感じられなくなっている時でも、
自分の食べられないものはすぐわかる。
食べられないものとは、なんらかの理由で体が受けつけを拒んでいるもの。
私の場合は、時に玄米とか、納豆とか。
たぶん、消化にてこずるとかそんな理由で、
別にまずいと思った覚えもないのに、
しばらく続けて食べていると、
目の前にお椀があってもおはしが上がらなくなる。
それで、ようやく自分はこれをほしくないんだとわかり、
買った納豆を人にもらってもらったり、
玄米をやめたりしたことがあるのだけれど。
たぶんあまり胃腸が丈夫じゃないのだろう。
それと、ヘンな添加物が入っているらしきものが苦手。
そういうのは最初からなんかおいしくないな~と思っているけれど、
しばらく食べているともうまったく体が受けつけなくなって、
そのおかずが並んでいる売り場の前に立つことすらできなくなる。
でも、蕁麻疹とか出ないだけ、まだましなのかも知れないね。
そんな私がおいしいと思うものは、
誰かが作ってくれたものと、自分が作ったものです。
ここ何週間か、理由はわからないもののなにを食べてもあまりおいしいとは思えなくなっているのだけど、
夕べは久しぶりに、素朴な味処に行ってほっとした。
ほんとに人家の一室のようなスペースで、
目の前にいる店主が作ってくれた、ほんとに手作りの味が楽しめるようになっている。
前に一度行ったことがあってとても気に入っていながら、
週にいっぺんだけの営業なので、その後は何度行こうとしてもなかなかタイミングが合わず、
きのう、やっと一年半ぶりにふたたび行くことができたのだった。
でも、もう閉店なんだよね~店主さんが高知に引っ越してしまうんで。
店主さんはソーシャルワーカーなんで、
人の集まりやすいこのカフェも彼女の活動の一環だったし、
たぶん高知に行って、そこでもっと自分のやりたいことを形にしていくんだろう。
人と人とが切り離されがちの現代社会で、
人と人、人と作物、人とその人が住んでいるところ、などをつなげていくことにさらに力を注いでいくんだろう。
それは今、いろんなところでいろんな人がそれぞれのやり方でしようとしていること。
今回の震災でその必要性がクローズアップされた部分でもあるし、
もう前々から人々が気づいていたことでもある。
大量生産や効率重視のシステムで、
人と人とのつながりが見えなくなってしまったり、
その人らしさを押しつぶしてしまったりするような社会ではとても生きられないもの。
きっとまた、どんな形でかは知らないけれど、店主さんにはお会いできることもあるでしょう。
夕べもごちそうさま、どうもありがとうございました。
夕べのご飯(at わくる)
鯵の唐揚げみどり酢(すりおろしきゅうり入り甘酢)がけ
鮭としめじの炊き込みごはん
豆サラダ
お味噌汁(じゃがいも入り)
福神漬け(この歯ごたえのある食感は手作りならではかも! レシピを見ると、作るのにとっても手間がかかりそうだ)
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