骰子の眼

cinema

2014-05-07 17:10


半径1mにしか聞こえない小さな声を小さなまま届けることこそがドキュメンタリー映画の役割──松江哲明氏と『いわきノート』監督5名による座談会
映画『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』より

震災後二年半経った2013年9月に、筑波大学に在学する11人の学生たちが共同で「福島の人々の声を世界に」を合言葉に、福島第一原発から最寄りの都市であるいわき市で住民へのインタビューや市内の情景を織り込んで制作に挑んだ、ドキュメンタリー映画『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』が5月10日(土)から公開となる。『トーキョードリフター』でネオンが消えた震災直後の東京の街を記録したドキュメンタリー映画監督の松江哲明氏と、映画制作初心者だった『いわきノート』の学生監督5名が、本作について、そしてドキュメンタリー映画について語る座談会が行なわれた。


「『いわきノート』で印象に残ったのは、震災を生きる力に変えている人たちです。なぜかというと、僕自身もそうだから」(松江)


松江哲明:僕が『いわきノート』を観てまず思ったのは、言葉にしにくいモヤモヤした部分が残っている作品だなということでした。ドキュメンタリー映画を作るときには、伝えたいことが1から10まであるとして、必ず5.1とか5.2とか小数点の言葉にまとめきれない部分が出てきます。その小数点を切ってしまうと、すごく大切なことが落ちてしまう。この作品には、そこが残っているのが良かったです。

有馬俊:制作にあたって全員で共有していたのは、何か強い主義主張を持つのではなくて、ある種、混沌としたいわきの現状の空気感を伝えられれば、ということでした。

松江:その伝え方として、インタビュー部分だけではなく、編集もとても良いと思いました。いま言った、いわゆる小数点の部分を、風景カットやラジオの音で続けて残していますよね。言葉の後にどういう余白を入れるか、つまり文章を改行するタイミングや句読点の付け方が、ドキュメンタリーでは大事なところだと思います。編集は、僕と同じ日本映画学校出身の島田(隆一)監督[初監督作『ドコニモイケナイ』(2012)で日本映画監督協会新人賞受賞]が担当しているんですね。

岡崎雅:島田さんは撮影現場にはいませんでしたが、毎晩、撮り終わったものを一緒にラッシュでチェックして、アドバイスをしてくれました。

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松江哲明氏(写真左上)と『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』を共同監督した筑波大学の学生たち。

松江:予想していたドキュメンタリー制作方法と違いましたか?

岡崎:予想していた以上に地道な作業でした。「今日撮りました、また明日来ます」という流れではなくて、今日撮ったものの反省を引きずって次の日に行くことに、日をまたぐことに意味があるんだと体感しました。

松江:でも、あまり作品の中では、そういう気持ちの変化を入れていないですよね。最近は、作り手の心境を反映させるセルフドキュメンタリーが多いですけど。

岡崎:撮影前のワークショップ期間中に、そういう作り方もあるけど技術が必要だと、ラインプロデューサーの大澤(一生)さんから言われました。それよりも今回は、技術のない自分たちがそのまま素直に撮っていくやり方をしました。

松江:そこが良かったと思います。

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『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』を共同で監督、取材、撮影をした筑波大学生11名のうち、座談会に参加した三藤紫乃さん、佐々木楓さん、鈴木絹彩さん、有馬俊さん、岡崎雅さんの5名(写真左より)。

三藤紫乃:撮影に入る前は、「いわき」を包括して語れる、何かしら大きな答えを撮りに行くのかと思っていました。でも、そこに住む人たちは、一人ずつ背景なり生い立ちが違ってバラバラのところに立っているので、一本の映画にまとめたものの、答えは一つではなく幾つもに分散されていくんだということを感じました。それと、初対面なのに土足でその人のナイーブなところに踏み込んでいくのも勇気が必要でした。

松江:カメラを回すってことは人を傷つける可能性のある恐いことだし、僕は確信犯的に傷つけるつもりで撮るポリシーの人がいても構わないと思っていて、現にそういうドキュメンタリーを観て感動したことは否定しません。つまり、ドキュメンタリーを撮るのは土足で人の心に踏み込むことなんだ、と自覚することが大事であって、「土足で踏み込んじゃいけない」「カメラを回しちゃいけない」と思ってないことの方が恐いと思うんですよ。

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映画『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』より。いわき市の大型レジャー施設“スパリゾートハワイアンズ”の初代フラガールたち。

佐々木楓:私はそもそもドキュメンタリー映画をあまり観たことがなくて、ドキュメンタリーというのはありのままを撮って演出はないものだと思っていました。でも、自分も撮影時に「ここに座って、こういう話をしてください」みたいな演出はしていたし、今回参加してドキュメンタリーに対する見方が変わりました。

松江:でも被写体になった人たちは、話したいエネルギーがある人たちですよね。「現状のままで良い」という人たちではなくて。そういう被写体を選んだ時点で、すでに作り手の視点は十分出ているんです。だけど、選んだ中にも対立があるのが面白いと思いました。似た価値観を持つ人たちのように見えて、意見がバラバラなのが良いなと。対立を描くというのは、映画ならではの面白さだと思うので。

鈴木絹彩:対立に関して言うと、子供に放射線を絶対に浴びさせたくないお母さんと、家にじっとしていてストレスになるより外で遊ばせているというお母さんが出てきましたが、私は外で遊ばせているお母さんを取材しました。大丈夫と言いながらも、そのお母さんなりに内心すごく不安を抱えていることが伝わってきたんですが、映画で伝えられることは限られているし、彼女の一面だけがクローズアップされることにドキュメンタリーの恐さを少し感じました。

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映画『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』より。震災発生直後の写真を浜辺で見せる、いわき市在住の報道カメラマン中村靖治さん。

松江:なるほど。でも、そのお母さん個人では描ききれていなくても、この映画全体では伝わってますよ。撮れたものを全部活かすのが映画なのかといえば、上映時間や作品の流れを優先せざるを得ないときがあって。編集の判断なんだと思うけど、それには正解がないですよ。それに対して自分が憤りを覚えたなら、次の作品でやればいいんですよ。ドキュメンタリーはその繰り返しです。完成してみんなが満足するものはないから、もし被写体の人が怒ったら、それは受け止めなきゃいけない。誠実に向き合あうことで納得してもらうしかない。

鈴木:撮ったら終わりではなくて、続いていくんだっていうことを感じました。

松江:そう、自分自身が抱えなきゃいけない。だからといって、その人のすべてを描くことが正解ではないし。映画作りに正解はないです、ドキュメンタリーは特に。

鈴木:松江さんがこの映画で一番印象に残ったシーンはどこですか。

松江:震災を生きる力に変えている人たちですね。なぜかというと、僕自身もそう思っているから。僕は、個人がきっかけで社会が変わることはまずなくて、自然現象や人間の力が及ばないことでしか、 人や社会の意識は変わらないと思ってきました。だから3.11は、生き方が変わるチャンスだと思った。でも、「人間の強さ」というふうになってしまったのが震災の後の日本だと思います。国や社会をあてにする人が増えたのは、物語を求めて───たとえばオリンピックとか、日本という国に期待する人がすごく増えたのは、震災の影響だと思います。歴史を見れば同じことの繰り返しだから、僕はそこには何も期待しない。だから[釣り船業を営む]石井さんの言ってたことが、自分に一番響いたんでしょうね。被害の代償の話ではなく、自分がこのタイミングに生きているということを考えなきゃいけないと。すごく強い覚悟を感じます。サラっとしている分、余計ぐっときたのかもしれない。

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映画『いわきノート』より。 釣り船業を営む石井宏和さん。津波で娘と実父を亡くした。「俺たちの時代に起こったことは俺たちがなんとかする」と語る。

三藤:『トーキョードリフター』で松江さんが前野健太さんを被写体にしたのはなぜだったのでしょうか。

松江:僕は、3.11がきっかけで生き方を考え直して、もっと街の暗さに慣れていく世の中になると思っていました。でも震災後1カ月で石原都知事に決まって、これから日本は声が大きくなって明るくなっていくことが見えたときに、あの映画を撮ることにしたんです。社会が変わらないんだったら、僕個人が変わろうと思って。僕個人がどう生きるかの方が大事だなと。小さい声を撮りたかった。この時期にこういう歌をうたう前野さんを、素敵だなと思ったんです。『いわきノート』に登場した人々もそうですが、映画は小さい声を小さいまま表現するものだと思うんです。ささやかな声を、カメラが入ることでささやかなまま届けられる。テレビは小さい声を大げさにしてしまうでしょう。 街頭インタビューでおばさんが怒るのはテレビではありふれた映像ですが、映画では見たくありません。映画は暗闇で一人一人が共有するものだから、たとえば政治家の演説のような大きい言葉をスクリーンで流したりしてはいけないと思う。それが『トーキョードリフター』と『フラッシュバックメモリーズ』で気をつけたことです。

三藤:今の話を聞いて、私も現場にあったそのままを届けようとしていたのに、いつのまにか「大きくしたい」という思いがあったことに気づきました。

松江:不特定多数に知ってもらいたい、ていうね。そう、それは良くないんですよ。でも、この映画は最後まで小さい声のままだったから良かったです。大きい声がない映画ですね。メガフォンを持ってるかんじがしないというか。マイクは持っているけれど、小さい声を拾うためのマイクであって、大きい声をたくさん届けるマイクの使い方ではないですよね。マイクで大きいことが言える人は、わざわざ映画で撮る必要はなくて、映画で撮るべきは半径1mしか聞こえない声だけれども、それをスクリーンで届けた時に、共感や発見になったりする声だと思います。ドキュメンタリーの基本はそういうことじゃないかな。



松江哲明(まつえ・てつあき)プロフィール

1977年生まれ。日本映画学校卒業制作『あんにょんキムチ』で文化庁優秀映画賞などを受賞。以後『カレーライスの女たち』『童貞。をプロデュース』『あんにょん由美香』『ライブテープ』など話題作を次々と発表。2012年『フラッシュバックメモリーズ 3D』で東京国際映画祭コンペ観客賞受賞。2015年公開予定の大橋裕之原作、岩井澤健治監督によるアニメ映画『音楽』のプロデューサーを九龍ジョーとともに務める。
公式ツイッター:https://twitter.com/tiptop_matsue


映画『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』
2014年5月10日より、渋谷アップリンクほか全国順次公開

福島県の南部に位置し、福島第一原発から最寄りの都市であるいわき市。かつての炭鉱の賑わいや、映画『フラガール』で知られる街だ。東日本大震災では446名が犠牲となり、現在も福島第一原発の周辺町村から2万人以上の避難を受け入れている。放射能、環境変化、風評被害、様々なストレスが住民たちに重くのしかかっている中、様々な思いを住民同士で語る場として「未来会議inいわき」が開催されている。なめこ農家、漁師、いわきで子育てする母親たち、保育士、教師。高校生、サーファー、今なお仮設住宅で生活する人。戸惑いながらも、前に進もうとしている人々の姿が、対話によって浮き彫りになっていく。震災から2年半経った2013年9月に開催された未来会議の参加者にカメラを向けるのは、つくば大学に在学する11人の学生たち。「福島の人々の声を世界に」を合言葉に、インタビューや市内の情景を織り込んで映画制作に挑む。学生たちの真摯なまなざしが描く、被災地いわきの人々の声とその未来への思いとは。

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■共同監督・取材・撮影:有馬俊、岡崎雅、佐々木楓、三藤紫乃、鈴木絹彩、鈴木ゆり、太智花美咲、千葉美和子、津澤峻、中川慧介
■取材・撮影:佐藤優大
■協力:未来会議inいわきー
■音楽:江口拓人
■編集:島田隆一
■製作担当:飯田将茂、橋本友理子
■プロダクション・マネージャー:林剛人丸
■プロデューサー・アシスタント:倉持政晴
■ラインプロデューサー:大澤一生
■プロデューサー:浅井隆
■エグゼクティブプロデューサー:窪田研二
■制作:UPLINK
■製作:筑波大学創造的復興プロジェクト
(2014年/日本/86min/HD)(C)筑波大学2014

映画公式サイト:http://www.geijutsu.tsukuba.ac.jp/~cr/iwakinote/
映画公式ツイッター:https://twitter.com/iwakinote
映画公式facebook:https://www.facebook.com/fukushimavoice





▼『いわきノート FUKUSHIMA VOICE』予告編


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