『政治と暴力』
第1部:三島由紀夫
第2部:赤報隊
どちらにしようか迷ったら、どっちがロックだ?これで決めるぜ。ということで、先約をキャンセルして、渡辺文樹監督の自主上映会に参加してみた。
ちなみに、自主上映会に参加するのも初めてなら、渡辺文樹監督作品を観るのも初めてというバージン状態である。
この歳で初体験というのはいいねぇ。ドキドキしちゃう。
渡辺文樹監督の新作は『政治と暴力』。『第1部:三島由紀夫』と『第2部:赤報隊』の二部構成、両方合わせて3時間半越えの大作である。YESを知らない人が最初に『海洋地形学の物語』を聴くようなもの、であると思われる。分かる人にはわかるけれど、分からない人にはまったくわからない例えだろうなぁこれ。
偶然にもつい先日、約30年ぶりくらいにTHE STRANGLERSのアルバムを買ったこともあって、三島由紀夫からジャン=ジャック・バーネルへと妄想は広がった。
しかも、会場は千歳烏山の烏山区民センターだという。烏といえばTHE STRANGLERSは『THE RAVEN』という名盤を上掲しているのだ。
これは、シンクロニシティなのか何かの因縁か。
いや、こじつけとただの偶然だろう多分。いくらなんでもさすがにそのくらいの分別は持っているつもりではある。
が、この数日後、THE STRANGLERSが久方ぶりに来日するとの情報を聞きつけ、矢も楯もたまらずPUNKSPRING2010のチケットを買いに走ってしまったorz。分別なんかないじゃないですか。もう。
ちなみに、おれは第1部と第2部の間にカレーパンも食べてしまうのであった。
三島由紀夫はロックファンをカレーライスへと誘う存在であり、ロックファンとして由緒正しい行いとするならばカレーライスを食うべきところではあるとは思ったのだが、インターバルの5分間でにカレーライスは食えない。
さらに事前調査を通して監督が福島出身であるとの情報を得ることができた。この情報とDIYな手法によるゲリラ的な上映会というキーワードは、福島出身で日本が誇るPUNKロッカー、遠藤ミチロウとダブる。
かつて、遠藤ミチロウが率いていたスターリンはステージ上で豚の内臓をぶちまけるというパフォーマンスにより、日本の全PUNKSを震え上がらせていたのであった。
おれもFOCUSに載った写真を友だちと見て震え上がっていたんだっけ。いま冷静になって考えてみると何を恐れて震えていたのかいまひとつ疑問ではあるのだけれど。とりあえず汚れるのがイヤだったのかも。
まぁ、そんなこんなで表現方法は違えど、福島とPUNKとの間に因果関係を見出してしまったのだ。おれは。
だからして、酒池肉林、阿鼻叫喚の中の騒然とした物々しい上映会と覚悟、戦地に赴くような気分で烏山区民センターへ向かったのであった。
まぁ、そんなものだとは思っていたのだが
夕方6時の千歳烏山の駅前商店街は会社帰りのリーマンやOLが足早に家路を急ぎ、夕飯の主婦や学校帰りの生徒が行きかうフツーの商店街だった。主婦の皆さん毎日のお買い物ごくろうさまです。
噂に聞いていた右翼の街宣車の影も形も何もない。まぁ、現実は静かなもんだ。スターリンのライブも普通のライブだったもんなぁ。
動員はキャパの4割程度。
男女の構成比は9:1か8:2。
女性もいることにはいるのではあるが、圧倒的に野郎が多い。
大学生くらいの年齢が多い。平日ということや時間帯、京王線沿線という場所柄も関係しているのかも。
それと、映画の舞台となる昭和の中後期に人生の盛りを迎えていたと見受けられる年配のオヤジさん方もちらほら。
質実剛健な客層である。
開映前に監督の前節あり。
これがなんというか、ダシが利いているというか、いい味を出しているんだなぁ。
最初は、「事件の裏側には…」なんて、シリアスな口上で始まるので、聞いているこちらもだんだんと眉間にシワが寄って来て、もしかすると、これは最近かまびすしい密約以上の国家を揺るがす重大機密なのかも、で、観てしまったら最後、2度と生きては烏山区民センターから出ることはできない?右翼に殴られる?はたまた公安に目をつけられる?なんてことになるのではないか、なんて物騒な思いを巡らせていると、「まぁ、そんなこったぁどうでもいいんだ。とりあえず映画観てよ。」てな具合で締めくくって客電が落ちた。
監督ぅ、もしかして、強面だけど実は結構おちゃめだったりするんですか。
映写機のファンとフィルムの音がいい感じである。
上映会では監督自ら映写技師、音声技師も勤められているのであった。
昔、ウチにあった8ミリフィルムの映写機を思い出し懐かしさを感じた。アレ、どうしたんだろう。捨てちゃったりしたのかな。押入れの奥深くで埃を被っているのだろうか。
映画は、三島由紀夫の割腹自殺と朝日新聞襲撃事件をモチーフに、監督演じる渡辺が政治と裏社会、そしてメディアの癒着を暴いて行くという内容で、なんだか和製セガール作品を思わせる。
モノクロフィルムにアナクロニズムが漂うカメラワークといなたい演技が程よく混ざり合い、いい具合に昭和の雰囲気を醸し出してもいる。銀座では森永の地球儀が回っているんだよね。まだね。なんて錯覚するくらいに。
政治家が不祥事を起すと、秘書が自殺して真実は闇に葬られて終ってしまうことに疑問を抱くことも少ないが、いやまてよ、それってやっぱり変じゃない?
とか、
こんな風に、政治と銀行やメディアが癒着していたら、そりゃぁ政権なんて代わりようがないわけじゃん。なんてことに反応。素直だなぁ。おれって。
教科書に載らない歴史の裏側を暴き出すマジメな社会派映画。
史実にフィクションを加えてストーリーを紡ぐという着想も良いのだが、誰の言うことも聞きそうにない渡辺監督のハンドメイド映画に止まってしまっていることが残念といえば残念。
ここに客観的な視点と批評が加わったならば、冗長さもそぎ落とされて、作品クオリティは倍化、カルトムービーを抜け出て硬派なエンタテイメント作品として昇華できるとは思うのだが。
でも、まぁ、監督はそういうことは望んでいないのでしょうね。