先日、宮下公園の渋谷側で開催した「オサバクタルと公園で遊ぼう!!」のレポートです。
*オサバクタルとは、公園で遊ぶため(w)に急きょ作ったユニット。
「アサダワタル」+「ART LAB OVA(クリ&ヅル)」=「オサバクタル」
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▼ART LAB OVAの感想
今回、政治や思想からちょっと距離をおいて、自分たちのために、公園で思いっきり遊んでみようと思いました。
実際に、遊んでみたら、こどものころとちがって、「公園って、なんにもしないのが、一番楽しい」ってことがわかりました。
今さらそんなことがわかったってことでわかったことは、「まちの中に、なんにもしないで過ごすことができる公園が少ない」からかもしれません。
経済学講座も開催したところ、意外にも集中でき、格好の学びの場にもなりました。
公園では、仲間たちとだけ何かをしていても、必ずオープンになってしまいます。
わたしたちは、自分の部屋や仕事場のほかに、そんな共有スペースも持っているのです。
公園こそ、D.I.Y.の可能性の宝庫。
もっと、もっと、公園で遊ぶことを考えます。
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▼アサダワタルの感想
「公園を使って遊ぶ」
なんでこんなに当たり前のことを、いろいろこねくり回してやらあかんくなったんでしょうか?
大人になったからでしょうか?アートとかやってるからどっかで頭使わなあかんと思い込んでしまったんでしょうか?
ただ公園で一日をずっと過ごすというだけでも、大人にとってはもはや日常行為ではなく、かなり非日常的なことなんだなって改めて思ったんです。
名目上「誰でも来られる」ことが前提になっている公園ですが、誰もが誰もにええ具合に関与しないことが許されているのが、公園のステキな公共性なんかなとも思ったり。
つまり、地域交流スペースとかいったものは、なんか誰かと誰かが物理的にも近いし、目があったら話をしないといけないし、自己紹介しないと…みたいになるんですが、(それがいいこともあるけど)
でも、やっぱり、ほっといてほしいと思うことだって多々ありますよね。
自由にそこに居たい、でも干渉はされたくない。そんな本音。
そういった人たちが小さな小さなコミュニティを築きながら、勝手になにかをやっている。
勝手に、ジェンカを踊る
勝手に、頭を洗う
勝手に、経済の話をする
勝手に、デートで通過する
勝手に、図書館をひらく
勝手に、ご飯を食べる
その勝手な有り様が、とても心地よい。
だから勝手になにかができなくなる公園は、ちょっとつらい。
でも何かをすることを要求される公園も、それはそれでつらい。
その中間、スキマ、そこに居続けられたらと思います。
以下に全文あります。
★「オサバクタルと公園で遊ぼう!!」報告
http://downtownart.hama1.jp/e841366.html