私のある頃からの願いのひとつは、
生きていることの喜びを人々にも自分で実感してもらいたい、というもので、
そのせいかほかの人々(オカルティストだの表現者だの)に比べるとかなりの地上指向だと思うが、
この地上指向というのは、元々あんまり地に足がついていないところがあったからこそ生まれたものと思われ、
そうして見ると人の特徴など、
目に見えているものは社会的に作り上げられたところが多いから、本性かどうかはわかりはしない。
それはともかく、そのために地上でのことに目が向き過ぎるのか、
ここ1年ほどはどうも地に足を引っ張られ過ぎているような気がして、
自分でもなんだかかえって立ち位置がおかしいような気がしていたが、
それはけさのように、明け方に関東地方に大きな地震が来た時にも如実に感じられた。
突然の揺れに驚いてふとんの上にぱっと起き直りはしたものの、
落ち着き過ぎているというか、機敏さに欠けるというか、
なにか、自分の根っこがぶっすりと下に突き刺さっている感じで、どうにも反応が鈍い。
安定感があるのも考えもの、というところかも知れないが、
どのみち大災害の前には人は成すすべもなく、ただ受け入れるしかないので、気に病むほどのことでもないのかも知れない。
しかしそう言えばこの間の夜中も
(ここから先は、受け入れられる人にしか受け入れられない話)、
気がついたらふとんの上に立っていたんで、
あれっ、なんで私、ふとんの上に立ってるんだろう、あ、これはエーテル体か、よしっ、飛ぼう!
と思ってジャンプしたら(したつもりが)、
気づいたらふとんの上に横たわっていたってことがあって、
そんなところも、最近地に引っ張られ過ぎている証のような気がする(残念……)。
ところで、一部に大水害をもたらしたこの間のひどい雨の日、
私は小やみになったほんの合い間に、降り込められた部屋の中から顔を出し、
屋根と屋根にはさまれたグレイの空に二重にかかった虹を見つけた。
めずらしいとは思ったが、ふしぎとそれほど美しいとは感じなかった。
人はなぜ、このような虹に希望を託したのだろう。
幸福も不幸も地上の基準でしかなく、虹のもたらすものなど誰にもわかりはしないのに。