シリアで取材中に銃弾に倒れたジャーナリストの山本美香さん。
例によってテレビでは、きのうから今日にかけて生前の映像がくり返し流されていた。
私は、これが嫌いなんだよねえ。
いかにも事件の犠牲者が、事件に遭うまではなにも知らずにこのように過ごしていました、とでも言いたげで。
特に、ヴィデオ撮影が一般の人にも手軽にできるようになってからは、
きわめてプライヴェートな映像も流出するようになって、
身内じゃなくてもいささか居心地の悪い気持ちにさせられる。
でも、彼女はジャーナリストで報道する立場の人間だったし、
今回流されていたのは、プライヴェート映像というよりも、
取材中のコメントや、番組に出演した時のものだったから、
たとえ半ば好奇の目にさらされることは避けられないとしても、
彼女にとっては、これまで自分の一貫して取り続けてきた姿勢がよく伝わってよかったのかも知れない。
というのも私自身が彼女のことを不勉強でまったく知らなかったからで、
かつての収録番組で、
紛争で苦しんでいる現地の人たちの声を伝えようとしなければ、
そこで起きていることは誰にも知られずに終わってしまうし、
知ってもらえれば状況を変えていくこともできるかも知れない
(きわめてうろ覚えで不正確だけど)、
というようなことを語っているのを見て、
やっぱりジャーナリストはそのような使命感を持ち、
自分の信念に基づいて行動するんだなあ、と感銘を受けたからだった。
そう、声、声、声、押しつぶされそうな声を伝えていかなければならないんです。
オリンピックで日本じゅうが沸き立っていた時には、
その陰ではシリアで紛争が続いていることを忘れないで、とコラムに書いていたし、
遠く日本から離れた取材地でたまたま母国の情報を得た時に、
トップニュースがアイドルの結婚話だったりするとがっかりする、とも書いていた。
http://mytown.asahi.com/yamanashi/newslist.php?d_id=2000069
決意と、意志と、そして時に訪れるジレンマと、それでも決して捨てない希望。
その視線は、戦地で生活する市民、弱者たちに向けられていたとのことで、
お父さんも、彼女は戦争ジャーナリストなどではなく、
紛争や災害などで不利な状況に置かれている人たちの側になって報道する、
ヒューマンジャーナリストなんだ、と評している。
彼女は取材のかたわら、著書を著したりコラムを書いたり、
大学では何度か講師として、若者たちに取材地の報告に兼ねて自分の姿勢を伝えてきた。
その志はきっと、彼女がこのようにしてこの世から消えた後も、
若い人たちの中に根づいて受け継がれていくことだろうと思う。
親交があったというアジアプレスの野中章弘さんが取材に答えてこう語っていた。
「彼女は最期まで駆け抜けた。残念というよりもよくやったと言ってあげたい」
http://www.asahi.com/international/update/0821/TKY201208210179.html
いい言葉だと思った。
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