2011-10-10

お金の話 このエントリーを含むはてなブックマーク 

 僕の2年ぶりの個展が、およそ1ヶ月半の期間を先月17日で終えました。

 作品をレプレゼントしてくれているギャラリーであるAISHO MIURA ARTSの渋谷の新スペースへの移転に伴う、第1発目の展示という事もあり、新たな試みを複数メインに据え、気合いを入れて制作を行い、展示をしました。今までよりもたくさんの人が訪れてくれ、東京の都心のほぼ全てが大手企業の店舗の進出と乱立で均質化、もっと言ってしまえば郊外都市化してしまっている中でも、やはり渋谷という街はかろうじて文化的水準を保っているのだなということを実感しました。

 展示のタイトルは前回の日記にも記しましたが、『社会制度の諸位相における考察』でした。
 社会制度と一言で言っても、複雑きわまりない現代において、何をもって定義するかというのはとても難しいのですが、今回は、言語学の初歩的な理論を参照して、言語機能が及ぶ全ての領域と定義しました。任意の言語内で文節可能な要素や最小の単位、そしてそれらのまとまりとして発される意味というのは、対立する要素、単位、意味が互いに否定し合うことで初めて価値を獲得できる実体のないものです。そしてその実体のない言語機能の過剰さゆえに、様々な制度がつくりあげられてきたのだと思います。貨幣というのもその1つに他ならず、自分がその制度内で活動しなければならないということが疑いようのない前提であるかのような錯覚を引き起こすとても強烈な制度だと思います。

 そこで、去年から構想していた、実際の紙幣を素材にした作品を作ろうと思い、1万円札10枚=10万円を貼り合わせ、同じ面積になるように別方向に10等分し、それらの裏表それぞれに違った色を着色して、それらをさらに3等分して、あらかじめ用意していた乱数によるコンポジションに沿ってその30ピースを並べ替えました。その結果が上に載せた画像です。

 実際にお金を切り、徹底的に脱価値化することで、自分のお金に対する姿勢(主に金欠による不安なのですけど、、。)を変えられるのではないか、またその脅迫観念を克服できるのではないかと思っていましたが、卑俗にまみれた30年間をひっくり返すような事はできませんでした。

 しかし、この試みは可能な限り続けていこうと思います。凄まじい金額で当局から怒られるまで。怒られてもこっそりやるかもですが。

 話題は変わりますが、といっても本筋から自分としては外れていないのですが、どうして美術関係者は音楽を聴かないのでしょうか?特に自己顕示欲強めのアーティストの人たち。理屈では説明できないですけど、作品から音楽知りませんって感じの薄っぺらさがにじみ出てませんかね。現代美術家を自称するのだったら、例えば現代音楽やサウンドアートにもう少し明るくても良い気がするのは僕だけでしょうか。逆も然りですが。

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菊地良博

ゲストブロガー

菊地良博

“宮城県在住 美術家/実験音楽家 ”


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