ロバート・メイプルソープとパティ・スミスの関係は伝説として多くの人の知ることでありますが、この映画の本当の意味での主役であるサム・ワグスタッフについて知っている日本人はどれくらいいるのでしょう?日本以外では有名なのでしょうか?
『メイプルソープとコレクター』とするのは仕方ないですが、映画の内容を説明するという意味でとても適切な邦題だと思います。
まずコレクターには大きく分けて2種類のタイプがいます。既に価値の定まったモノを集めるコレクターと価値の定まっていないモノを集めるコレクターです。価値の定まっていないモノを集めることは、大なり小なり勇気のいることです。
いくら金持といえども、大枚はたいて買ったモノがゴミになる可能性があるからです。無名時代のメイプルソープに注目したという点ではワグスタッフは明らかに後者のタイプのコレクターです。現代アートのコレクターは本質的に後者のタイプであって欲しいと思います。
彼らの関係は昔からある典型的なパトロンと芸術家という関係に近い状態からスタートし、メイプルソープが有名になるにつれてその関係は微妙に変化してくるというお約束の展開になります。しかし、2人の関係はそう単純ではないことを、この映画の関係者たちの言葉から察することができます。
2008年の上半期まで世界的な現代アートバブルであったことを知らない日本人は多いわけですが、リーマン・ブラザーズの破綻と同じくしてバブルがはじけたということになっています。
その象徴と言われたリーマン・ブラザーズは実際に現代アートをコレクションしていたし、高給取りであった社員個人にも現代アートをコレクションする人が多く、香港のアートフェアのメインスポンサーにもなっていました。
では、バブルとともにこの4年ほどで価格が急上昇したアーティストのパトロン(コレクター)は誰だったのか想像してしまいます。
まだバブルが弾けていないとされていた2008年の上半期、僕は世界最大のそんなコレクターたちの祭典と化したアートフェア、アート・バーゼルに行きました。
村上隆のカッパのフィギュアを販売しているLAのギャラリーBlum&Poeのブースで偶然パティ・スミスに会いました。何故彼女がその場にいるのか全く理解できなかった僕は、彼女に会えた嬉しさで、アートの話は全くせずに、FUJI ROCKの時の話をしました。顔を綻ばせててとても嬉しそうでした。
翌日、彼女のアコーステックライヴとサイン会があったのですが、開口一番「カルティエ財団に招待されたから来たけど、何故私がここにいるのか分からない」と居心地が悪そうに言っていました。ライヴも早めに切り上げていまし・・・
しかし、アーティストとパトロン(コレクター)を描いたこの映画の中で、パティ・スミスは20年前に亡くなってしまった2人をよく知る重要な生き証人の役を担っています。彼女はあのアート・バーゼルの会場で何を思ったのかとても気になります。
ワグスタッフの人生をメイプルソープを中心にまとめたこの映画は、表に出てくることの少ない現代アートのコレクターという存在について考える1つの指標になるでしょう。ワグスタッフ没20年ということでなのかもしれませんが、2007年に制作されたこの映画をあえて今の時期に観るのは、現代アートを取り巻く環境の変化を思うととても意義深く思います。
「なぜ集めるのか?本当の動機が分かっているコレクターはいないと思います。それは、恋と同様、盲目なのです」というワグスタッフの言葉は名言ですね。
その盲目の結果生まれた1万8千点以上の写真コレクションに対して最後に彼が取った行動はコレクターとして理解できますが、痛々しい気がします。
晩年までコレクション対象となったものが銀器というのは、銀器についてあまりよく知らない僕には、恋に引退した老人の趣味のじゃないかとすら思えます。