ところで、牧野真一のことだけれど、
ステラに会った時に確かめたところ、
彼の作品に、首をくくる縄をなっているところが出てくる小説はないんだそうだ。
ただ、縄をなっているところを姪に見とがめられた、という逸話が残っているだけだという。
「ああ、そうなんだ」
と拍子抜けして言う私に、
だってその縄で首をくくったんだから書けるわけがないでしょ、と言わんばかりのステラの口ぶりだったが、
縄をなってから決行するまでに、
もしかしたら逡巡してなにか一作遺したかも知れないし、
太宰なんか有名な心中未遂については言うに及ばず、
山中で首吊りに失敗した時のことまで事細かに小説として書き遺しているんだから、
書いていたのかと思ってもおかしくはない。
でも、重ねて言うけれど、
私は軟弱(?)ぐだぐだなパブリックイメージ(あくまでもイメージ)を遺した太宰のファンではなくって、
ただ太宰がその首吊り自殺(と言えるのか、あれは。最初から失敗するのがわかっているようなものだから首吊り自殺未遂)を試みたあたりの初期作品群を先頃初めて手に取ってみて、
世間に対する反抗心や、名誉欲や、作品にかける意気込み、気負いといったものがありありと感じられたから、おもしろいと思ったのだった。
しかも、ユーモア満載だし。
それで、年末からお正月にかけて太宰を読んでいたのだった。
けれど、勢いづいて『人間失格』まで読み直してみたら、
お正月に読むにはいかにも縁起が悪そうな生気のない主人公の話で、
以前も読んだことがあるはずなのに、
ほんとに前にも読んだことがあるのかってぐらい、見事に話の内容を覚えていなかった。
よっぽど印象が薄かったのらしい…。
太宰はどうしても『人間失格』がそのタイトルのインパクトのためか、
代表作に思われがちだけど、
『人間失格』だの、『斜陽』だのといった晩年の作品だけ読んで、
わかった気になっていてはだめですね。
なんて、私みたいな年の者が今さら気づくべきことではないはずなんだけど。
ともかく、牧野真一首吊り小説は存在しないとのこと。
なんかちょっと物足りないな。
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