2009-12-09

粕谷紀子の踊り子の出てくるまんが このエントリーを含むはてなブックマーク 

(承前)

ついでに、少し前にここで言及した、
粕谷紀子の踊り子の出てくるまんがも段ボール箱の中から出てきたので、
ちょっと書いておこう。

粕谷紀子――今でこそえげつないまんがを描くようになって、
そのえげつなさ(ある意味、おもしろさ。大人になってからの)で、
けっこう<<YOU>>などで人気を博しているが、
元々はこの人も少女まんが出身。

<<少女コミック>>で日常的なささいな情景などを細やかに描き、
地味ながらも通好みの作品を発表し続けていたと思うが、
その後、ハイティーン誌である<<セブンティーン>>に移ってからは、
『森はなに色』などの愛憎入り乱れる長編ドラマで、
今に通ずるえげつなさとポピュラリティを獲得。

ストーリーテリングとしてはおもしろいんだけどオトメ度が下がり、
オトメなあたしのフェイバリットからは抜けてしまいましたが、
そんな彼女の、<<少女コミック>>時代の作品です。

『薔薇とトウシューズ』。

ジプシーの踊り子ローズがバレエにあこがれ、
仲間の好意でバレエ学校に入れてもらい、日々練習に励むのだけど、
自分が抜けた後の一座の苦境を知って、
やっぱり私はジプシーだから、と仲間の下に帰る話。

なによりもの夢だった、バレリーナになることはあきらめて…ね。

すごく、単純な話だ。
70年代にはまだこの単純さが生きていた。
それが、人の胸を打つことができた、というのがすごいんだ。

というか、このローズがプロのバレリーナに自分の踊りを披露するシーンが、
今も私の頭を離れない。
作品タイトルはころっと忘れていたのに、
このシーンだけは常に頭の中で生きていた
(実は頭の中では構図が反転していたけど、
これは左右見開きの片側しか浮かんでこないからかも知れない)。
ローズは自分が見たバレエの感動を伝えるために、
言葉ではなく、踊りで表現する。
自分が踊ることによって、踊りを見せてくれた相手に、踊りががもたらしてくれたものを伝えようとする。
バレエまんがというのはかつての少女まんがの王道だったのだけど、
それはたぶん、キラキラピカピカしたお姫様のような衣装がきれいだったのと、
舞台に立てるというヒロイニズムが味わえたからで、
でも、こういったジプシーダンスは違う。
単に体を動かしたり、飛び回ったりすることの喜び。
誰もが求める命の喜び。
私も踊ることにはすっごくあこがれた。
あこがれていたのにあこがればっかりで、踊ってなかった。
ずい分後になって、心の欲するままに動くようになって、
命の喜び以上のものを感じるようになったけれど、
私のような、うっかりしていると外人さんから、「ブトー?」と聞かれてしまうようなゆるやかな踊りでも、
踊りは踊りであることには変わりない。
どうしてどんな踊りでも、踊りの命のようなものを感じることができるのか?

そして、そのような踊る喜びが表れているのがこのシーンなのです。
ちなみに今調べた、粕谷紀子のファンサイトによると、これは77年の作品らしい。
今読んでみると、なんてことはないごくあたりまえの31ページの小品だけど、
ただ踊るシーンだけが、今も私にとっては命が感じられる。

あ、あと、私は粕谷紀子の作品としては、この少し後に同じく少コミに発表された、
『もとむ! KOTARO』のほうが、なお好きなんだけど
(その登場する少女の閉鎖性によって)、
これは、基本的に粕谷紀子の評論をするために書いたのではなくて、
踊りの出てくるまんがについてちょっと書きたかっただけなので、
とりあえず今はここまで。

発見した粕谷紀子ファンサイトはこちらです。

http://www.asahi-net.or.jp/~IW2M-SMZ/kasuya-noriko/

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ところで、Reiko.Aの、12月のTabelaでのタロット・スケジュールはコチラ。

http://www.webdice.jp/diary/detail/3322/

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