お盆中日というか、私がお盆その日だと毎年思っている、
終戦記念日でもある15日のおとといは、
うさぎ姉妹ことレンカさんのソロの踊りを見に七針に行った。
レンカさんが踊るのを見たのは、
去年の6月にFlying Teapotでにらさんといっしょにやってる異形人を見たきりだったから、ほぼ1年ぶり。
当然のことだけど1年前とはずい分と変わっていて、
静かに舞台に進み出てくるさまには迷いも淀みもなく、
白塗りの肌に黒髪とのコントラストがこの日はとりわけ美しかったけれど、
特によかったのはその表情だった。
生まれ立ての動物の赤ちゃんのような、
まだお母さんのおなかにいる胎児のような、
喜怒哀楽すら感じたこともなく、
なにもわからずにただ周りを見回しているようなしぐさと表情は、
"いきもの"の息吹を感じさせ、地上での生命の始まりそのもののようでもあった。
それが後半ではどこかしら老婆のような面差しに変わっていったのは、
自然の変転でもあり、それこそいきもののありさまのように思えたけれど、
そんなパフォーマンスを、私もこれまでと同じように息を詰めてただひたすら見つめているよりは、
同じ地上に肉体を持って生まれてきた者どうし、
この肉体があってこそ享受できる感覚を受け止め、
肉体があることによってこそ表現できる歓びを共に味わいたかったので、
始終にこにこしながら立って見ていたのだけれど、
そうしたら終わった後で、レンカさんに
「にやにやしながら見てた」
と言われてしまったので、
「違う! すばらしかったからにやにやしてたの!」
と弁解した。
翌朝、私はウスバカゲロウが成虫になる夢を見た。
乾物屋さんのような古めかしい造りの店先で、
何日も平台の上や棚のあたりをうろうろしていたヤゴみたいな黒っぽい虫がいると思っていたら、
それがある日、羽を広げた美しい虫に変身したのだった。
ただし、夢の中ではその虫をウスバカゲロウだと思っていたものの、
6枚羽(片側3枚ずつ)だったから、本物のウスバカゲロウとはちょっと違う。
しかもその後、そのウスバカゲロウがすーっと消えていったと思ったら、
その後にしがないおっさんが現れて、
あれっ! あなたが変身した姿がウスバカゲロウだったんですか!?
と驚くという顛末もあったのだけれど、
私はすぐに、夢の中でこのおじさんとウスバカゲロウにはなんの関係もないと悟り、
ただ自分が複層的にものごとを見ているだけなのだ、と知った。
それは私がレンカさんの踊りを見ていた時に感じたことでもあり、
見えるものによって表現していながら、見えないものをも表し、
命や、人間のあり方や、人間だかなんなんだかわからないものをも伝えようとする彼女の行為でもある。
そして、この日のレンカさんの踊りから私が感じたものは、
生きている限り変わり続ける存在である私たちの、
メタモルフォシスのさまであったことがこの夢によってよくわかったのだった。
久しぶりに見に行ったかいのある、とてもすばらしい踊りだった。
(きのう、ほんとに書きたかったことはこっちだったのだけれど、
ねずみの死骸を見つけてあんまり驚いたものだから、アップが遅くなってしまった。)