パティ・スミス(左)とバーニング・スピアー(右) (c) Ted Bafaloukos
1978年に制作されたレゲエ・ムービーのマスターピース『ロッカーズ』のセオドロス・バファルコス監督が、映画の制作現場そして今作にまつわる出来事をヴィヴィッドに綴るフォト・エッセイ『ロッカーズ・ダイアリー』。抄訳連載3回となる今回の章では、ジャマイカでの撮影前、ニューヨークに居を構え新しい表現を模索中であったバファルコス監督の交友関係の多彩さが明らかになっている。パティ・スミスやロバート・フランク、ジェシカ・ラング、後にドキュメンタリー『マン・オン・ワイヤー』でもフィーチャーされることになる大道芸人フィリップ・プティに至るまで、蒼々たるアーティストが登場する。バーニング・スピアーのライヴでリロイ・〈ホースマウス〉・ウォレスと出会う場面は今作のポイントとなる箇所であり、後に映画の主役を演じることになる彼へのファースト・インプレッションが臨場感たっぷりに活写されている。
第4章 『ロッカーズ』制作へ (抜粋)
これから述べる人物相関図を完成させるためには、演劇用語でいうところの〈五番目の役割〉、つまり重要な脇役となる登場人物も紹介しておかなければならない。その人物、エド・グラズダは、一ブロック離れたブリーカー・ストリートに住んでいた。エリザベスがセーターのデザインをやっていたおんぼろスタジオの隣である。風貌も立ち居振る舞いもほとんど東ヨーロッパの郵便局員といった感じの男だ。彼もまたRISDの卒業生で、世界トップクラスの写真家になる道を静かに歩んでいた。彼の師で伝説的写真家のロバート・フランクはヒッピー妻のジューンと一ブロック先のボワリーに住んでいた。
ハリー・スミス(左)とプロデューサーのパトリック・ホージー(右) (c) Ted Bafaloukos
そして、エドが住む悲惨なロフトのワンフロア上(エレベーターなしの五階)にパコ・グランデが住んでいたことには、つくづく世界は狭いと感じさせられた。パコの父親はスペインの著名な医学者なのだが、フランコ将軍の統治時代に亡命生活を送り、ミネソタ大学で教鞭をとっていた関係で、パコとユージニーは幼なじみだったのだ。病気のせいで目はほとんど見えなかったが、私がこれまでに出会った中でも一番の読み巧者である。彼は当時まだ無名女優だったジェシカ・ラングと結婚していたが、その頃彼女はフィリップ・プティと熱愛中だった。プティというのは、それからしばらくして世界貿易センターの二つのビルの間にロープを張って渡った男だ。その綱渡り成功の一年後、今度はジェシカのほうがマンハッタンのビルを舞台に熱演を見せた。映画『キングコング』に出演して、キングコングに愛される美女を演じたのだ。パコのほうは、あるときは文化とコカと冒険を求めてペルーのクスコへ、またあるいは最高品質のマリファナやアヘンを求めてゴールデントライアングルにほど近いタイのチェンマイへ、かと思うと、失われることのない愛情とスペイン料理を求めてマドリードへ、という具合に、ニューヨークを拠点に、世界中のさまざまな文化や人々とのつながりをたどって旅をしていた。彼には盲目の写真家として活動していく計画があったのだ。
ボブ・マーリィ (c) Ted Bafaloukos
ジェシカは私たちの隣、つまりダグのロフトに数ヵ月間滞在していたことがある。ダグがその場所を又貸ししていたマリオンという美形の男性モデルが、ジェシカの親友だったのだ。彼女の友人の中にはジャマイカ人の有名パフォーマー、グレイス・ジョーンズもいた。短く刈り込んだ髪にアクセントのポンポンをつけ、ハチの扮装(黒と黄色の幅広ストライプが入った全身タイツ)をしたグレイスがものすごい勢いで駆け込んできて、「これからはもう日本のデザイナーの服しか着ないからね!」と宣言したときのことは、今もはっきり憶えている。私はジェシカが気に入った。私の知っている人間の中でも、彼女は最も分別があり、強い意思を持っていた。あのロフトで、ベティ・デイヴィス主演の映画をマリオンと一緒にテレビで観ていた彼女は、映画スターになることだけを考えていた。聡明で、現実的で、ユーモアのセンスがあった。非常に好感の持てる人物なのである。
バーニング・スピアー (c) Ted Bafaloukos
それはバーニング・スピアーがセントラルパークでの野外コンサート、〈シェーファー・ミュージック・フェスティバル〉に出演するためニューヨークを訪れたときのことだった。お膳立てをしたのはバーニング・スピアーのプロデューサー、ジャック・ルビーで、私はリスターにプレスパスを用意してもらった。これだけの顔ぶれのレゲエ・ミュージシャンがキングストン以外で見られるのは初めてのことである。特にブラス・セクションがすごかった。トランペットのボビー・エリスとアルトサックスのハーマン・マーキーの二人は伝説のバンド、スカタライツのオリジナルメンバーで、他のミュージシャンより一世代上だったが、相変わらず第一線で活躍していた。彼らと一緒にプレイするのはテナーサックスのリチャード・〈ダーティ・ハリー〉・ホールだ。さらに、ベースがロビー・シェイクスピア、リードギターがアール・〈チナ〉・スミス、リズムギターがトニー・チン、オルガンがバーナード・〈タウター〉・ハーヴィー、パーカッションがコプシー、ドラムがリロイ・〈ホースマウス〉・ウォレス、そしてバックシンガーがルパート・ウィリントンとデルロイ・ハインズというラインナップである。
私は以前からバーニング・スピアーことウィンストン・ロドニーの大ファンだったが、このコンサートを見てからは他のアーティストが目に入らなくなった。夜の空気を突き抜けていくその素晴らしい声が、そのまま世界中へ響き渡っていくのではないかと思われた。その声がオーストラリアへ、そしてアフリカまで届いて、約束の地へやってきた同胞をエチオピア人が目をきらきら輝かせながら迎えている姿が私の脳裏に浮かんだ。彼がそのステージで見せたようなパフォーマンスは、その前にも後にも見たことがない。ものすごい集中力で歌い、彼の動きすべてがそれに欠かせないものに思えた。時折見せる両手を広げる仕草は、いまにも空に飛び立ってステージから消えてしまいそうな感じだった。彼をステージに留めているのは、始めた仕事は最後までやり遂げようという使命感だけだ。それはまさに英雄の姿だった。どれもこれも信じられないほど素晴らしい曲ばかりが、表現力の網を張り巡らせるように次から次へと飛び出してくる。バーニング・スピアーには私の作る映画にぜひ出演してもらいたいと思った。
ホースマウス (c) Ted Bafaloukos
コンサート終了後には、晴れやかな表情をしたパティ・スミスが楽屋で待っていた。自分の同類を祝福し、迎え入れるため、アングラの女王が門戸を開いて待っていたのだ。そこには運命と決意が充満していた。
私はステージ上のホースマウスにも注目していた。軍の作業服にキャップというスタイルで、高い台の上に置かれたドラムの向こう側に座り、まるで銃を発射するようにスネアのリムショットを打っていた。印象的で無駄のない、凄みのあるリズムだ。レゲエの古典というか。白黒映画というか。余計なものや飾りが一切ない。動きの激しいアニメキャラクターがオーケストラの指揮をしているかのような彼の姿とは対照的なサウンドである。
その後、ホテルの部屋ではホースマウスのワンマンショーが繰り広げられた。引き立て役を務めたのはダーティ・ハリー。ガンジャをたっぷりキメたホースマウスが、自分自身のことを際限なくしゃべりまくったのである。見ていると頭がおかしくなりそうな激しい動きは、決して親しみの持てるものではないかもしれないが、そのファニーフェイスからは純粋な情熱が発散されていた。そして馬のような声で音楽のように繰り出す言葉からは、彼が深い認識を持った鋭い人間であることが感じられた。巧みに組み立てられたセンテンスにユーモアと皮肉がたっぷり込められているのだ。まさに生まれながらのショーマンだった。その夜のことでほかに憶えていることといえば、ギリシャの曲を聴きたいと言ったチナに、私が聖母に捧げるビザンツ聖歌を歌って聴かせたことぐらいだ。
それから一年後、私はジャマイカで映画の撮影をしていたが、そこで一緒に仕事をしていたのも、プロデューサーのジャック・ルビーも含め、この夜のメンバーとほとんど同じ顔ぶれだった。
デリンジャー (c) Ted Bafaloukos
(写真・文:セオドロス・バファルコス)
『ロッカーズ・ダイアリー』
写真・著:セオドロス・バファルコス
訳:浅尾敦則
2,990円
ISBN978-4-309-90876-2
菊判変形/ハードカバー/272ページ
発売中
UPLINK
『ロッカーズ・ダイアリー』公式サイト
http://www.webdice.jp/rockersdiary/
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