2012-04-03

“被爆と被曝” 『核の傷』を公開するにあたって このエントリーを含むはてなブックマーク 

4月7日から『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』とアップリンクで製作した『311 以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』を公開します。

昨年、身元を公表しないでくれというある人からマーク・プチジャン監督が2006年に製作した『核の傷』を紹介されました。福島原発事故以降、内部被曝の問題がメディアで大きく話題になる前の事でした。政府が安全宣言を出している時に内部被曝の危険性を訴える映画の上映を紹介したということがわかるとその人の立場上まずいということなのでしょう。
それほど原発の問題はデリケートな問題だということということを改めて知りました。

作品を見て、内部被曝の問題は、広島・長崎の時点から日米両政府は隠蔽していたという事であり、戦後から今まで全くなにも変わらず繋がっているのだとわかるこの『核の傷』は公開すべき映画だと思い、すぐに監督と権利の交渉を行いました。
ただ、福島原発事故以降の肥田先生の発言を映画を観に来るお客さんに伝えたいと思い、事故後毎週末講演を行っている肥田先生を撮影して講演のエッセンスを27分にまとめ、同時上映する事にしました。

以下、映画のパンフレットのイントロとして書いたテキストです。

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 福島第一原発の事故が起きてから、パソコンで「ヒバク」という文字を打つ時に、「爆」なのか「曝」なのかを意識するようになりました。それまでは、ヒバクは「被爆」であり、広島・長崎の原子爆弾による被害として認識していましたが、レントゲンによるヒバクを「被曝」と表記をすることを知ったのは、恥ずかしながら福島の原発事故以降でした。
 『核の傷:肥田舜太郎医師と内部被曝』と『311 以降を生きる:肥田舜太郎医師講演より』の2本の映画を観ると、政府は原爆であろうが原発であろうが、被爆者は存在しても被曝者は存在しないものとしていることがよくわかります。
 なぜなのか。それは、すべて金です。国が被曝者への補償額を押さえたいからです。原爆の暴力的な爆発と熱風による「火」の被爆と比べ、放射性降下物による「日々」の被曝は健康被害との因果関係を立証するのが難しいため、政府は長年、低線量被曝・内部被曝を無視してきました。
 つい先頃、2012年3月28日のニュースでも、東京や千葉、静岡などに住む67~91歳の被曝者17名と、すでに死亡した2 名の遺族の計23人が、国に対し原爆症認定申請の却下処分の取り消しを求め、東京地裁に一斉に提訴したと報じられました。
 『核の傷』の最後に、こんなナレーションがあります。「なぜ日本政府は米政府と結託して、原爆による死亡者の数を隠そうとしたのでしょうか。ヒバク者の認定は国の賠償責任にもつながる問題だったからでしょう」。戦後67年経った今も、状況が何も変わっていない事に愕然とし、怒りが込み上げてきます。
 福島原発事故直後、枝野官房長官は「ただちに健康被害は出ない」と発言しました。内部被曝は因果関係の特定が難しいという事を、承知の上でだったのでしょう。とどのつまりは、肥田先生が言うように「自分の責任で自分の命を生きる」しかない時代に突入したことを、強く自覚しなければならないと確信します。

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キーワード:

核の傷 / 肥田舜太郎 / 原発 / 内部被曝


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浅井 隆

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