2009-03-21

おはよう、インディア このエントリーを含むはてなブックマーク 

西尾様

もしお時間ありましたら、受信状態のよいラジオをお持ちでしたら、NHKラジオ第一放送、明日三月二十二日夜、私がシナリオを書いて演出した『おはよう、インデァア』という60分作品をお聞き下さい。寺山修司が最後の詩を書いてます。1966年制作。大昔の作品です。寺山修司構成というアナウンスになってますが、NHKが私を作者として認めたのは、先日上映して頂いた『四季ユートピアノ』が初めてでラジオ時代は作家を立てないと作れませんでした。しかし1990年代に入りやっと四季ユートピアノまでの作品三本のテレビにシナリオ演出佐々木とタイトルを入れ換え再放送されました。しかしながら、ラジオはそのままです。何故放送局のディレクターが映画監督とは異なるのか、いちばんわかりやすい例は安保問題です。1960年安保前後から、アメリカCIAと自民党政権下による言論弾圧が放送局を中心に大手広告代理店に及びまして、NHKテレビドキュメンタリーからは、企画構成演出者(映画なら脚本監督)の名前の表示が認められなくなりました。ドキュメンタリー番組の監督シナリオの表示が認められたのは1990年前後のバブル時期からで30年も認知されませんでした。1963年私のデビューの『都会の二つの顔』も構成福田義之、佐々木演出でONAIRされましたが、シナリオは一言残らず私が書きました。当時、若きスター作家になったばかりの福田義之に事情を話し理解してもらい名前を借りる形にしました。おはよう、インデァアは、親友の寺山におやはようの詩をもを書かせ理解してもらい名前を借りました。都会の二つの顔も、インデァアも、人物設定と主役の発見を同時に行い企画しました。私はこのセオリーを『方法即主題』というふうに命名しています。後の映像作品もこの方法即主題で創ったものです。評論家は作品を創ったことがないですから、ドキュメンタリーである、ドラマじゃない、いやドキュメンタリーでもない、と過去の映画やドラマと較べてみたりし、私の作品の特質をまともに言語化して書ける者が未だに一人もいません。多分あと百年は書けないでしょう。先日の大阪でのCO2映画祭トークショーの時、観客のみなさんに聞けばわかるのですが、と明日の『おはよう、インデァア』のピーアールすべきかどうか迷いましたが、そうした場ではなく控えました。おはようインデァアは四季ユートピアノに出演しているケン、横倉健児さんのデビュー作です。ケンはその後マザー、夢の島少女に出演しました。夢の島少女、は葛城カメラマンとともにケンの内面を十日で撮った渾身の作品です。ある日、私が見た白日夢をシナリオにしたものです。。ではお知らせ申し上げます。

佐々木昭一郎

●放送劇「おはよう、インディア」
 [昭和41年度芸術祭大賞]
 ■詩=寺山修司、音楽=湯浅譲二、演出=佐々木昭一郎
 ■出演=イラ・メータ、横倉健児、P・S・クマール、その他
 ■初放送=NHK/1965年12月19日(日)

キーワード:

佐々木昭一郎 / 寺山修司


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西尾孔志

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