2012-04-15

放射性廃棄物は未来の宝物に?(※ネタバレ注意) このエントリーを含むはてなブックマーク 

(※以下これから観ようとされていて、内容を全く知りたくない、一切のネタバレが嫌な方は
読まない事をお勧めします。)

注目度、期待度、ともも高い作品なのに、裏切らない出来。

個人的に興味を惹かれたのは、
やはり世界で唯一、処分地も決定し、着工に入っているフィンランドだからこそ、
一歩も二歩も先の議論がされていること。

(ちなみに日本は、現在関係各位、福島対応のため、総動員され、地層処分どころではない、というのが現状だ。しかし、それでよいのだろうか、という疑問をわたし自身は持っている。)

例えば、未来の人々にどのように処分場のことを伝えるか=伝達方法=を真面目に議論していること。

国連の定める世界の公用語6つで説明書きをするとか、
英語も使われていない世界になっているかもしれない事態に備えて、
絵で(その危険性を)訴えるとか。

壁画風にするとか、
標識を作るとか。

未来の事を大の大人たちが、知識人たちが、真面目に推測するとこが何とも不思議に映る。
必死に考えても分からないことは明白だということを承知しながら
最善の方法を考える。

SFの世界だ。

未来(例えば10万年先)の事、人を想像する時に、
わたしたちは10万年昔の事、人のことに思考を巡らせる。
それしか方法はないからだ。

しかし、ピラミッドのファラオの墓の事が未だ謎に満ち、
完全に解明されていないように、
解明、解読は難しい。

言語だけではなく、
科学技術、知見についても、
同じものを持ち合わせているとは限らない。
進んでいるかもしれないし、後退しているかもしれない。

そして、
監督はこれを未来の人に向けて作っているところが面白い。

関係者に「未来の人にメッセージを」と頼み、
彼らは答える。

近づくな。
近づかない限り、安全だ。
GOOD LUCK.

願いにも近いメッセージに無責任さを感じずにはいられない。
同時に、関係者によっては、地上は戦争等大きなものも含め、
予測不可能な変化に見舞われるが、地下はそんなに大きな変化に見舞われることはないと
ほぼ断言し、確信に満ちている。

「無責任」といっても彼らを批判しているわけではなく、
そもそも現代の彼らが責任を持てる次元の話ではない。

発電を始めた段階で確立していなかったことを「無責任」と言うべきだ。
「無責任の結果」が今、と捉えれた方がより的を得ていると思う。

最善を尽くすことで、肩の荷を幾分か和らげようとしているように映る。

監督は掘ろうとする未来の人に警告として、この作品を仕上げたはず。
監督は監督で、どのようにこの作品を残すつもりか、ぜひ聞いてみたい。

施設の詳細を伝えることと同じように、
メッセージを後世に残す事もまた大事になってくる。

非常に興味深かったのは、
放射性廃棄物に未来の人々が価値を見いだすかもしれない、
未来の世界において、価値はあるだろう、
という見解。
そういう発想をしたことがなかったわたしにとって、
新鮮な捉え方だった。
もし、資源として有効と感じた未来の人たちが掘る可能性も否定出来ない。

ひとつ残念だったのは、
核心にあと一歩のところで切ってしまっていること。

彼らが確信的な様子は分かるが、
いま一つなぜ確信的なのか、突き詰められていない気が少々する。
関係者が答えた時に、もっと、ではなぜそう思うのか、と聞くべき所を
あえてか流したのか、聞いたかもしれないが、あえて作品には採用しなかったのかもしれないし、真意は分からない。
しかし、個人的にはそこを伺い知る事はとても重要だと思う。

きっと科学の世界では地下は安定していて、地上のように人間の予測不可能な行為は見られないという見解が一般的、常識なのだろう。

しかしその常識を残念ながら持ち合わせていない文系の人間にとっては
不思議なほどの確信をもった人たちの発言は
根拠すらいらないでしょ?とすら言っているように映る。
(もしかしてそれが作品の意図なのかもしれない。)

さらに、せっかく確信的なのだから、それをどのように人々に納得してもらうか。
フィンランドの場合、してもらったか、を聞く事は、同じ問題を抱える諸外国にとっても
参考になり、大切だ。
最終的に「根拠」と「責任(の在り方)」の示し方で大きく左右される問題だからだ。

面白かったのは、監督が批判的な問い方をした時に、
関係者との間に一瞬流れるピリピリ感。
説明をうまくできない関係者が「わからない」と少々
イラっとした感じで答える。
まるで、そんなこと説明できるわけがないことくらい分かっているとでも
言わんとするかのようだ。

よくシンポジウムなどで見られる推進、反対の関係性自体的を得ていない気がいつもする。

なんだか双方が別々のところにいて、
それぞれの主張を叫んでいて、
一生交差する事のない2本の線を見ているみたいで。

お互いが相手を理解する努力があればまた変わるというか、
違うレベルで話ができる気がするが、
それが見られない。

結果を私自身、見届けられない事が非常に残念だ。

フィンランドでは2020年までの操業開始を目指している。

「未来の人を信じるか?」
「彼らは地を掘り返したりしないだろうか?」

“I hope so at least..”

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hocomi

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“UPLINK、ドキュメンタリー好きなフリーター”


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