恩田晃 パフォーマンス リオ・デ・ジャネイロ 2014年12月 Photo by Eduardo Magalhães (I Hate Flush)
現在ニューヨークに在住のアーティスト、恩田晃氏が荏開津広氏と六本木の「SHIMAUMA」にてトーク・イベントを行った。今回恩田氏は5年ぶりに東京を訪れ、六本木SuperDeluxeで行われた「Tokyo Experimental Performance Archive」でのソロ・パフォーマンスや、渋谷WWWで行われた「サウンド・ライブ・トーキョー 2014」でマイケル・スノウ、アラン・リクトとのパフォーマンスを行った。
今回のトーク・イベントのテーマは『カセットとレコード、ニューヨークと東京/文化の器』。10代の頃より海外と日本を行き来し、2000年からニューヨークでの活動を開始。音楽、映像、美術というフィールドを横断して活動する恩田氏の代表作と言える、カセット・テープレコーダーで日記のように録り溜めたフィールド・レコーディングを用いる「カセット・メモリーズ」誕生のきっかけ、そして恩田氏の表現の源泉について語ってくれた。
寺山修司の表現から学んだこと
荏開津広(以下、荏開津):「カセット・メモリーズ」をスタートさせるきっかけは何だったのですか?
恩田晃(以下、恩田):15歳くらいから写真をやっていたんですが、19歳ぐらいだったかな、ロンドンでカメラが壊れてしまったんです。お金がなかったので、道ばたで売られていたソニーのテープレコーダーを買って、カメラの代りに日常のありとあらゆる音を録りまくり始めました。
恩田晃氏(右)と荏開津広氏(左)、当日は「カセット・メモリーズ」の作品群が会場に持ち込まれ、トークが行われた
私は母親が画家で、小さいころから美術の展覧会を観に行っていたので、もともと音楽よりもアートや映像への興味が高かった。とりわけ寺山修司からの影響は大きくて、天井桟敷の最後の公演も観にいき、寺山をきっかけにジョナス・メカスやマヤ・デレンなどの前衛映画にはまりました。
荏開津:寺山修司のどういうところに影響を受けたのですか?
恩田:寺山は俳句や短歌のような日本の詩から自分の表現を始め、演劇、映画、小説、ラジオ、果ては競馬まで、何にでも手を出した。欧米の文化にも精通していたし、実際に海外でも受けた。グローバルな感覚と青森出身というローカルな感覚をうまく結びつけたところが面白いと思ったんです。
日常的なマテリアルから
オルターナティブな現実をクリエイトする
荏開津:どのように「カセット・メモリーズ」の作品は作られるのですか?
恩田:一度録ったら、たいていそのままレーベルに何も書かずに放っておくんです。日記みたいなものですが、記憶のためでなく、忘却のために録る。何年か経って忘れたころに取り出して聴いてみて、面白い音だと思えばそこから作曲やパフォーマンスの素材にしていく。それらをコラージュして作品にしていく。面白くなかったら消してしまってテープはリサイクルする。
恩田晃「カセット・メモリーズ」
恩田:「カセット・メモリーズ」は2000年にニューヨークに移ってから始めました。フランスのピエール・シェフェールやリュック・フェラーリといった電子音楽にも興味がありましたが、それ以上にハリー・スミス、ジョセフ・コーネル、ジャック・スミス、マイケル・スノウ、ケン・ジィコブスらのニューヨークの60、70年代の前衛アーティストからの影響が大きかったですね。
日常的なマテリアルを元に、オルターナティブな現実をクリエイトする。マジックリアリズムという言葉がありますが、私がやっていることはそれに近いところがあって、自分の経験を日記的としてそのまま伝えるのではなく、もっと大きな文化そのものに連なっていこうとしている。
恩田晃「カセット・メモリーズ」
恩田晃「カセット・メモリーズ」
恩田晃「カセット・メモリーズ」
恩田晃「カセット・メモリーズ」
(参加者からの質問):毎日録音していくなかで、どうしようもない日常もあると思うのですが、どうやって私小説的な部分を排除していくのですか?
恩田:最初はただのオブセッションで録音していました。でもそれを10年、20年やっていくと、アートのプラクティス(実践)になってくる。それを極端にやってみようと、この3年間は毎日テープを1本録り続けていました。まあ、毎日録るとどうしようもない音もたくさんありますよ(笑)。私小説的な部分を排除していくには、客体化することでしょうね。行為にも、考え方にも、クリティカルは視点を導入していく。
音楽より美術やダンスの世界のほうがはるかに面白い
荏開津:自分のやっていることが美術の領域に入り込むことは、気づいていたんですか?
恩田:以前はあまり自覚していませんでした。でも今やっている仕事は、音楽だけのコンテクストは少なくて、美術と音楽の中間、もしくは音楽と映像の中間が多い。今の音楽は保守的な傾向が強いと思うんです。以前は決してそうではなかった気がする。今は美術やダンスの世界のほうがはるかに面白いものがあるし、次々と新しいものが生まれてエキサイティングだと思う。
恩田晃 サイト・スペシフィック・パフォーマンス リオ・デ・ジャネイロ 2014年12月 Photo by Eduardo Magalhães (I Hate Flush)
荏開津:でもそんななかで、恩田さんご自身で音楽をする必要はあったのでしょうか?
恩田:どうせやるなら面白いほうがいいじゃないですか(笑)。音楽の普通のプレゼンテーションは興味がなくなってきていて、通常のコンサートではないサイト・スペシフィックなパフォーマンスに移行しつつある。あとは、会場でもステージ、客席とわけるのをやめて空間全体を使ってしまうとか。ルールに縛られるのをやめて、発想を少し変えてみるといくらでも可能性は広がるんじゃないかな。
(2014年11月2日、六本木Shimaumaにて、取材・文:駒井憲嗣)
恩田晃 プロフィール
音楽家、美術作家、パフォーマー。日本に生まれ、現在はニューヨークに在住。カセット・ウォークマンで日記のように録り溜めたフィールド・レコーディングを用いた「カセット・メモリーズ」でよく知られている。音楽、映像、美術にまたがる幅広い分野で、メディアを縦断する活動を精力的に行っている。主なプロジェクトとして、前衛映画の巨匠ケン・ジェイコブスとの「ナーバス・マジック・ランタン」、マイケル・スノウ、アラン・リクトとの即興演奏トリオ、サウンドアートの鈴木昭男とのサイトスペシフィック・ハプニング、美術作家ラハ・レイシニャとのコラボレーションなど。ニューヨークのキッチン、MoMA PS1、パリのポンピドゥー・センター、カルティエ・ファンデーション、パレ・ド・トーキョー、ロンドンのICA、マドリッドのラ・カサ・エンセンディーダなど、世界各地のフェスティバル、芸術センターに頻繁に招待され、パフォーマンス、上映、展示をつづけている。
http://www.akionda.net
荏開津広 プロフィール
執筆/DJ/翻訳。音楽/映像/アートに関わる様々なプロジェクトを手がけている。東京藝術大学、京都精華大学などの非常勤講師。主な翻訳「サウンド・アート」(フィルム・アート社、2010年、木幡和枝、西原尚と共訳)、主なエッセイ “Attempt To Reconfigure ‘Post Graffiti’”、 “Art As Punk”など。