2012-07-27

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きのうからトップがオリンピックになってしまったので、
わーわーうるさくて見てられない。
消音にして、時計代わりだけにしている。
なんなんだろう、この国をあげての同調主義は(いつものことだけど)。
こんなのがきっと、理不尽で陰湿ないじめを社会にはびこらすのに違いない、と思った。

しかし、大津の事件以降次々と報道される「いじめ」と冠される事件は、
陰湿だなんてものをを超えてすさまじいとしか言いようがない。
集団によってけったりなぐったり、水に沈めたりだのする暴力は、
一昔前なら「不良少年」や「スケバン」が行う、「リンチ」と呼ばれるものだった。
こういったものは、やはり今後は傷害事件としてきちんと取り扱っていくしかない。

それにしてもどうしてこう危害を加える側がかげんを知らないのか。
私が小さな頃――幼稚園児の頃――から集団によるいじめはあった。
私の目からしてそれはかなりすさまじいものだったけど
(大勢で一人の子をつまはじきにして、
 その子が苦しんで教室の床でのたうち回っているところを、さらにけったり手で追い払う

ようにしたりして追い詰めて。まあ、これは小学校低学年の時の話だけどね)、
やがては飽きるのか、いじめる理由がないことに気づくとでもいうのか、自然とやんでいくものだった。

だいたい、つまはじきにする根拠が見ていて毎回さっぱりわからなかった。
いじめられるのには、今から思うと大まかに二つのタイプがあって、
一つは、おとなしくてなにを考えてるのかわかりづらい子で、
もう一つは、いわゆるわずかながらも人とは違うところを持っている子だった。
相手がなにを考えてるかわからないから不安にさせられるというのはわかるし、
標準的ではない子に対しても、同じように不安や引け目を感じさせられるのかも知れないけ
れど、
私が小・中学生だった何十年か前は、いずれはみんな、少なくとも表面的には少しぐらいの
他人の違いは受け入れていったように思える。
それとも他人を気にしているより、成長するに従って自分のことで頭がいっぱいになってい
ったのかな。

今の子たちは異質な者が許せないどころか、
仲間と仲間でない者とを意図的に作って、
仲間でないとみなした者を徹底的に排斥しようとするみたい。
もはや、いじめる側に根拠がなさ過ぎるし、その分よけいにいじめる行為だけがエスカレー
トしてゆく。
それはそれだけ彼らが今の社会に締めつけられていて、はけ口を求めているからなのだろう
か。

でも、それだったら大人の世界も同じ。
画一性や同調性を求める傾向は一頃よりいっそう強くなっている気がする。
話題のものに人々の関心がいっせいに集中するし、
なんでも無理して盛り上げてるって感じで、
オリンピックが国をあげての祭典ってのならそれでもいいんだけど、
なんだってこんなに朝から晩まで騒々しくしてなきゃならないんだろう。

明日からはもっとひどくなるんだろうなあ、まあ当分テレビは音出さないからいいけど。

いずれにしても、集団による暴力が歯止めを知らないようなので、
今はまず、標的にされた人間を確実に救うほうが先だな。

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Reiko.A/東 玲子

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