れて横断歩道を渡り、
線路沿いの道をほんの1分程度歩いた左側にある焼き鳥屋の手前で左折。
焼き鳥屋裏のビルの2F。
http://koenjigoodman.web.fc2.com/
ちなみに、牧野真一は最後に首をくくって亡くなった
(だから、太宰から話が流れたわけ)。
自分の首をくくる縄をなっていたら、
姪に見られてなにをしているのかと聞かれた、という、
悪いけど笑うしかない下りが出てくる作品が、
読み終わってみたら、『ゼーロン・淡雪』の中には入っていなかった。
なんという題名なのか、明日ステラに会ったら聞かないと。
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今月のReiko.AのTabelaでのタロットスケジュールはこちら。
↓
http://www.webdice.jp/diary/detail/6831/