2018-04-19

『さよなら、僕のマンハッタン』 このエントリーを含むはてなブックマーク 

ここ半年くらい、映画を見に行く気がしなくって、
ほんとに久しぶりにぶらっと見に行ったのがこれだった。
そんなわけで、予備知識もほとんどなく
(「骰子の目」で見かけたタイトルとスチール写真だけ。中身は読んでいなかった)
大して期待していなかったことも手伝ってか、おもしろかった。

タイトルと、青年が自分の中に閉じこもったようすで一人街を歩いているスチール写真から、
青春映画のたぐいだろうとは位置づけていたものの、
見てみたらそういうものでもない。
人が青春映画に求めるものは、おそらく痛みや挫折、そして成長の描写であり、
その「痛み」や「挫折」は夢やあこがれが大きければ大きいほど強くなり、
その後に待っている「成長」もそれに見合って大きなものになるのだろうけれど、
そういった点では、この映画はいささかこぎれいにまとまり過ぎている感がしないでもなかった。
しかしその反面、出てくる人々の事情やおもわくは複雑に絡み合っていた。

特に、物語の運びの鍵となる女性、ジョアンナのせりふがいい。
これまで私はいわゆるネタバレとなること必至で時たまレビューを書いてきたけれど、
これだけは細かく書き記してはいけないと思う。
というのも、そのジョアンナと主人公の青年イーサンとのなりゆきに気取られているうちに、
忘れがちな伏線が陰で進行していて、
俳優たちの味わい深い演技にあいまって、隠されていた別の物語が見えてくるからだ。

青年の潔癖さと見られたものは、ジョアンナの指摘したとおり欲望かもしれず、
罪深いと言えば出てくる登場人物誰もが罪深く、
しかし、それゆえに許し合い、受け入れ合ってゆく人々。

ここにはいい人も悪い人もなく、なにが正しいとかなにが間違っているとかいった決めつけもなく、
あるのはただ自分でもとまどうような、自身の相反する思いだけ。
やはりこれは、若者に特有の鋭さを伴う青春映画というよりは、
人間の弱さや迷いを描いた、ぬくもりのある人間ドラマとでも呼ぶべきものだろう。

そういったわけで、小作品ながらもなかなか味わいがあり、見ごたえのあるものだった。

成長するということは、この映画の主人公が最後にそうなったように自分とまっすぐ向き合えるようになるということよりも、
自分をも人をも、半ばオブラートで包んだような目で見られるようになることかもしれない。

そう思うと、"一皮むける"という言葉とは反しているようで、なんだかおかしいのだけれど。

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Reiko.A/東 玲子

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“human/cat also known as Nyanko A 人間/ねこ。またの名をにゃんこA”


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