2021-08-09

目白銀座のかき氷 このエントリーを含むはてなブックマーク 

先日、予約をしてまで老舗の和菓子やにかき氷を食べに行ったが、
それは時々用事があって行く目白に、
いかにも昔からありそうな和菓子屋さんがあって、
階上に喫茶室があるのに気づいてからは、いつか入ってみようと思っていたのが、
この間また用事があって行った帰り、よし、今日こそ入ってみよう、と思ったのに、
店内に足を踏み入れたところで予約優先となっているのを知り、なんで! と思い、
後でネットで調べてみたら、
どうやらかき氷が人気な店らしく、それ目当ての客が押し寄せるので夏の間だけ予約制になっているとのことだった。
で、なにも予約してまでそこのかき氷を食べたいと思ったわけではないけれど、
入ろうと思った時に入れなかったのでなんだか意地になり、
後日、仕事のなかった日に、午前中からわざわざ電話をして予約を取って出かけたのだった。

目白となると、実のとこ電車を乗り換えてまで行かねばならないんだが……。

そうしたら予約をしてもなお、その予約待ちの人たちの列に並んでしばし待たなければならないのに驚いたが、
それはまあ当節としてはしかたがないこととして、
待っている間にフレーバーを選ぶことになっていたので
(なぜかかき氷だと決めてかかっている。普通にお茶と和菓子のお客はこの時期は来ないのか?)、
ほんとうはほうじ茶がおいしそうだと思ったものの、
後ろに並んでいた人たちが「生いちごにする」とか言っているのが耳に入り、
そうだ、かき氷の味を吟味するのならオーソドックスにいちごだな、と思い直して、
いちごを頼んだら、
席に案内されてから出てきたのは、いちごのコンポートがどっさりかかった巨大かき氷だった。
それが、氷の反面をわざと削り取ったような形にこしらえてあって、
そこに、真っ赤ないちごコンポートが滑り落ちるようにかけてあり、下のお皿にもあふれ返っている。

全然、オーソドックスじゃなかった。
しかもなんというか、自分の仏道の血筋のせいか、
私にはそれが、摩崖仏、もしくは、火炎太鼓のようにも感じられ、
これを溶けないうちにせっせせっせと匙ですくっていったら、
3分の2ほど食べたところで、氷に内蔵を直撃されて、腰から冷えてきたのを感じ、
これはまずい(腰を冷やしてはいけない)、と思ったけれど、
罰が当たってもいけないので、ついてきた温かい煎茶を時々口に運びながらなんとか最後まで食べ切った。
しかしこれではちょっと、まれに見るデラックスさでも、我が身をいたわるためにリピートはできそうにない。
なら、やっぱり一番食べたかったほうじ茶を頼んでおけばよかった……。

そうしてすっかり体が冷え切ってしまったので、トイレが近くなったようで、
店を出る時も、その後も、帰り道のあちこちでトイレに立ち寄りながら家に戻るはめになった。
一歩外に出ると空気はむわっとしてるし、日傘を差していても日射は強烈なんで、なんだか調子が狂った。

「志むら」という名の、目白銀座の和菓子やさんだ。
よく見たら、かき氷ではずい分と話題になっているところだった。

ところで、私はいつもこんなことをしているのかと言うともちろんそんなわけはなく、
その前にかき氷などというものを食べたのは、3年前の夏、
関西に行った時に、京都の鶴屋吉信の本店に行ってみて、
喫茶室にかき氷のメニューがあったので、宇治金時を頼んで以来だ
(かき氷なら割と宇治金時が好きかな、後は練乳がけ?)。

あの時、こんなに体が冷えてしまった記憶はないけれど、
それはたぶん、大きさの違いによるのだろう。
「大きいことはいいことだ」の時代はとうの昔に終わったと思っていたけれど、
今はまたヴォリュームがものを言うのだろうか。

それよりも、外出自粛要請とかいうものが出ていたね。
しかし、コロナを恐れていないわけじゃないけれど、
オリンピックを決行した以上、その要請は無効だと思う。
私も前はやたらと緊張していたけれど、今は気をつけながら、このように時々出かけている。

キーワード:

志むら / かき氷 / 摩崖仏


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Reiko.A/東 玲子

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