いや~、予想どおり盛り上がりませんでしたね。
てか、これやっぱり私、最後まで見続けられませんでした。
ちょっと飛ばし飛ばしで、なんとか7月まで。
その後はさすがに、つき合い切れなかったなあ
(でも、最終回だけは見ておいたというわけで…)。
というのも、いずれ暇があったら書くと言っておきながら結局書かなかったけど、
ほのぼの過ぎるんですよ、妻夫木聡演じる兼続もさわやか過ぎるし。
だから、どんなに彼が苦しい目に遭っても、
どんな窮地に立たされても、
最後にはうまくいくというのがわかり過ぎていて、のめり込めませんでした。
なんだか、『ある果報者の男の一生』を見せられていたみたい。
ただひとつ、華姫と景虎の自害の章だけは私のツボにはまりましたが…。
参照my old diary if you like.
↓
http://www.webdice.jp/diary/detail/2253/
そんな今ひとつだった『天地人』ですが、
それでも相変わらず心に響くせりふはぽつぽつありました。
そのひとつは、ごく初期に放映された回の上杉謙信のせりふ、
「兼続、そなたは迷うことだらけ。 だからこそ、見つけられるものがある」
兼続が自分の目指すもの、上杉家のお題目の「義」とはなにかに迷っていると、
そんなことでどうする!と叱咤せずに、
逆さまにそれでいいのだ、とねぎらう上杉謙信。
「まことの義を見つけ得る者があるとすれば、
その者は己との闘いの中に孤独の身を置き、瞑想を続ける者じゃ」と。
まっことそのとおり。人は迷って、試行錯誤して、やがて自分の道を見つけていくものです。
見つからなくても、自分で考えて生きていくものです。
だから、迷っている誰かを、安易に愚か者などと言うことは誰にもできません。
みなさんも天の声に耳を傾けながらも、どうか存分に迷って生きていってほしいと思います。
ま、そんなわけで『天地人』は、今にも通じる混乱の世に1本通したい筋
(「義」とはなにかも含めて)を描いて終わったわけですが、
来年の大河は坂本龍馬の生涯だそうで、
これから3年がけで放映するという『坂の上の雲』といい、
NHKのドラマは変化を求める人々の心を如実に反映していますね。
あ、そうそ、私、テレビはほとんどNHKしか見ないもので…。
NHKだけでもうるさいのに、他チャンネルはうるさ過ぎるものだから…。
果たして、私は次の大河は最後まで見続けることができるのかっ。
そんな予想は占ってみる気にもならない(あたりまえだ)Reiko.Aの、
お粗末過ぎる今年の大河の感想でした
(やっぱり、途中見てないからね…書く資格ないよね…)。
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Reiko.Aの、今月のTabelaでのタロット・スケジュールはコチラです。
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http://www.webdice.jp/diary/detail/3213/