3月11日の東日本大地震に関して、自分の住む町の被害状況を知らせる報道がないため、先日自転車で海側に行き、自ら確認に行ってきました。津波が及んだ範囲で最も沿岸から遠い地域でも、車などが流され汚泥が醜く残っており、より沿岸に近い地域ではほとんどの家屋が流されて倒壊し瓦礫の山になっていました。一部では泥と海水と下水が入り交じった汚臭がしました。それでも不思議と穏やかさがあり、取り乱す被災者は一人もいませんでした。
津波の被害を報じる各メディアには偏りがあり、僕が今住んでいる亘理町の様子はほとんど報じられません。亘理町は宮城県亘理郡の北部にありその南隣は山本町といい、沿岸にごく近い地域で、宮城の沿岸部の最南端に位置します。幸い僕の住まいは沿岸からおよそ計6km内陸にあり津波の被害を免れ家族も全員無事でしたが、わずか1,2km先の内陸4km付近まで津波が押し寄せ、町の半分は流され壊滅。地震発生後1時間も経たないうちに停電、断水がはじまったため、その後4日間は電気が復旧せず、情報源は乾電池式のラジオと新聞のみ、しかもNHKしか受信できない状態になりました。僕は常々地震に対して楽観的で、ほとんど恐怖を感じなかったために、めちゃくちゃになった家具類の片付けを淡々と始めていたのですが、ラジオで津波の惨状が次々と報じられるのを聞くにつれ事の重大さを認識しました。初日の晩に亘理町の半分が水没とのアナウンスを聞きましたが、それ以上詳しいことはほとんど報じられることはありませんでした。電気復旧後から視聴が可能になったテレビでの報道においても、より「絵になる」気仙沼や南三陸町、石巻についてばかりで、元々小さな町であるここ亘理町への取材はほとんど無いようでした。それはメディアの特性上むしろ必然なのかもしれませんが、報道の意義や有り様を問わざるを得ません。加えて僕が憤るのは取材対象の偏重だけではなく、どの報道からも視聴者の好奇心や不安を過剰にあおる「演出」を感じるということです。 これは大塚英志氏が以前指摘していたように、ここ十数年で定着してしまったニュースをはじめとする報道番組全般の「ワイドショー」化の弊害であり、全てを平たくエンターテインメントに仕立て上げる過度のわかりやすさ、親しみやすさと同一化した報道の構造上の欠陥ではないでしょうか?僕はそういった過剰なわかりやすさは精確さを欠き、民意を堕落させ、思考停止状態に貶めるものだと思います。ここ数年の流行歌の歌詞があまりに直接的で稚拙なのはそういったことの反映ではないでしょうか?震災後のテレビなどでは、この曲を聴いて「元気を出してください」といった体でタレントが自分が励まされた曲を放送するなど個人的には全く共感できないものばかりです。歌うことしかできないからといってYouTubeに自曲をアップするアーティストと呼ばれる人々もどうかしています。歌うことしかできない人間なんていません。避難所で生活している本当に大変な被災者の方々にそんなものは届かないはずです。仮に届いたとしても僕には大きなお世話です。音楽は自分の好きなものを聴きたい。そういう人たちには自らの思い上がりを恥じてほしいと思います。
原発をめぐっての報道の混乱も上に書いたようにわかりやすさを前提に硬直した構造ゆえに、右往左往しては毎日同じことを繰り返すばかりで、いよいよ信憑性が薄くなっています。我々も原発に対してあまりに楽観的だったことを反省しなければいけませんが、その反動で過剰反応するのも懸命ではないと思います。ただ正直なところ、どこにいつ原発が作られ、その安全性についてや、いったい誰がどのように働いているのかということについて知る機会があまりにも少なすぎたなと思います。
こちらwebDICEの藤澤みどりさんの日記を拝読しましたが、過酷な労働に最底辺の労働力を投入しているというのは個人的にリアリティを感じます。先日作業にあたった男性3名が被ばくしましたが、うち2名は下請け大手の関電工であると報道されました。電気電力設備関係業務におけるこの下請けの不穏な図式は本当だと思います。僕も友人に紹介してもらい電気設備の清掃点検業務のアルバイトを数回したことがあります。関電工ではありませんでしたが、誰が給与を支払っているのか、バイトはどこから集まってくるのか不思議な点が多く、どうやら陰に会社とは別の元締めがいるようで、誰が出勤しているかではなく何人出勤しているか、その全体の給与の総額が問題のようで、後でまとめて貰うからと僕はその友人から直接日給を手渡されました。周りの方々の年齢も様々でしたが、みなさん優しく接してくださったので、その点についての不信感は全くなかったのですが、全体としては怪しいといわざるを得ません。
また、本日正式にプルトニウムが検出されたと報告が出されましたが、福島第一原発の3号炉ではプルサーマルといって一度発電に使用したウラン燃料の核廃棄物からプルトニウムを取り出して再度燃料として使用するという、国内外から危険性が多く指摘されている方式をとっています。福島第一原発におけるこのプルサーマル採用の時期は2010年9月〜10月とわずか半年足らず前にもかかわらず、我々はそのことをいっさい知らされてきませんでした。このプルサーマル計画は、表向きは廃棄物再処理というクリーンな電力開発を謳う一方で、政府と各電力会社が推進することにより、IAEAから禁じられている民生目的以外のプルトニウム保有=核武装を事実上実現させる手段だったといいます。だから大きく報じることができないという訳です。これは今現実に起きている重大な事故とはまた位相を異にする大きな問題です。
最後に、今回の震災に関連しまして本当にたくさんの方々から心配のご連絡をいただきました。携帯はすぐ使えなくなり、停電していたこともあり、通話はもちろんメールもセンターに蓄積されるだけで受信ができず、連絡がつかない状況が続きまして多くのご心配をおかけしました。皆さんのご連絡本当にうれしかったです。幸い僕は家族、友人、家全て無事で元気にしております!本当にありがとうございました!