さて、現在来日中のパティ・スミス、
今日からついに仙台を皮切りに日本ツアーを始めたはずだが、
きのうまでは東京で、各社からの取材と著作の出版記念のトークイヴェントに追われていた。
私は詩集の『無垢の予兆』のほうを訳させてもらっているので、
イヴェントは両方とも見に行ったけれど、
その前に、UPLINKで今回初めてパティに挨拶させてもらうことができた。
今回も、十年以上も前に『パティ・スミス完全版』を訳した時も、
メールで翻訳上必要なやり取りをしただけで、
実際に会ってお話しするのはこれが正真正銘初めて。
彼女のいる部屋に入っていった時、
彼女がスタッフとなにか話している声が耳に入り、
私が真っ先に感じたのは、
「美しい声をしている」
ということだった。
美しくて、深い声。
今まで私が彼女の声に対して感じていたのは、
「独特な声」
ということだった。
かつてロスのレコード屋で久方ぶりの彼女の新譜がかかって、
あ、これ、誰だろう、すごくいい、と思った時も、
たまにCDを聞いて、やっぱりいいな、と思う時も、
それは、
その「独特な声色」と、「独特な歌い方」に対してなのだった。
けれど、初めて身近で聞いたその第一声には、私は「独特さ」よりも「美しさ」を感じさせられた。
なにかを声高に主張する必要も、執拗に拒絶する必要もなく、
あるがままに受け入れて、受け止めている人の落ち着いた声。
もちろん若い頃の彼女は反抗的でもあり、
エキセントリックでもあり、
闘争のシンボルでさえあったわけだけれど、
長い年月を経て、寛大さと鷹揚さを身につけている。
人生を肯定している人の声だった。
そういうわけで、トークイヴェントのほうでも、
やはり、生きることへの喜びが感じられる言葉にあふれていた。
アーティストになったのは天命であり、
なろうとしてなったものではないけれど、
アーティストを目指している人たちに言えることは、
そのために、時には犠牲にしなければならないものもあるのを忘れないで、ということ。
でも、その苦労の過程も十分に楽しんでほしい、と。
そして、もし同じアーティストの卵でありながら、
彼女が住んでいたチェルシーホテルの仲間たちのように、
アーティストとして大成した者と消えていった者とを隔てるものがあるとしたら、
それは、一部の人はその感性ゆえか自己破壊的な衝動に身を任せ過ぎ、
そういったもののない者、もしくはそれをコントロールできたものが生き残ったに過ぎないのかも知れない、ということ
(このあたり、ちょっと私の記憶に脚色が入り混じっているかも)。
また、自分は十歳の子供の時とまったく同じ感性を持ちながらも、
年齢にふさわしい大人のような感じ方をする時もあり、
その両方の感性を持ち合わせている、とも語っていた。
年を取ればもちろん容貌は衰えていき、
失うものあるけれどまた得るものもあり、
年を取ることは全然怖くない、とパティは言い切る。
さまざまな苦しみを通り越えた果てに、かえって人生を愛することを知った人の言葉だった。
私が『無垢の予兆』を訳している時に感じたとおりの、
生きとし生けるものへの愛が感じられるものだった。
タワーでのインタビュアー(小野島大さん)による最後の質問、
メイプルソープを最後まで異性として愛していたのか、といったような問いには
(なんというぶしつけなことを聞くのか、と私は思ったものだが、後で小野島さんに尋ねたところ、これが男のロマンチシズムだということで)、
彼とはお互いとても若い時に出会ったアーティストどうしであり、
もちろん泣いた時もあったけれど、
根本にあるのはアーティストどうしの信頼感であって、
二人は永遠の友情で結ばれているのであり、今も彼の存在を感じている、と答えた。
私が想像したとおりの回答だった。
ちなみに、今回仙台という場所を最初のコンサート地に選んだのは、
震災からの復興への願いのほかに、
弟の娘(ということは、シモーヌ?)が震災後にボランティアに来たことがあって、
姪の行ったところに自分も立ってみたい、という気持ちもあったからだという。
そんなところにも、いかにも愛する者を大切にし、
愛する者たちと共に生きたいと願うパティらしさが感じられた。