先日、東京新聞の記者から篠山紀信の写真集の撮影が路上で行われ公然猥褻罪で、事務所が家宅捜索を受けた件で電話でコメントを求められた。
19日の朝刊には、藤原新也氏のコメントともに僕のコメントが次のように掲載された。
「意図がわからない。ただ公共の場所を管理するのは市民ではなく、権力だと警察の決意が感じられる。見せしめとしか思えず、かなり恐ろしい事だ」
ちなみに藤原新也氏のコメントは「路上でのヌード撮影は以前からある。にもかかわらず、大物に目を付けての今回の捜索。撮影する側は当然、当局からのリスクを背負うぞと宣言されたに等しく、萎縮は避けられないだろう」
http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php?mode=cal_view&no=20091115
大体、写真集の出版から10ヶ月もたっての摘発はいったいどういう意図があるのか?
もう少しこの件を考えてみたい。
東京新聞の記者が教えてくれた警視庁担当の記者から聞いた話によると、警察は写真が猥褻であるかどうかは問わない。撮影現場を誰か見ていたかも問題ではない、問題は誰でも見られる可能性のある場所で撮影していた事が公然猥褻である。写真集を見るとその大半は公共の路上に類するところで撮影されている。警察はその手の写真集は全てチェックしている。というのが警視庁担当の記者から得た警察の情報だった。
このことから今回の事件を警視庁の立場に立って推察すると次のようになる。
「公共の場、道路などは俺たち権力サイドが管理している場所だ。そこで勝手に許可もなく、裸の写真を撮影するとはどういうことだ。写真集をみると俺たちが管理している場所で勝手に好き放題やっているではないか、これは一つお灸をすえておくとしよう。ほうっておくと篠山と同じように俺たち権力サイドが管理している場で自由に振る舞う奴らがでてくるからな」
ちなみに、青山墓地は東京都立青山霊園。これが私有地の霊園ならまた違ったであろうし、道路ではなく、個人の庭なら話は別だったろう。映画でも道路で撮影する際には撮影許可を取らなければいけないし、道路を何人かで歩くデモをするにも届けを出さなくてはならないのが公共の場を利用するこの国の決まりである。
実は、私たちは自由に道路を使ってはならないし、公共の公園や墓地ももちろん自由に使う事はできないのである。
このことを国民みんなに知らしめるために今回の摘発があったのだろう。
その昔、新宿西口がフォークゲリラと称される若者たちが占拠したことがある。
当然ながら警察は新宿西口は通路であり、立ち止まって集会をしてはならないし、立ち止まって歌を歌ってはならない場所なので、若者たちを排除した。
皆さん、道路は歩くところ、お墓はお墓参りをするところ、公園は迷惑にならないように遊ぶところです。それ以外の使用は許しません。
そして、道路や墓地では誰もいないからと言って全裸になって、表現の自由だからといって写真を撮ってはってはいけませんよ。それは公然猥褻罪になります。