映画、『ハンナ・アーレント』を見たのはもうずい分前だったけれど、
どう言ったら一番いいかと思ってこれまで書けずに来ました。
でも、地方ではこれから上映するところもまだまだあるし、都内でもこれからかけるところがあるので、いちおう見た時に思ったことを書いておきます。
この映画はドラマとしては地味な作りで、
実在の哲学者の名前をタイトルにしている割りには、
その生涯を一から追うわけでも、最期まで描き切るというのでもないけれど、
あるひとつの騒動に焦点を当てることによって、
哲学者ハンナ・アーレントが追い込まれた窮地と、心情とをよく伝えてきてくれたと思う。
その騒動とは、ナチス戦犯、アドルフ・アイヒマンの裁判を元に彼女が論文を書いたことによって、
その思想が糾弾され、人格までも否定されるような世界的なバッシングを受けたこと。
彼女としては心外だっただろう。
人々が気づかずにいる点を突き、もっと大きな視点でものを見て、戒めるべきものがあるとしたら己自身である、というようなことを訴えただけなのだろうから
(問題となった『イェルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』は勉強不足で読んでいないので、映画から察したことだけを言います)。
しかし、迫害されてきたユダヤ人の中にもナチスに加担した者がいるということ、
また、稀代の殺戮者と誰もがみなす犯罪人が、一介の小役人程度の男に過ぎないことを世に示したことによって、
彼女は多くのユダヤ人を敵に回し、古くからの友人を失い、教鞭を執っている大学まで追われることになる。
彼女自身がそのユダヤ人で、あまつさえ強制収容所に入れられた経験すらある者だというのに。
見ていて一番残酷だと思ったのは、ハンナが心の底から親愛の情を感じていたシオニストのクルトに、彼の死の間際に絶縁を言い渡されたところだった。
たとえ思想にかかわることで激しい論争はしても、それはあくまでも議論上のことで、自分たちの友情にひびが入るわけではない、と固く信じていた彼女の思いはここで裏切られた。
同胞であるユダヤ人に対するいたわりがなさ過ぎる、と言って、
「もう君とは笑えない」
と、病床でハンナに背を向けるクルト。
でもその彼こそ、バッシングの渦中でほとんど四面楚歌の親友へのいたわりはどこにあるのか?
そのように傷を受けた者たちは、自分の受けた痛手の大きさを訴え、私たちに配慮してくれ、と叫ぶ。
でも、逆さまにその時彼らは、自分がそう訴えている相手に対するやさしさや、相手の気持ちを考慮する思いを持っているのだろうか?
そんな余裕はないのだろう、おそらく。
それすらもできないほど傷が深く、手のつけようもないのだろう。
場合によっては動悸や、めまいや、失神など、体の反応が先に出てしまって、自分でもどうにもならないこともある。
クルトもそうだったのかも知れない、ハンナの論文を途中までしか読めなかったようだから。
体験として、そういったことが私にもまったくわからないわけではありません。
けれど、そのことに甘んじていたら、やっぱりいつまで経ってもそこまでどまり。
ただ傷口をふさいだだけで、生々しい傷を抱えたまま生きていくことになるだろう。
たとえ自分の属する民族でも、一民族の擁護や利便のためだけには語らないハンナは、
どれだけ回りからたたかれようと、自分の訴えたかったことを訴え続ける。
このハンナの不屈の精神や勇敢さは、誰もがたたえることだろうから敢えてここでは強調しないけれど、
そんなハンナも、あまりにもいわれのない誹謗中傷に、ある時涙を見せるのです。
残された友人の前で、子供のように泣くハンナ。
どんなに強そうに見える人でも、その存在を頭から否定されるような目に遭えばやはり傷つかないわけにはいかない。
彼女は人の心の痛みがわからない冷酷な女、とそしられたようだけれど、
そうではなく、まったく普通の人間であって、人並みの反応をする女性であることをこの映画はていねいに描いていた。
だから私がこの映画を見ることを勧めたいのは、言うべきことがあるのに周りへの配慮から言えなくなっている人たちじゃなくって、
むしろ傷を盾に取って、人の話に耳を貸そうともしない人たちなんです。
誰かを傷つけずになにかを言うことなんて誰にもできやしない。
傷つけるつもりがなくても、人はささいな言葉で人を傷つけてしまう。
だから、故意に相手を傷つけるつもりで発された言葉でもない限りは、
たとえその場で受け止めることはできなくても、どこかで心に留めておくぐらいのことはしたほうがいい。
そうしたら、たとえ一生癒えることのない傷でも、
三年後には別の捕らえ方が、三年後は無理でも十年後にはまた別の見方ができるようになるかも知れない。
そのためにはたとえ感情的に傷つけられてもぴしゃりと心を閉ざさず、
対話のできる余地を残しておかなければならないのだけど。
そんなことを感じさせられたのでした。
私はハンナは人間の力を信じていた人だと思う。
人間の回復力や、前へ向かって進もうとする力や、そして、常に最善を尽くそうとすることのできる存在であることを信じていた人だと思う。
あと、この映画は、
ハンナが推敲に推敲を重ねて論文を完成していく過程や、
危険を承知で掲載に踏み切った以上は、版元が集中砲火を浴びても態度を変えないところや、
槍玉に挙げる人たちがろくに読みもしないでただ騒ぎに便乗しているだけ、というところなど、
今も昔も変わらない人のありさまや、逆さまにあるべき姿を細かく描写していました。
欲を言えば、こういった軋轢を日本の状況で描いてくれる映画を誰かが作ってくれるともっといいんだけれど。
たとえば、太平洋戦争で多くの仲間を亡くしながらも、あの戦争を是と捕らえるか非と捕らえるかで割れてしまう戦友どうしの話とか。
残念ながら私は映画作家ではないので作ることはできませんが。
『ハンナ・アーレント』は語ることへの勇気を与えてくれるだけではなく、人どうしのつながりをも考え直させてくれる映画だと思います。
『ハンナ・アーレント』公式web site
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/